Day8 ことし手に入れたい理想の環境は?

否定や批判、悪口や陰口、強制や同調圧力が強かった環境から抜けたこと、これがまず私にとって大きな、大きな一歩で、
そこを出た事こそが私の幸せに繋がっていると心から感じているし
いま、私は心身共に本当に健康だと胸を張って言えるし、実際そうだ。

心の感度が戻ってきたと言うべきか。
きっと今なら、あの映像作品を観たとしても、感動すると思う。たくさんの気づきや学びがあると思う。

それが何より嬉しいし、ありがたいし、そんな自分が好きだ。

生活をしていても、何気ない事に嬉しさや楽しさを見出している。

昔は、「生活」という括りのものが、非常にめんどくさかったし、嫌いだったし、むしろ放置していた部分があった。

もちろん、今でも面倒と思うこともあるし、サボることもたまにだがある。笑

でも昔に比べて格段に「生活」することに、生きる歓びを感じている自分にトキメキトゥナイトなのだ。


「暮らし」と括ると、なんだかオシャレ度合いが格段に上がるが、ちょっと私には違う。 

「暮らし」に憧れや、少し背伸びした居心地の良さを感じる反面、どこか地に足をつけていない感、違和感みを感んじてしまうのだ。

それは丁寧な暮らしとか、
シンプルな暮らしとか「暮らし」の前の形容詞がそう思わせてしまう要素がある事も1つにあるが、どこか「暮らし」には洗練されたもの以外をそっーと排除するような、
限られた層の人たちが手にする様な、そんなニュアンスが私の中では確率されている。
だからこその憧れがあるとも言える。

それに対し「生活」は生きる全てを包み込むような、どんな生き方をも肯定して受け入れてくれる、そんな親しみやすさ安定さが抜群なのである。


そして全ての人間の土台、基盤となっている、その人の人生そのものの生き方が滲み出てしまっているから、愛おしさが半端ないのだ。


生きている限り、生活は続いていく。
地続きのようにずっと、ずっと続いていく。


例え、廃人のような時間を過ごそうとも、
それもあなたの生活で問題ない、いいのだ。

生活は変容していくものだから、いつかは廃人生活が終わりを迎えることだってある。
そのまま終わらずに人生を終える人だっていると思う。

でもどんな時間の過ごし方をしようとも、オールOKだし、それを他人がとやかくいう権利は誰にもない。親であってもだ。

根気よく、見守るしかないのだ。
そしてその一歩を踏み出そうとした時に、また踏み出した時に、横で手を取ってあげたら、きっと何よりも心強いはずだ。


もちろん手に入れたい理想の環境はなにかと色々あれやこれやと考えたりもしたが結局のところ理想を追い求めるよりも、自分がアウトと思うものを1つでも自分の周りに置かないという選択をする事が理想への近道なのだと私は思う。

理想をかかげ、そこに向かって走る事は良い事であるし、正当だし、かっこいいと思う。でも時に、それが自分を苦しめる事だってある。

人生は、あっという間だが、人生は、長いとも言える。

ゆっくりと、着実に、虎視眈々と自分の生活をみつめながら、
愛でながら、楽しみながら、ライフステージを変えながらもその時の自分に合った、心地よい生活をこれからもしていきたい。
取捨選択していきたい。

それが私の幸せだし、心身が健康で生きる、という事であると思うから。


生活は続くよ、いつまでも、どこまでも。

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