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掘り進めた先にはなにがあるのか、それが見たくて掘り進めるのだの話

人の人生を鉄鋼採掘のようである。

いて座♐️みたいな道具で
掘って前に進む、
この先には何かあるかもしれないと思いながら。

でもその何かってのは
自分で掘り進めていかないと絶対に見つからない。

鉄鋼採掘でいうところの
【掘り進める】は行動するってことで
【何か】ってのは自分の夢を叶えるハシゴになるもの
ってことだと解釈している。



わたしが
いて座を使ってカンカンと目の前の土を掘っていかないと
わたしはずっとおんなじところにいるわけ。

掘らければ何も出てこない。
掘らなければ
ミミズとかね、モグラの巣穴と遭遇することはない。
ただ、本当に何も出てこない。

最初のうちはいいかもしれない、
その穏やかな洞窟でお茶でも飲んでごろごろしてるのは。

でもその生活がしばらく続くと
ミミズが出てきて騒いでいる隣のあの子が羨ましくなる。
偶然、遭遇したモグラと意気投合して
「地下10m、22世紀のマイホームのカタチ」
って本を出したあの子のことを

「あの子は違うもんね〜」
って、境界線を自分で張って
できない自分に深い傷を負わせる。


傷つかせるのも
傷つくのも
喜ばせるのも
喜ぶのも
全部わたし。

会社でも家族でもパートナーでもなく。
大切にしないわけじゃない、
でも、わたしは自分の洞窟を採掘するのに忙しいのだ。
みんな本来は自分の洞窟のことで
忙しいはずなんだろな。

でも掘り進めるのが大変だから
人の洞窟にちょっかい出したくなる。
そんなことしても自分の洞窟は掘り進められないのに。


そんなことを思ったら
わたしは人の目を気にしている暇ないわと思った。
せっせと自分のことをやらないと
あっという間に人生が終わっちゃう。

だって今年も半分おわっちゃったんだもん。

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