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本を買いにGoToした話

2020年 10月 7日

ぼくにとって、さまざまな感銘や影響をうけたものがある。


若林正恭著「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」である。


3 年前に発売された本書は、お笑い芸人オードリーの若林正恭さんが、

遥か遠いキューバへ自分を探しにいく旅行記である。

しかし、本書はたんなる旅行記ではなく、キューバを通して

かつて周囲を斜めにみていた自分と、これからの自分との対話だ。

人見知り芸人、じゃない方芸人とカテゴライズされていたデビュー当時、

なぜこんなにも出る杭はうたれ、嘲笑されてきたのか。


現在、40 歳を超えてテレビ番組でMCをするようになり

番組制作の意図を汲み取り、誰も潰さず進めていかなくてはならない。



そして、2020 年 10月 7日

この度、文庫版が発売された。

あれから月日が経ち、結婚をし、周囲から評価される立場から周囲を評価していく立場になり、年齢とともに大きな変化が伴った。

中には加筆されたページもいくつかある。

ぼくは、社会とはなにか、なぜそんなルールが存在するのか不信に思い、異質だと思ってしまっていた。そんな中で本書を読みこんなにも生き様を代弁してくれる、異質を本質に捉えられる人物がいることに驚いた。



セレブ犬〜が僕の指南書であり、
若林正恭さんが僕の指南書であるのだった。
(もちろん若林さんはそんなことを望んではいないが)

追記

読書後の感想は、また別ノートにしたためさせてもらいました。興味があれば流し見でもしてみてください。(2021.01)


発売日

僕はネット上での注文という文明の力を廃止し、店舗にて購入するという手段を選択した。

店舗の方が手に取って選択ができる現実味があり、興奮させられたからだ。

仕事終わりに近くの書店へ出向き探すも、新刊コーナーに姿はなかった。

「まあまだ1店舗目だ、焦る時間ではない。」

自分に言い聞かせながら、そこから少し歩いて2店舗目。

この店舗は通い馴染みがあり、ふらっと立ち寄ることも多い店舗だ。

ただ期待はしていなかった。かつて過去にも購入を懇願した書籍も存在しなかった経験があるからだ。

「ほら、もちろん新刊コーナーには無い。」

3店舗目

...

4店舗目

...


無い。

無い無い。


どこまで足を運ぼうが、そこに姿は見当たらなかった。

40分もかけて訪れた店舗にも、ぼくの欲しい書籍はなかった。

本来であればすでに手にいれ、スキップでもしながら路地裏や商店街、大通りを悠々自適に走り回っていたころだが。

あたりはすでに真っ暗闇、僕の手に握られていた携帯端末は、僕の顔に光源を浴びせ続けていた。

今や電子書籍で簡単に本が読む事ができる時代だ。出先でもダウンロードしておけばいつでも本が読める、分厚い紙の束も薄い液晶の中にぴったりだ。

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端末に照らされたぼくの顔が闇夜に浮かび、ぼくの肩は落ちることしかできなかった。右肩下がりどころではない後天的ななで肩にまでおちていった。


翌日

台風14号が日本列島に到達しており、全国各地では車が浸水したり、屋根の瓦がむきだしになっていた。ニュースで中継先のキャスターが防波堤の近くで雨に打たれながら一語一句事実を届けていた。案外体力仕事だ。

じめっとした部屋で一人膝下ほどの高さの椅子に腰掛けながら、考える人のポーズを意図的に取りながらこめかみに手を当てていた。部屋の中の湿気と心情の湿気が見事にマッチしていたこととこれから職場へ向かい業務に従事せねばならんという事実がとてつもなく面倒くさかった。

起床してから終業までの間、頭の中では早くふんわりソファで彼の著書を読みたいという願望1つしかなかった。こんなことを言うのは失礼だが、ほとんど上の空だった。

その空の模様は、雨が強者のように降り注いでいた。


この日の仕事は午前中で終わった。職場の駐輪場で雨を待っているふりをしながら午後の予定を組み立てていた。

無駄な時間を浪費せまいと、携帯端末を使い他店舗に在庫が残っていないかくまなく調べた。まだ巡っていない店舗の在庫までテンポよくスワイプした。BPM143。

おめえら、本当は倉庫に保管してねえだろうな?

気分は捜査官だ。データベースから各店舗情報を抽出し、顧客満足度から社訓まで詳細に調べあげ証拠品として叩き上げ、物的証拠として提出するために。こんな手荒い捜査をしたところで誰にも「意義あり」とは言わせないぞと奮起する僕を俯瞰で見ているもう一人の僕が「なるほどう」と唸っていた。


どうやら駅から歩いて15分ほどの場所に、在庫あり。の文字。

勝った。

自室のいつもの定位置で、ホットコーヒーをサイドテーブルの上に。脚をフットレストの上に乗せた自分が、彼の著書彼の文字に視覚を奪われ、陶酔している姿が用意に想像できた。

空は雨模様だが、今まで気性の荒いマイウェザーもすっかり那覇太陽カンカンだ。


ブラック職場に背を向け愛着のないままチャリのペダルを回し、ケイデンスと心拍数は上がるばかりだった。

電車を乗り継ぎ、店舗までのストレートストリートを歩いて向かっていく。

在庫があるらしいお店が見えた、ここにあると思うだけでマスクの下の口は緩むばかりだ。

自動ドアをくぐると、通路には淡い赤の絨毯(のように見えた)、両脇にはファッションブランドが立ち並んでいる。

本屋はまでの道のりは5分とかからないが、中央に敷かれた真っ赤な絨毯が目指すべき書店まで伸びきっていた。向かう気分はまるでアカデミー賞受賞だ。隣ではアンハサウェイがファンやカメラマンに気分よく写真撮影に答えていた。海外セレブは案外ファンサービスが良いもんなのだななどと思いながら、僕は両脇のオーディエンスに見向きもせず、真っ直ぐに本屋までドクターマーチンをくぐらせた。あとでTwitterでファンサービスがなっていないと叩かれたって上等だ。でもちょっと怖いからお詫びにInstagramに愛犬とのツーショットでも上げとこ。


着いた。


陳列棚に目をやるが、思い当たる表紙は見当たらない。

俺は今夜は、この本に没頭し読み耽っていかばければならないのに、なんということだ!みんなが俺の娯楽を邪魔している!

