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三界に狂人住むと人の言う
「わりあい簡単だったよ」
試験が終わると、「ねえ、どーだった?」
などと聞かれて、「おう、バッチシ、楽勝だったよ」
の人はいいとして、そこに数問引っ掛かる問題をやっとこさやっつけて戦場から引き揚げてくる。
「あの問題とあの問題はミスったわ」
の人もいいとして、
「はて? 本当にできたんだろうか?」
と早速自身で検証してみる。
「お、まぐれで正解でやんの」
もいいとして、
「あーだめだった~、昨夜勉強したところが全然出なかったから、もうだめだ~」
と、はなはだしいのは泣き出すくらいの人も、
まあいいとする。
ではなぜ、これらの人が「いい」のかというと、
多くの場合、彼らはその試験のボーダーを超えているからだ。
というのは、彼らは「(過半数は)できている」見地から、物を言っているからだ。
だから「できていない問題」「あいまいだった問題」を検証しようとしている。
もちろん、その試験に臨む姿勢にもそこそこの真剣さがあるし、それなりに勉強してきたはずだ。
だから「見直し」もするだろうし、悔し泣きもするわけだ。
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ところがである。
一番怪しいのが、
「うん、わりあい簡単だったよ」「まあできた方かな?」「思ったよりケッコー行けてると思う」「自分ではやりきったかな」
というタイプ。
ま、若かりし頃の自分のタイプなんだが、
こいつはまずダメ。
まあ、それは(試験自体を大事ととらえていないで)舐めているか、甘く見ているか、自己批判が出来ないタイプだから、結果が芳しいわけがない。
つまり、まったく周囲(世界)が見えていない状態がそうさせている
ということ。
↓
《この間の飛躍はタイムワープの如し》
↓
三界が取り囲む
その、周囲を取り囲む世界を三界という。
三界とは、すなわち
欲界
色界
無色界
のことであり、つづめて一言でいうと、この世のことである。
おなじみの「色」や「欲」
早速出てきてますねえ。
「ああ、あれのことだべ?」
と思いきや、ぜんぜんあれどころではないやつ。
予想以上の欲望渦巻く「物の世界」ってやつですね。
それを、高い位から順に、簡単に説明すると、こうなります。
無色界
物質的なものから完全に離れた衆生が住む世界。
欲望も物質的条件も超越し、精神的条件のみを有する生物が住む境域。
ここには、色(物質・かたち)は存在しませんよー。
そして無色界の最上層を「有頂天」という。
色界
淫欲と食欲の2つの欲を離れた衆生が住む世界。欲望は超越したが、物質的条件にとらわれた生物が住む境域。
ってことは、なんだか道学者のような面白みのない人間像が浮かびますね?
欲界
欲望(カーマ)にとらわれた淫欲と食欲がある衆生が住む世界。
無色界および色界の下に位置する。
本能的欲望(カーマ)が盛んで強力な世界。
お盛んな世界💦
そして、ここが重要なところなんですが、その三つの界のすべては衆生が生死を繰り返しながら輪廻する世界である、ということ。
もっと言えば、すべてマトリクスの枠内にあること。
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欲望渦巻く生々しい世界
さて、この区分をご覧になって、あなたはいかが思われますか?
あなたは今どの階層に住んでいますか?
まっさか臆面もなく、正面切って、
(どこかのカフェでの茶飲み話のようにカプチーノを啜りながら)
「そーですねえ、ボクのバヤイはどちらかと言えば『無色界』かなあ」
と答える人はいないかと思います。
その境涯の人はすでに肉体を纏ってませんからね。
では、「生身の人の住む世界」はどうかな?と覗いてみますと、「ウヒョー」ではないですか?
まず、大前提になるのは、一番下の階層である「欲界」ですね。そこには、「淫欲」と「食欲」が双璧を為している。
すごいもんですねえ。
凄まじいですねえ。
だいたいのっけから「淫」ですよ?
