見出し画像

親の時間の余裕格差が子どもの教育格差を生む

コロナの影響で保育園が休園のため、ここ2ヶ月息子とベッタリしている。

イヤイヤ期まっただなかの息子とずっといるのはしんどいときもある反面、成長著しい今を一緒に過ごせてとても嬉しく思う。

私が食事を作っているときはふだん息子はおもちゃで遊んでいるかテレビを見ている。

今日はどうしてもつきまとってきたので、時間の余裕もあったし、初めて息子に料理の手伝いをしてもらうことにした。

献立は、豚肉の甘辛炒め、筑前煮、ほうれん草のみそ汁、冷やっこ。

筑前煮のためのさやえんどうのヘタ取りをやってみせる。触ったことのないさやえんどうに興味津々の息子。

「息子ちゃんもやってみて」と渡すと、さやえんどうをブチブチちぎる。さやえんどうがとても細かくなった。一生懸命ちぎる姿がいとおしい。

するとほうれん草を見つけ、「はっぱ!!」という。これも切るのを手伝ってもらおう。

「こうやってちぎって、ちぎったやつはこっちに入れてね」と伝えるものの、いまいち伝わらずちぎったほうれん草を散らかす。みそ汁に入れるだけだからぐちゃぐちゃでも大丈夫。

これだけの作業におよそ30分。時間と心に余裕がなければやっていられない。

ここでふと冷静になる。

私に時間と心の余裕があるのはコロナの今だけなんじゃないのか?仕事が通常に戻ったらどうなる?

長距離の満員電車にゆられ、帰ってくるだけでクタクタの日常。会社の人たちに気を使って、自分の食事などどうでもいい。

一刻も早く済ませたい食事。作るのに30分も余計な時間をかける気持ちの余裕などない。

しかし私に余裕がなければないほど、息子の学習の機会が奪われるということだ。専業主婦で子どもにとことん手をかけてあげられる家庭の子どもの方が、丁寧に教育されることになってしまう。

それは嫌だな。「忙しい、余裕がない」は言い訳だ。

むしろ、息子にとっては学習の機会などではなく、新しい楽しいことの一つであるに違いない。

どうせ息子が寝るまでは一緒にたくさん遊ぶのだ。お手伝いも遊びの一環として捉えて、「負担になる」「自分でやった方が早いのに」などと思わなければ済むことだ。

いろんなことを経験させてあげることは息子にとって意味があることなのは明白。

シングルマザー、ひとり親、そういう言葉を言い訳にせずに自分なりに息子と向き合う方法を模索していきたいと思った。

明日はなにをお手伝いしてもらおうかなあ。

読んで頂いてありがとうございました! 息子のリンゴジュース代にします。よろしくお願いします。