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”○○っぽい”について考えてみた

ただ漠然と○○っぽいなと感じたとする。
それはそう感じさせる要素が何かしらあるからであって、まったく何もないところからは○○っぽいという感じすら湧き上がってこないだろう。

それでは”そう感じさせる要素”というのは何だろうか。
例えば、知り合いがある有名人に似ていたとする。
それはおそらく目の形だったり、顔のパーツの位置だったり、髪型や雰囲気だったり、”どこか”がにているわけで、似ている部分が多ければ多いほどより○○っぽいねとなるわけである。

つまりは○○っぽいというのはとても抽象的な表現であって、○○っぽいだけで伝わる人もいればそうでない人もいる。
伝わらない人にとっては、何を根拠にそう思ったのかがわからないからだ。

○○っぽいで伝わらない人にも共感してもらうためには、その○○っぽいという感情をもっと深堀する必要がある。
どうすればいいのだろうか。
それは、○○っぽいを分解していくこと。
その対象をよく観察していくと、どこかで”ハッ”とする部分があるはずだ。
その部分をもっと観察してみる。
そうすると、”ああ、この人の笑ったときの口の形がそっくりなんだ”とか”目の縦幅が広いところが似てるんだ”など、より解像度を高めて表現することができる。

誰かが誰かに似てるということ以外でも同じだと思う。
例えば、どこかに旅行に行ったときなどに”この場所来たことあるかも”と感じることなどだ。
この位置に桜の木が生えていて、その近くにベンチがあって、目の前には大きな観覧車が見えるところが前に住んでいた公園に似てるなと感じたり。

すべては事実の積み重ねだ。
事実の積み重ねによって物事を判断しているに過ぎない。
積み重なった事実一つ一つがその考えの根拠になる。

より多くの人に共感してもらうためには、判断材料となる事実をより多く感じ取って、自分の伝えたいことが一番伝わるだろう場面を切り取って、より伝わりやすくなるように場面と場面を貼り付けてコラージュする。

なんて面倒くさいさぎょうなのだろう。
でも伝わったときの感動は計り知れない。

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