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四国のひとに聞いてみる!Vol.3〈鈴江俊郎 氏〉 -芸術に今、これから出来ること-


記事をご覧いただいている皆様、いつもありがとうございます。
今回は愛媛県にて活動されている鈴江俊郎さんにお話をお聞きしました!

鈴江俊郎(すずえとしろう) 氏(office 白ヒ沼 代表)
<プロフィール>
大阪府生れ。大学在学中に演劇活動を始める。1993年ー2007年まで劇団八時半の主宰として京都で活動。以来、ほぼ全作品の作演出を手がけ、俳優として舞台にも立つ。関西劇作家の登竜門だったテアトロ・イン・キャビン戯曲賞やOMS戯曲賞だけでなく、シアターコクーン戯曲賞、岸田國士戯曲賞、文化庁芸術祭賞大賞(演劇部門)など戯曲賞を受賞。
戯曲は英独露インドネシア語に翻訳され海外でも紹介されている。

- 鈴江さんのこれまでの活動を教えてください -

学生時代に京都で演劇を始めました。はじめは大学の先輩たちのいる劇団に入ったんだけど4か月ほどでやめちゃって、劇団立ち上げて活動してました。

京都大学の今で言うブンピカ(文学部学生控室)ってところ、もともとはたまに美術部が使う程度で、あまり利用されてなかった部屋だけど使えるんじゃない?ってそこを僕らで小劇場みたいにしちゃったり(笑)
大学の一角で、朝方まで稽古なんてことをずっとしてきました。当時は大学の管理も今ほどは厳格じゃなくて、劇団やバンドの練習場所として貴重な場所でした。わりと大学に関係ない人たちもウヨウヨいるっていうのもよくある風景でした。自由で豊かな場所でしたね。

京都で演劇続けていくうちに京都舞台芸術協会や京都芸術センターの立ち上げに、松田くん(松田正隆 氏)とか土田くん(土田英生 氏)、杉山くん(杉山準 氏)らと走り回ってましたね。
大阪で扇町ミュージアムスクエア(OMS)が閉まったあと、大阪のど真ん中に小劇場を取り戻す会、てのを結成して運動したら小劇場がひとつ出来上がったり、東京の仕事なんかもして演劇活動をしてきました。


- 現在はどんな活動をされていますか? -

今は愛媛県の西条市でぶどうを育てています。畑を持って、春から秋くらいまではぶどうを作って、それ以外のぶどうの作業がない時期、秋から冬にかけて芝居をつくる。いわゆる半農半芸の生活をしています。この冬は伊予西条駅前のさびれたアーケードの一角にある閉店されたかばん屋さんを、仲間を集めて壁抜いて天井抜いて黒く塗った空間に変身させてそこで芝居しましたよ。名付けて■Ishizuchi倉庫、って空間です。

都会と違ってこっちだと人と人とが繋がりやすいんですよ。都会は、確かに人はいっぱいいるんだけど繫がれないんだよね。逆に多すぎて。
面白いカレー屋さんとか林業の人とか木工作家さんとか。1人につながったらどんどん繋がっていきます。

そういう人たちって何かものづくりするとき、お金出されたら逆にしらけちゃう人たちなのかもしれないと感じますね。(笑)
自分たちの場所は自分たちでつくる、そんな人たちとけっこう出会えます。自分たちが芝居を始めた頃は、芝居はスタッフとかもお金払って業者に頼むとかじゃなくて、自分たちの手でやるものでした。分からなかったら先輩の現場手伝って得ていく。自分らでやっていく。このへんの農家のおじいさんは自分の倉庫や作業場はおおきなものでも自分で建てちゃう。すばらしいですね。

今は山や川、畑といったそこならではの環境にあった劇場づくり、創作の場をつくろうとしています。
ツリーハウスみたいに木の上にある劇場とか素敵じゃないですか(笑)
それを自分たちの手でつくることが大切だと思うんですよね。その横にカフェがあったりとかね(笑)


