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村山槐多の作品を見ながら映画の実験性について考えるの巻

 K`s cinemaにて『火だるま槐多よ』を観てきました。佐藤寿保監督の前作『眼球の夢』が凄く良かったので僕にとっては待望の新作だったのですが今回も実験的な映像美を見ながらこれはどう撮ったのだろうかとアレコレ考えながら見れました。村山槐多という画家の作品は未見だったのですが映画を見終わって興味が湧きました。

内容

 大正時代の画家・村山槐多に魅了された女性が過去の声が聞こえる男と出会う。男は過去から村山槐多の声を聞き取ることで神経を侵食され自分が槐多だと言う。その男と超能力を使えるパーフォーマー達と共に槐多の謎に迫る。

見どころ

*歪んだ都会の表情

 前作『眼球の夢』でも試みられてましたが魚眼レンズを使った極端に歪んだ都市の風景は独特のモノがあります。シーンの冒頭に場所のインサート映像を差し込む事がありますが14mmくらいの超広角や魚眼レンズは画面が歪んだり端がケラれるので敬遠される事があります。(映画ではないですが企業向けの動画コンテンツだと大体20~24mmくらいの映像が多いんじゃないすかね。)
でも、本作ではそれをあえて逆手に取ってエキセントリックな印象を際立たせてました。設定が飛躍している内容だけにアリな撮り方ですよね。

*パフォーマンスとビデオアート

 パフォーマンスによって過去と交信するという試みをダンスとブラウン管やプロジェクターといった映像機器を用いたメディアアートの表現が独特だった。00年代のクラブイベントではこういうライブパフォーマンスをよく見かけることがありましたが映画の中で見られないだけに見る人によってとても新鮮に映ったのではないでしょうか。
あと、4人1組でパフォーマンスをする時の動きが合っててオーディションで選ばれた別々の4人なのにそれを感じさせなかった。コンテンポラリーな動きにすれば正確なユニゾンは必要ないと思うがそれを差し引いでも違和感なく成立してたと思います。

*実験的な作風、スピリチュアルとサイキックの融合

 ストーリー展開よりも実験的な映像表現をいかに映画で見せるかという事に重きが置かれている作品なのでそこが受け入れられない人は理解しにくい世界観だと思います。映画好きな人よりMVや実験映像などアート表現を見るのが好きな人の方がストーリー展開は分からなくても表現手法を楽しめるのかなと。
 あと、村山槐多の声を探っていく過程でスピリチュアルな雰囲気になっていきますがそこでのパフォーマー達のサイキック描写の対比が面白かったです。一見するとスピリチュアルとサイキックって相対するようにも感じるのですが一つの作品に同居させてみるとそうでもないんだなと思いました。

 という感じの映画レビューでした。
 結末が不鮮明な感じの作品ですがこういう実験的な作品を見る機会も少ないので(作れる監督も少ない)、こういう映画もあるんだなと観客の見方が広がるという意味ではアリなのではないでしょうか。とりあえず高村光太郎の詩と村山槐多の作品を見ておさらいしてみようかなと思います。
これから地方でも上映されるみたいなのでご興味ありましたらチェックしてみてください。


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