辞書には、「淫行・淫祠(いんし)・淫蕩(いんとう)・淫婦・淫靡(いんび)・淫売・誨淫(かいいん)・姦淫(かんいん)・邪淫・荒淫」とまあ、どいつもこいつも悶死するような用語のオンパレード(まるで、中学生の悪ガキがソレ風な言葉を辞書で調べまくってるような感触ではないか?)。
一方の、「食欲」?
「はあ?」ではないですか? 「おれは旺盛な食欲だけが自慢さ、はっはっはっ」といいつつ齢50を超えて二郎ラーメンを平らげるような健啖家、鉄をも溶かすような健康な胃の腑をお持ちの方はどうなるの?
しかし、有無を言わせず容赦なくそれは「欲界」の権化とみなされる。
骨の髄から欲まみれ
で、である。(←もはや文法的に淫している)
さあ、残りは「欲界」か、「色界」かの二択になりました。
さあ、あなたは「淫欲」「食欲」にまみれた「欲界」に住んでますか?
それとも、その二つの欲を超越した世界に住んでいる人ですか?
え? そ、そうですか。
(カフェでフォンダンショコラ・フラペチーノを啜りながら)
「そーねえ、あたし的にはせいぜい『色界』どまりかしらねえ」
とは決して言い(え)ませんよね?
だいいち「色界」って、色情狂の世界ではないですから。
まして色街の女でも、色女でもないですから。
それって、この世的に言えば、ほとんど「聖人」の世界ですからね?
ということはですよ、驚くべきことでもあるし、認めたくないことでもあるのですが、
私たちはほぼ99%が三界でいえば「欲界」に住んでいるわけです。
その欲界を構成する要素は、ここでは「カーマ」というヒンズー語で言われてますね。
そのカーマの内訳は、なななんと、驚くなかれ、
「欲望、性欲、情熱、憧れ、感覚への喜び、耽美的生き方、愛などを指し、現代的な例を挙げるなら、テレビゲームの長時間プレー、喫煙への欲求、成功への欲求などを指す」とある。
まあ、後半のいくつかは研究者の的外れな蛇足にせよ、私の場合は、ここにある10個のうち、少なくとも10個は該当するではないか(ただし、過去形も含む)!
これでは、もうキョンシーのように
嬉し恥ずかし「欲界」と書かれた朱墨の護符を
額にペッタンと張り付けられて、
通行人の前をピョンピョン跳ねながら歩き回るに等しいではないか!
「欲界行き決定」
ではなく、そもそも欲界の人。
欲におぼれて、というよりも
もはや骨の髄から欲まみれ。
欲を食べて生きてまいりやした
みたいな人物像がそこに浮かび上がるではないか?
![](https://assets.st-note.com/img/1675142254946-ZN1OQW6dxC.jpg?width=800)
イヤーたかが「三界」を説明するのにこんなにもかかってしまいました。
実は、これまでのことはすべて「前ぶり」。
とはまあ、毎度の饒舌なんで、もはやあきれて驚かれもしないと思いますが、
ここからが、話の肝なんです。
「いやねえ、その三界にですねえ、あたしたちが住んでるわけでしてねえ、
そこまではいいとして、そこに住んでることすらさっぱりわかってないってのが多くの衆生でしてね」
住んでる場所が見えてない三界の狂人
三界の狂人は狂せることを知らず
とは、空海の晩年の著「秘蔵宝論」
にある詩文。
57歳にしていまだ尖がってますねえ。
ニーチェがそのアフォリズムで書いてもおかしくないような文言です。
三界とは、むろんこれまで述べてきた世界。
その世界にたまたまいっちゃってる人がおり、
その人って自分がいっちゃってることが分からないんだ、
ああかわいそうに、
ではないんですね。
それでは、その辺にある「散文」とかわらないでしょ?
