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ある格言の話……♪

 とある格言を得意気に語る人がいる。人によって好きな格言と言う人もいる。

 本来なら別にどうでもいい話の筈なのに、その格言を好む人達の考えに違和感・モヤモヤを感じたりする事が多い。本当に偉人と呼ばれる人はそんな意味の言葉を発したのだろうか? 偉人があまりにも浅慮・浅薄ではないだろうか?と……。

 その格言とは『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶだ。

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 この格言を言った人ってビスマルクというらしい……
 自分的にビスマルクは……

ビスマルク04

 このイメージか…もしくは…

ビスマルク

 だったけどネットで調べたら…

ビスマルク2

 上図がカワイイ。でも今回のビスマルクさんは…

ビスマルク3

 こういう人っぽい……。強面だ。

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■記事を書いた動機
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 この格言を述べる人たちは、自身だけでなく他人の経験も馬鹿にする傾向を感じる。そしてどこかの誰かが書いた歴史という情報を鵜呑みにするような態度・傾向を感じたりもした。

 本来、歴史とは他人の経験の事象(表層)を誰かが記したモノだから、歴史と経験には類似性はある。でも他人が語る事象(表層・歴史)を知ったところで、当時の当人たちの真意や内情まで詳らかにされていない事も多い。仮に当人が世間向けに書かれた資料があったとしても、真意や内情を隠している事も多々あるだろう。更に言えば当時の常識や記載漏れによって、我々では読み説く事が出来ない情報もあるだろう。

 だから歴史の知識を知ったからといっても安易な参考や真似では上手くいかない事があるだろう。自身の経験にそのまま役に立てられるかどうかは、慎重に熟考する必要がある。

 しかし、自分の知った意見(知識)が如何に正しいのか補強する為に「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉を使う人・好む人がいる。そして本当に、そういう用途に使えるような格言なのだろうか?とふと、この格言の真意を知りたいと思うようになった。それが調べる動機となった。

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■この格言そのものについて
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 今回題材とする格言は↑のように画像検索でもいっぱい出てくる「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」。更に発展バージョンとして「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。そして聖人は経験から悟る」というのもある。今回「聖人~」の話は深堀しない。

 この格言について日本のサイトでよく見かける解釈は……

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★愚か者は経験しないと理解できないが、賢い人は経験せずとも過去の歴史からうまくいかなかったパターンを理解して備えることができる。
★自分が実際に遭遇した出来事である経験で学ぶのは馬鹿がする事。歴史から学んで予め予防する人が賢い人だ。

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 この格言を発した人はドイツの人で、ドイツ語の原文と、英語訳もあるらしい。

★ドイツ語
Nur ein Idiot glaubt, aus den eigenen Erfahrungen zu lernen.
Ich ziehe es vor, aus den Erfahrungen anderer zu lernen, um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.


訳:愚かな人は、自分の経験から学びたいと思っています。私は、他の人の経験から学ぶことで、自分自身の問題を解決しようとしています。
★英語訳
Fools say they learn from experience; I prefer to learn from the experience of others.

訳:愚か者は経験から学ぶと言いますが、私は他人の経験から学びたいのです。

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 かなり原文と日本語訳に隔たりがある。ただ原文と違っても、日本語による格言化されたこの言葉は素晴らしいという人もいる。確かに「誰が言ったか」でよりも「言葉そのもの」の方が大事だという意見には賛成出来る事もある。

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■格言を言いだした人の話
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 この格言を述べた人が誰なのか、実はわからない。というのも述べたとされる人はいるが、本当にこの言葉を述べた人は他にいるからだ。というのもwikiで調べると「オットー・フォン・ビスマルク」という名前が出てくる。しかし「賢者は歴史に学ぶ」とか「聖人は経験を悟る」とは言っていないようなのだ。

 結論として、邦訳の出典(誰がそう言ったのか)までは到達できなかった。

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●日本語版wikipedia
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オットー・フォン・ビスマルクさん

 ココではビスマルクさんが述べられている事になっている。

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●Wikiquote
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 Wikiquoteとは、あらゆる言語における著名な人物の発言、有名な作品などからの引用、諺などを集める事を目的に、有志による共同作業による引用集サイト。

★日本語版wikiquote
日本語としては記載があるが原文が記載されており既に日本語の格言と異なる。

★英語版wikiquote
英語の紹介に例の言葉はない。

★独語版wikiquote
ドイツ語での紹介には例の言葉はない

 ビスマルクさんはかなりの有名人のようで色々な言語で記事化されている。それでも日本語の格言のような言葉を見つけていない。

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●言い回し
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 ちなみに「愚者は~、賢者は~」というような言い回しはラテン語や英語でそういう言い回しをする人達がいたみたい。ビスマルクの言葉を伝えたライターさん達がカッコ良くしたのかもしれない。その場合、ドイツ語→日本語訳ではなく、ドイツ語→英語→日本語訳と経た可能性もある。もしくは英語かぶれした日本人がカッコつけてドイツ語を日本語訳したのかもしれない。

★日本西洋古典学会

★「The Wise and the Fools」のパターン

 この事からビスマルクの言葉を、他者が超訳・魔改造を経て格言化された事が推察される。

 ビスマルク関連の書籍は古く、蜷川新 著『ビスマルク 全 英傑伝叢書 第2編』(大正6年)『ビスマルクの手紙』(昭和15年)などがある。

 また格言化されている原文を見つける事は難しいが、関連がありそうなのモノとして…蜷川新 著『ビスマルク 全 英傑伝叢書 第2編』 第8章 ビスマルクと警句、九 学術に関する批評、263頁を挙げている人もいる。しかし格言そのままというワケではなかった。

下記は国立国会デジタルコレクションからの引用

★『ビスマルク 全 英傑伝叢書 第2編』 第8章 ビスマルクと警句、九 学術に関する批評、263頁「歴史研究の必要」

★関連があるか調べきれていないが『ビスマルクの手紙』は下記の通り

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 今回の件で調べて、国立国会デジタルコレクションから書籍の内容を調べられる事を知り驚いた。まだそんなに調べてないケド、凄く便利そう!!! なので自分が失念しないよう、下記にリンク!!

