誰かであり、誰でもない───「しまなみ誰そ彼」
「たすく、お前ホモ動画見てたん? お前、そうなん?」
夏休み前、クラスメイトに問い詰められる少年・要 介(かなめ・たすく)。
彼には想いを寄せる同性の同級生がいた。
ゲイ。レズビアン。トランスジェンダー。アセクシャル。クエスチョニング。
「性的少数者」と呼ばれる人々にも様々な呼称がある。
呼称がある事に対して安心感を覚える人もいれば、
そのカテゴリに当て嵌まらない、当て嵌めたくない人もいる。
「しまなみ誰そ彼」は、広島・尾道を舞台に、
「誰かさん」の「談話室」に集う、様々な人達の世間や自分との関わりが描かれています。
───
異性装をする小学生の男の子・美空 秋治。
しかし、男性を好きなわけでも、女性になりたいわけでもない。
性的少数者同士だから分かり合える。
なんて事はありません。
たすく少年は秋治くんを分りたい、
自分が「そう」かもしれないと思った時に居て欲しかった理解者になりたい、と思うも、
なぜ秋治くんが女装をするのか分からず、衝突し、
秋治くんは談話室を訪れなくなります。
───
空き家再生活動を行う「猫集会」の代表・大地さんはレズビアンの女性で、
話の流れで地域振興課の職員にカムアウトしてしまい、
「猫集会」は「そういう人たち」の集まり、などと思われる。
───
左官職人の内海さんは、女性から男性になったトランスジェンダーだった。
「猫集会」の活動で女性だった時代を知る同級生・小山さんと再会する。
小山さんは「絶対の好意」で性的少数者へ寄り添おうとする。
たすく少年が想いを寄せる同級生・椿 冬馬は自分が、「猫集会」のみんなが何か分からず苛立つ。
クラシック音楽を流す「チャイコさん」には闘病しているパートナーがいる。
「談話室」オーナーの「誰かさん」は、…。
自分が何者かわかっているひとも、わからないひとも、
決められないひとも、決める必要のないひとも。
様々な人が集う「談話室」。
LGBTQ+とは?
多様性とは?
自分も「そう」かもしれない。
「そういう人」の事は怖い。
なんだかよくわからない。
そんな方に一度読んでもらいたい作品です。
登場人物がニックネームで呼び合うのが、
なんだか児童文学のようでとっつきやすいな、と個人的に思っています。
けど、内容はグッと心にくることばかり。