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音と心の関係について

こんにちは、俊です。

今日はちょっと心がざわざわしていました。

大きな声を出して怒鳴っている人に相対して、なだめてその場を納めたのですが、後からふつふつと怒り哀しみと恐れなど、様々な感情が湧いてきたのです。
今日はそれについて振り返りながら、「音」という観点で記事を書いてみようと思います。


怒りの”音”に敏感な自分

僕の普段の生活では、なかなか怒鳴り声を張り上げる人に出会うことはあまりありません。
そういう意味では免疫も薄くなっていたのでしょうが、今日は真正面から大きな声で怒鳴られて、まず最初に感じたのは戸惑いでした。

(え、なぜここまで怒っているんだろう)

仕事の話をしていた際、見解の相違が出たためすり合わせをしていたのですが、双方の意見に折り合いを見つけようとしていたところ、急に相手が声を張り上げて主張を始めました。仮にKさんとします。Kさんは会議室でこう叫び出しました。

「なんで言ってることが分からないんだ!」
「その案を通す気なら俺は協力しない!」

あまりのヒートアップぶりに呆気に取られて、まずは折衷案を探しましょうと言ってKさんをなだめてその場は終わったのですが、怒りの感情がこもった発声のシャワーを浴びたことで、僕の心身はダメージを負っているようでした。

ふわふわと神経が上擦ったような感覚になり、怒りが込み上げてくるのが分かります。
頭の中でぐるぐると色んな気持ちが交錯しました。

・納得いかないのは分かる。でもあの逆上ぶりは社会人としてどうなのか
・あのやり方では今後も一緒に仕事をしようとはとても思えない
・自分の言い分を通す以外に物事を進める術を知らないのか

言葉にならない感情も多かったので、今振り返って言語化すると上記のような感じでしょうか。(だいぶお上品な言い方に訂正していますが…笑)

怒りの感情に遅れて、隠れていた恐れや悲しみの気持ちも生じてきます。

・あんな言い方しなくたっていいじゃないか
・大きな声で怖かったなぁ
・悲しいなあ

物理的に攻撃された訳ではなくても、会話の適正音量よりはるかに大きなデシベルでぶつけられた怒声によって、僕は傷ついていました。
そう、傷ついたんだなぁと、この記事を書いていて整理できました

特に辛く感じた理由は、たぶん、僕がKさんのことを嫌いじゃなかったからでしょうか。
Kさんは、過去に2年くらい一緒に仕事をしていた人だったのです。
辛いプロジェクトを一緒に回して苦楽を共にしてきたし、何度も一緒に食事にも行ったし、ほぼ毎日やり取りしてました。

そんなKさんと久しぶりに会議の場で会うことになり、何なら少し楽しみにしている節もあったのです。
そこで起きた事件でした。

実は、最近Kさんが他の人たちとも衝突を繰り返している噂は聞いていました。確かにKさんは情熱的な人だし、やる気も責任感も人一倍あるから、軋轢も出てきちゃうんだろうなと思ってはいました。
でも実際に、自分に向けられた攻撃的な姿勢に対して、
「え、僕にまでその態度なのですか」
と、どこか失望してしまったのです。

Kさんの発する怒りの「音」に、すっかり僕は感情を乱されてしまい、仕事のやる気を失って、「今日は早めに帰ってリモートワークにします」とだけ言い残し、まだ夕焼けも出ていない明るいうちに職場を後にしました。

負の感情を吐き出すためのタイピングの音

すっかり憤慨していた僕は、家に帰って残りの仕事を片付けた後で、今日起きた顛末とKさんへの憤りを上司に報告しようと、メール文面を打ち始めまいた。自然と力が入ることもあって、タイピングの音が大きくなります。

我ながら気持ちの良い音ではありません。

でも、まずは思いの丈を書き切って、バシーン!とエンターキーを叩きました。

言いたいことは全部書いた。
あとは、今夜一晩このメールは寝かせよう。
送るかどうかも、明日決めよう。

面白いもので、メール文面に感情を吐き出したことで、少しラクになっている自分がいました。

僕の師匠の根本裕幸さんは「お恨み帳」を書くことを推奨しており、以前から実践したこともありましたが、「あ、今書いたこのメール文面、お恨み帳の役割果たしてくれたんだ」と気付いて納得しました。

ボサノバの音色に癒される

ふと、SNSで「気持ちが逆立つ時には部屋でボサノバを流すと良い」という
ライフハックを読んだことを思い出し、スマホでyoutubeでボサノバを検索しました。

作業用、就寝用、リラックス用など様々な音源が公開されています。

適当に選んで、再生しました。

すると、ゆったりとしたギターの弦音が流れてきました。

部屋の中が穏やかな空気で満たされていくのが分かります。

まるで、南の島のホテルラウンジに居るかのような気分です。

ぼーっとしながら曲を部屋に流しているだけで、傷ついた感情を少しずつ撫でてくれるようでした。
明るいだけではない、どこかアンニュイなニュアンスが含まれることも、心を刺激しすぎない要素のように感じます。

あまりに素晴らしいので、この記事を書いている間もずっと流しています笑

同じ音でも、感情を全く違う色々な方向に連れていってくれますよね。

僕は割と邦楽ロックが好きで、激しめの音楽がお気に入りに多いのですが、ボサノバも大好きになりました。

おかげで、ささくれだった気持ちが落ち着きつつあります。

この記事を通して俯瞰できたこと

振り返って記事を書きながら、気付いたことがあります。

  • Kさんは、なぜあんなに怒っていたのだろう

  • その様子に、僕はなぜ怒ったのだろう

  • なぜ「失望」という感情が生まれたのだろう

その3点は、僕にとっての宿題かなと思いました。
きっと、「投影」や「期待」など、様々な観点で紐解くことができるのだろうなと想像しています。

話すことは離すこと

僕が心理学に出会って、救われた言葉のひとつが、この「話すことは離すこと」でした。
今回は誰かに喋ったわけじゃないけれど、こうして文字に起こしてアウトプットしたことで、様々な発見と、癒しを与えてくれました。

ブログのネタにもなったし、気に食わないけれど今夜のところはKさんを許してやるか!という気持ちもほんの少し湧いてきたところで、筆を置きたいと思います笑

それでは、また次の記事で。

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