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■「そして聖人は経験から悟る」……
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 日本ローカライズによるアレンジは超訳・魔改造の域に達している為、ビスマルクだけを調べてもココの答えには到達できないのではないかと思う。

 それっぽい人の意見としては…

 中国 明代の思想家『王陽明』の「書物が無くとも、思索を深めることで、人は聖人になることが出来る」という自身の体験談と類似しているのではないかと書いている。

 「真意を見抜く知恵(看破能力)」を指しているのかも…。
 あとは、この愚者と賢者と聖人を3つ並べる事で、経験しか信じない愚者からスタートして、知識を鵜呑みにする賢者を経て、聖人になりなさいと言ってるのかもしれない。雰囲気的に……レベルアップ?限界突破?進化?みたいな感じで、愚者→賢者→聖人と、みんな聖人目指しなさい的な…?

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■格言とトラップ
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 今回の件で、賢い人ほど愚かな決断を下してしまうインテリジェンストラップに被害に遭う理由の末端を知った思いがある。

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 人の特徴として、「人は自尊心が高い。一度言った事は曲げたくないし、間違っていても、どうにかしてでも謝らずにすませたい」。そして困った事に「人はとても面倒臭がり。正誤の検証なんてしたくない」傾向がある。そこで「人は“偉人が言った言葉”を尊ぶ傾向がある」「“格言”“諺”等を盲目的に信じる傾向がある」事を知っている「インテリは“知識を尊び、その知識を参考に決断を下す”事を好む」(知識を頼る事自身が悪いワケ筈なんだけども……)。

 意図的か偶発的かはわからないけども、今回の格言については、インテリがビスマルクさんという偉人を利用した上で、どこかのインテリが利用しやすいような格言に作り上げ、その他のインテリが自分の意見を補強する為に、このビスマルクさんの言葉を利用している事になるのではないかと思う。

 つまり、この格言はインテリによる自家発電(自作自演とも)になっている気がする。

 仮に、今さら「原文と違っていますよ」と言ったところで、格言化しているので諺同様に作者不明であっても「誰が言ったかは関係ない、古くからある言葉なのだから、文章自身が大事なのだ」という言い返しを許してしまえる事になる。諺や格言化は恐ろしいかも……。

 この事で、インテリは思いついちゃった知識を大した熟考も検証もせず、異論についても大した検証もせずに「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とか言って、短絡的・浅慮に自身の意見を補強して肯定させようとする事になる。

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 恐らく昔からインテリはこの手(詭弁の補強)の手法を好んで使ってきたのだろうと思う。だから情報を調べようとすると、これらの自家発電的情報にも多く遭遇し易いのかもしれない。故に情報(知識)に頼るとインテリジェントトラップにより一層引っ掛かり易くなるのかもしれない。

 インテリにとっての「使い勝手の良い便利な道具」(格言)を“詭弁”だと自覚している間はいいのかもしれないケドも、インテリ的な自信があったり、検証・熟考に労力を支払いたくない、自分が間違っている事を認める可能性のある検証はそもそもしたくない等の感情が働いているにも関わらず、その感情に気がつかず、無自覚に道具を利用するとインテリジェンストラップにハマってしまう事になるのだと思う。

 このインテリジェンストラップは「頭の良い人」だけでなく「頭の良い人になりたい」「頭の良い人と思われたい」という自称インテリも含まれるように思う。

※ちなみにインテリジェンストラップという言葉については書籍になっている。ただ自分は未読です。

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■ビスマルクさんの言葉から再考
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 ビスマルクさんの意見と、今の日本で言われている格言を足して2で割ると……

「愚者は自身の経験のみを信じるが、賢者は自身のみならず先人の経験も参考にして学ぶ」

 という事になるのではないかと思う。しかし格言からは程遠い上に『三人寄れば文殊の知恵』の親戚みたいな話になってしまった。

 聖人云々を入れるなら…

「愚者は自身の経験のみを信じるが、賢者は自身のみならず先人の経験も参考にして学ぶ。そして聖人は当事者として意識し思索を深め検証・試行する事で真相に辿り着く」

 こんだけ長いと格言の欠片もないけど……。言葉としては易しくなっているのではないかなと…。

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■まとめ・所感
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 「賢者は歴史に学ぶ」という改変だけでも凄いのに「聖人は経験から悟る」を追加してて……日本ローカライズによるアレンジは超訳を超えて魔改造の域に達しているように感じる。モノづくりだけでなく言葉も魔改造とは凄いなと思った。

 あとこの記事によって、あらゆる諺を利用する人、格言を利用する人にケンカを売っているような内容になってしまっているかと思う。意図としてこうなったワケではないのですが、申し訳ありませんでした。

 そして記事をまとめてて思ったケド、自分自身が愚者だと無自覚ながら自認してて学歴コンプレックスが高いのかもしれない。その劣等感の反動がこの記事の動機になったのかもしれない。自分が如何にバカなのかと露呈する結果になってしまった。なんというか……恥ずかしい。

 自分自身が賢者になる事は出来ないケド、下図のような賢者な子にお近づきになりたい。

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 記事内の画像はネットから拝借したモノになります。申し訳ない。


おわり。


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