「すみません、こちらの書籍を探しているのですが」

僕がそう聞くと、店員はバックヤードへと入っていった。

さあ早く出せ、もうそこに隠しているのは分かっている。嘘など無意味だ。

しばらくして出てきた店員の手はかっらぽで、話を聞いていたのかと憤慨したくなるほど冷たい言葉をかけられた。「在庫ございません、明日入荷になってます。」

これは後で分かったことなのだが、働き方改革やらなんやらで、私の住んでいる西日本エリアの入荷は1日ほど遅れるとのことだった。

中国地方(鳥取県・島根県・岡山県・広島県・山口県)では、雑誌と書籍の発売日がこれまでより1日遅れる。九州地方(福岡県・大分県・佐賀県・長崎県・熊本県・宮崎県・鹿児島県)では、一部の週刊誌の発売日が変更となるほか、書籍の発売日がこれまでより1日遅くなる。

空が泣いているという比喩表現をされることがあるが、泣きたいのは僕のほうだ。そうだ雷雨だ。


静岡あたりののぞみくらい早い

まずは自分を落ち着かそうと、近くのベンチへと向かい腰を下ろした。

僕は手元の携帯端末を手に取り、今いる場所から一番近くの書店・欲しい本の在庫がある書店を片っ端から検索にかけた。手慣れたもんである。

しかし、僕の住む場所は田舎で何をしようにも電車を乗り継いでいかなくてはならないくらい辺鄙な場所なのだ。よって、他に大きな書店はもちろんないし、西日本での入荷が後日な以上、僕が決めた選択肢はただひとつ。

県外へと出向くこと。1日我慢したんだ、苦肉の策だった。

これは、賭けであり無謀なチャレンジだ。

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気づけば、一番早い新幹線のホームに立ち、時代の流れを象徴するように走る新幹線を見つめていた。往復で1万円しようが構わない、これは投資であり書籍の倍もする値段がかかったところでそれくらい付加価値のあるものなのだから後悔などしない。といった価値観にまで思考が錯乱していたことだけは今も覚えている。


自由席に着き、その車窓から見える景色はとても早かった、雲の移動も新幹線のスピードが増すにつれ雲行きが変わっていき帰りに少し雨が降るのではないかと不安になるくらいには移ろいでいた。20分とたった頃には僕の高なった鼓動も落ち着きを取り戻し、むしろ怒られた後くらいしんと静まり帰っていた。

中学生の家庭科の授業で調理実習があった時、まな板の上の包丁が手前でなく相手側に向いていたことをきっかけに先生に叱責され、そのあとの調理に参加させてもらえずに壁際の丸い椅子で肩を落としてみんなの和気藹々とした空気を肌で感じていた時。あの時のなんともいえない空気感と疎外感に似たようなものを同じく感じていた。

県外に旅行をしていた時は、地元にはないお店の名前がたくさんあり、ビルの乱立と企業の対立を想像させられた。僕が到着した初めて来店するこの書店は、駅に併設しており、改札口から出てすぐお土産商品が売られる商業施設が立ち並んでいた。その一角に目標地点が見据えていた。地元の書店を巡っていたときはアカデミー賞などとフォーマル衣装に心も包まれていたが、今はドンキホーテスウェット田舎男の顔つきになっていた、クロックスにいくつかのピンバッジもついてもいいだろう。

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お目当ての本は新刊コーナーにさっさと見つかった。欲しい本に直行して手にとるとなんだかそれが目当てで来たやつだと思われそうだったから、周囲をぐるっと回ってから商品を手に取った。本は生温かった。

レジに並んでバーコードが読み取られた後からは記憶はほとんど無いが、家路につくまで待ちきれず、帰りの新幹線や駅のホーム、壁際に立ちつくして文字を読み漁っていた。

僕がこの一連で感じたのは。

僕という人物は、自分が好意をもっている物事にはコストパフォーマンスや損得を考えずに行動するタイプだったということで、そんな自分に少し引いていたことだった。なにせそこまでしなくてもとは思うが、自分への投資・生活・生き方が豊かになる投資は消費していいと思った。

何事にも興味が少ない自分は、多少なりとも受動的ではなく能動的に興味をもって進んでいくことが出来ずに生涯反省していくだろうし、分かっていても行動できない自分にもまたこれからずっと恥じていくだろう。

10年・20年先にもまだ変われていない自分を想像するだけでため息がでた。勝手に孤独を感じて自分の負の源にまずは自覚していることを褒めて撫でてやるしかなかった。


さいごに

どこまでの先の見えない不安を、取り除くには長期的な時間はかかるかもしれない。だけど、じぶんで決めたことなら、周囲を変えたって、考えを変えたっていいじゃない。新幹線から見たグレーの雲が様々な形にうつろっていったように、社会もそして私も影響を与え合いさまざまな形に変化していってもいいじゃない。

2020年 12月某日、冷え切った部屋より___

もちろん、最新の注意を払い感染予防はしっかりと行いました。

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