- 昨今の新型コロナウイルスによる影響をどう捉えられていますか?また、ご自身の活動に影響はでていますか? -

僕自身は今のところそんなに影響をうけてないんですよね。
たまたま、ぶどう農家やってるから今の季節は演劇の予定はしてなかったので。
でも僕の戯曲を使って上演する予定だったいろんなひとたちの公演が中止になっていく話がちょくちょく届いてそれは寂しく思う。せっかくここまで公演の準備してきたのに。

ただ、演劇人は公演が決まってないと稽古とか勉強しない人多いでしょ?
でも音楽家の人たちって次の発表の場とか決まってなくても家でひたすら練習してるものです。
役者さんとか公演ない時期、家で色んな戯曲読んだりしてる人って全然聞かない。この自粛の時期は勉強の時間にあてていいと思うよ。普段出来てない分、改めてインプットの時間に。あと、どうやって食べていくかを考える時間。30代で役者をやめていく人が多いけどアルバイトとかでずっと続けていくのってやっぱり無理があるでしょ。それをどう変えていくか。環境に任せるんじゃなくてどう社会を変えていくか。自分はどう戦略を立てるべきか。どうやったら演劇を続けていけるのかを真剣に考える時間として使うべきだよね。
僕は本当に色んな役者さんの末路を見てきたからその必要性を余計に思う。

あと行政のお金の使い方ですよね。文化に対するお金は増えてるとは思うんだけど、地方に東京の劇団呼んで、演出家呼んでハイ終わり。っていうのが多すぎる。それじゃあ地方の作り手は育たない。文化って何やねんってこの時期に考え直すべきですよ。


- この状況下に置かれた舞台芸術がなせることは何だとお考えですか? -

さっきも言ったけど舞台芸術について考えるっていう時期にするしかないよね。公演はうてないんだから収まった時に何が出来るかアイデアとエネルギーを蓄える時期。
あとは劇場をつくる準備をすること、運動することかな(笑)
お金はないけど自分たちで産み出す場所。お金は産まれないけど、ストーリーを産むことが大事だと僕は思ってる。

それは京都芸術センターとかアトリエ劇研も同じこと。
センターの設立に関わったり、アトリエ劇研が無門館の時代、劇場が閉鎖になったところを再開館させる動きをおこした照明家たちを手伝ったり、そういった経験があるからほんとにそう思う。
こういったところが生まれることによって、人が集まって、地域に多様性とか活気とかが生まれる。活気が生れたら長い時間はかかるけど経済にも好影響はあるものです。
行政がお金をぽんと出して2~3年で結果だすとかそういう事ではないよね。


- 愛媛・四国での今後の活動について教えてください -

ここには演劇する人は少ないけれどいろんなジャンルのクリエイターが実はいっぱいいるし、お金なんかいらんから自分たちで作って、そこに出来たものや、場所に誇りをもてる人たちにわりあい出会えます。
1ヘクタールくらいの自由に使える土地を買って自分たちでツリーハウスとか作って、各地のアーティストが合宿に来たり、創作の場に出来たらなと思ってます。

今のままではいずれ愛媛に劇を発表する人を育てる場がなくなって総合芸術をするひとがいなくなる。それは本当に感じる。
たとえば、ちゃんと一から照明をつくる、そして自分たちでデザインしてトンカチやってできる装置、そういう「自ら作るアート」である舞台に立つ人が本当に少ないですよね。
この場合必要なのは大中の劇場じゃなくて、小劇場。面白いことをする人、お金はないけどやってみたいって人が出来る、素人に毛が生えたような技術でも自分たちでいじれる空間。演劇を盛り上げるために必要なそういった場所をつくっていこうと思ってます。

あとは、ぶどう園の隣にでっかい人形つくったりかな(笑)


鈴江さんありがとうございました!

インタビュアー:田中直樹(東温市 地域おこし協力隊)



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