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五島列島の歴史と人々

長崎の五島列島にきている。
夏休みの旅行だ。
私は島が好きだ。
島は独自の文化があるからだ。
五島列島はたくさんの文化エッセンスが混ざり合う島だ。
有名なのは隠れキリシタンだが、それはこの島の人々の性質の表層を掬ったに過ぎない。

 日本列島が大陸から切り離された時、最後にくっついてきたのが五島列島だそうだ。
五島列島には、お葬式に花火をあげる風習がある。
中国の文化の面影がある。
 お盆にはチャンココ踊りが街を練り歩く。
藁の腰ミノをまとい太鼓をたたく。腰ミノはどこかポリネシアを思い起こす。南方の海洋民族が持ち込んだ風習と日本のお盆が混じり合ったのだろう。
 五島は、遣唐使が日本最後の地として立ち寄った地だそうだ。その船団の風景を大切に語りつぎ、絵巻に残している。
かつては、珊瑚船がたくさん海にでて、いのちがけで深海珊瑚をとり、それを加工して輸出していた。
海とともに海の恵みを糧に暮らしてきた。


ばらもん凧 キーホルダー

 ばらもん凧という鬼の形相をした凧がとても興味深い。ばらもんとは五島の方言で、荒々しい、勇気ある、という意味だそうだ。絵柄ついては、全体の上部が鬼の顔、中段部が武者鎧の後ろ姿、下段部が嵐の中の渦がデザインされている。
一番目をひくのは、鬼の顔の下が武者の鎧になっていることだ。しかも背中側だ。コレは鬼が武将と真正面から対峙して、頭を喰わえた瞬間を現しているそうだ。
嵐の中、鬼が武将の頭兜をくわえたままで前へ進み続ける、敵に後姿を見せぬ勇猛な武者を表現しているとのことだが、武者が主役ではなく、鬼(ばらもん)が主役な気がするのは私だけではないだろう。
 このばらもん凧の特徴としてもう一つ着目すべき点は、絵柄の中にクルス(ポルトガル語で十字架)の形があることだ。その特徴と出所は不明であるとのことだが、隠れキリシタンの歴史をもつ五島であるだけに、キリシタン迫害の歴史を考えると、ばらもんが五島の人々で、従わせようとした武者(豊臣政権)に抗う姿を暗に印したものではなかろうか。
 いまでは男の子の初節句(旧3月3日)に我が子を思う親、祖父がこのばらもん凧を作り、天高く 揚げながら、子供の厄を払い無事成長と立身出世、家内安全を祈願するものとなっている。


堂崎教会


 福江島の北東の岬にある堂崎教会に行った。
煉瓦作りのゴシック建築で、県の有形文化財に指定されている。
五島にあるカトリック教会達は、明治政府から禁教を解禁されてから建てられたもので、ようやく信心を表に出せるようになった喜びで島のあちこちに建てられた。信者による手製のステンドグラスなど、とても可愛らしく温かみを感じるたてものが多い。
 その中でひときわ厳かな雰囲気があるのが堂崎教会だ。堂崎教会は聖ヨハネ五島の遺骨を納めているという背景から、いまは内部は教会として使われてはおらず、キリシタン資料館としてキリシタンの迫害の歴史が展示されている。
踏み絵や、観音マリア像、26聖人処刑の絵図には
信者の苦難の歴史が刻まれている。
 何よりも印象的なのは、庭にあるヨハネ五島の殉教像だ。ゴルゴダの丘のイエス様と同じように、秀吉の命により、長崎の西坂の丘に磔刑にされた26人の神父や信者の中に、五島出身の19歳のヨハネ五島がいた。その最後の瞬間の銅像だ。
私はキリスト教徒ではないが、畏敬の念を込めて写真に納めるのを遠慮した。
東洋人の風貌、頭にマゲをゆった若い青年の表情は、諦めとも苦しみともとれる。

 キリスト教の禁教は、秀吉の世界的視点からヨーロッパ諸国から日本防衛をすべきという対局感であったし、その後の日本が鎖国により江戸まで平和であり、庶民文化が花開いたのは事実である。
秀吉は薩摩の島津氏と対峙した九州平定に20万の軍勢を引き連れて行った。そこに勝手に同行したポルトガル人でイエズス会の布教最高責任者であったガスパール•コエリョに対し、秀吉は以下の質問をした。

なぜ、日本人をキリシタンにしようとするのか?
なぜ、神社仏閣を破壊し、坊主を迫害し、融和しようとしないのか?
なぜ、牛や馬(農耕、戦に有益)を殺して食うのか?
なぜ、日本人を買い奴隷として海外へ連れて行くのか?

この問いの答えに満足せず、バテレン追放令をだしたという。
事実、イエズス会のトップはときの政府の命をうけたスパイであったと言われている。
日本が中国のようにヨーロッパ諸国の植民地にならなかったのは、軍事大国であったから、と言われる。
日本の軍備はその当時、鉄砲を独自に量産していたし、戦国を勝ち抜いてきた鼻息あらい武将(ショーグン)たちが各地にいた。
きっと密書で母国に報告されていただろう。

 末端の神父は純粋な布教をし、日本のキリシタンもその教えを純粋に信仰をしたのだろう。
その純粋な信仰がこの小さな島々に残っているのは五島の人々の「ばらもん」(荒々しさ、強情さ、粘り強さ)気質をあらわしている。
その反面でさまざまな文化を受け入れ融合させる島人のおおらかさも感じた。
また行きたいなと思う島である。


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