お大師さんは、
われわれこの世(三界)に生きている者たちを指して「狂人」と言ってるんです。
ここで勘違いされたくないのは、三界というマトリクスの世界に住んでいる者たちを指して「狂人」と言ってるんではないということ。
「狂せることを知らないもの」すなわち、この世界がマトリクスということに気が付いていない人たちを「狂人」と言ってるわけです。
しかも、その矛先は、単に欲の渦巻く娑婆・浮世(欲界)だけでなく、その世界から蟬脱してすっかり無欲恬淡とした存在になったもの(色界)、いやいやこの物質界(色の世界)を超越して精神的な存在までに昇華したもの(無色界)までが、それに気づいていないのであれば「狂人」だというのである。
これは、エーテル界やアストラル界といったいずれもマトリクスの及ぶ次元を指してるのかなあ、とは私の空想です。
であれば、どーすればいいのか?
ですね。
あくまでも私の答えは、
「ほっときなはれや」
です。
涅槃の世界に至ってない私たちは、どんな階層にいても「、」という足跡が生じます。生きていること自体が足跡を残すことです。現象があります。犯人は追いかけてきます。
それが色(物の世界)ですし、それに執着する欲の世界ですし、さらに物や欲を去った世界でさえも、そこで私たちは(見つからないように)息をひそめていることはできません。
まず、この欲の世界を全肯定すること。
欲がなくては生きていけませんから。
この欲の世界を充分に見ること。
しかしその世界にいてはその世界が見えません。
一段高い世界にいてはじめて低い世界が見える。
だから、あなたも私も、欲の世界にいつつ、そこにしがみついてるとやばいぞ、と理解してるわけです。
そうして、欲を去り、物質界を去り、最終的には現象すら滅してしまう絶対の世界(涅槃)に至る行程なんでしょうな、人生の旅路は。
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悟ったらそこで終了
さて、空海の矛先は、
四生の盲者は盲なることを識らず
(生きとし生けるもので、マトリクスが見えないものは、その見えないということすら知らない)
と、さらに容赦ないわけですが、
ここで最後に私たちが気を付けなくてはならないのは、
比較的高い層、目に見えない世界、一応欲は離れた世界
つまり、想念の世界
ですね。ここもマトリクスの世界であることを忘れてはならないということです。
三界の上の位「無色界」の頂点は?
そう、有頂天
でした。
よく「有頂天になる」というアレです。
で、その状態は、往々にして、
というよりも、いつも
転げ落ちる
転落する
ことを意味します。
有頂天(至高の到達点)は無い
なぜなら、あったらそれで終了だからです。
さて、空海の詩文は、皆さまもどこかで聞き覚えのある以下の文言で締めています。
生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥し
参考
みなさまへ
「シュポッ」(欲界から出てきた音)!
あー、いい空気ですねえ。いやはや、人いきれと、欲と、情念と、陰謀と、姦計と、なんとも暑苦しい世界からようやく出てきました。
別に好き好んでそんな世界に行ってきたわけではないんですが、なんせ、どーやらそこが生まれ故郷、古里らしいんです。
そして、そこには旧友やら肉親やら、たくさんの衆生がいるんです。いろいろ、営んでるんです。
ここでのお話しの結論は、
今住んでる世界を絶対に否定しないこと。
同時に、今住んでる世界を見るために、成長して
一段高い世界から眺めてみようではないか?
です。
幼稚園では、砂場でもなんでも楽しく遊びました。でも、大学生で砂場で嬉々として遊んでいたら、そいつはなんかアレの人以外の何ものでもないですよね?
成長すると、今までの世界がちっとも面白く見えなくなるわけです。高いところに面白さを見つけているからですね。でも、同じ次元にいるのに、「周囲はなんでいままでどおりくだらない、つまんないことに熱中してるんだろう?」ですね。あなたの本心は?
まあ、そのあたりは、ここにある名糖アルファベットチョコレートでもご賞味いただき、じっくり考えてみてください。
お読みいただきましてありがとうございました。
東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。