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「注意」に注意を向けてみると

「火の元注意」「頭上注意」「前方注意」「割れ物注意」「熱中症注意」「振り込め詐欺注意」などは、事前の注意を促す意味では一応納得できる類のものだ。
しかし、クルマの運転をしていると、一見「そうか、了解!」と同意しては見たものの、すぐさま、はたと困惑するような標識に出合ったりする。「その注意の後の対処法はいかに」と心中ブツブツつぶやきつつ、ついハンドルを握る手に力を入れてみたり、ブレーキ、アクセルの緩急を意識してみたりしてやり過ごすのが常だ。もちろん、「悶々」は吹っ切れないまま。



半不可抗力的な注意

クルマの運転は、はなから注意と共にあるようなものだが、例えば次のような標識を見かけたらどのような注意を払うべきか?

鹿飛び出し注意=画像:ビークルイラスト

山道など一般道でこの標識に遭遇した場合は、まず徐行をするのが一般的な判断基準だろう。
ところが、これは高速道路などでも見かけることがある。
一定のスピードが出ていての「注意」は当然、次のような二者択一に迫られる。

けるべきか
ねるべきか

80キロからのスピードのクルマが障害物を避けて急ブレーキをかけ、ハンドルを切った場合、タイヤがロックしてあわやガードレールに・・。
ABS機能があるとはいえ、こうした事故は大いにあり得る。
そこに後続車が追突した日にはこれは大事故につながりかねない。
よほどのドライブテクを持ったものでない限り、「避ける」という選択肢は相当危険である。

となると、そればかりは考えたくない「撥ねる」という選択肢が浮上する。
実際には撥ねるというよりも「無理に避けない」ということで、猛ダッシュで横断した鹿などの動物が、高速道路を無事渡りきることだって有り得る。
言い換えれば、そうでない場合は撥ねざるを得ない、となる。
しかし、あなたは奈良公園などで鹿をまじかに見たこともおありかと思うが、なかなかに大きい。それと激突すればクルマも大きな衝撃があることは想像できるし、実際にそんな事故もあるらしい。

かつて、私はごく普通に法定速度で一般道を走っていた際に、野良犬とぶつかったことがある。
道路を走っていて、いきなり前方数メートルをやにわに横断されると、もう絶対に避けられない。
その犬は幸いクルマのフロントに「ゴツン」とぶつかった程度で済んだ。
あわててクルマを降りた私を尻目に、何ごともなかったように走り去っていった記憶がある(多少斜めって走って行ったのだが・・)。

一瞬の判断である。
このように、下道ですらそれが不可避的であることは、経験済みである。
まして高速。
私の中での結論は、事前に「そういうこともあり得る」と知っているか、何も知らないで走るかの違いしかないようだ。そこにコンマ何秒かの差異が生じるだろうから。


それでは、これはいかがだろうか?

昨今、全国各地でクマの目撃情報や被害が多数報告されるようになって、にわかにクローズアップされている「クマ出没注意」の看板

キャンプブームは一段落したらしいが、それでももはやこの標識はキャンパーにとってのみならず、行楽客にもお馴染みのものになったろう。
私なども、先日、里山にある墓参りをした際中に見かけた。
その界隈にある温泉街にも出没したというニュースを耳にしていただけに、やはり心中ソワソワ感はあったものだ。
特に近くに小熊を連れた母熊は、こちら目がけて突進してくるほどのものだから、そうなったら熊よけの鈴も、笛も役に立たないし、もちろん死んだふりなども見透かされているに違いない。

対処策は多々あるようだが、先の鹿同様、最後はその場勝負ということになりそうだ。
ただ、同じ標識を北海道で見かけたら、絶対にその山なり森などには分け入らないという覚悟は決めている。
ヒグマは人間が相手できる動物ではないからだ。


瞬間注意

最後に、いよいよ「半不可抗力的注意」の道路標識界の真打にご登場願おう。

山間部などでよく見かける「落石注意」の標識=画像:道路標識マニア

これはかねがね疑問に思っていた標識だ。
よく、比喩的に冗談で「落石注意じゃあるまいし」などと使いもしていた。
上図のようにややバリエーションはあるようだが、この絵面を見る限り、今にも上方からデカい岩が落下している最中ではないか?
もし、道路前方の脇にでさえ、落ちたてホヤホヤのようなブツが転がっていようものなら、これはドン引きでしょ?
クルマ、停めるでしょ?

まあ、この標識を見かけるのは、大概は岩肌を落石防護網できっちり留めてある傍らの山道である。
そして、標識の意味は、落石よりもむしろ「落下して転がった石」に注意せよという(なんだか煮え切らないような)ニュアンスらしい。
よって、ハリウッド映画のカーアクションシーンのように、降る岩石を縫って走行することはないモノの、注意し難きを注意し、忍び難きを忍ぶ、といった不条理感は否めない。


ちなみに、上記の道路標識マニアさんの研究は実にトリビアで興味深い。と同時に、道路標識のバリエーションの広さに驚かされた次第。


逆に注意が散漫に?

さて、これは番外編だが、その標識が一見では意味不明であるために、かえって注意散漫になってしまうということもある。

ちなみに、これは「人さらい注意」ではない。

都市伝説的にも面白い「歩行者専用」の標識=画像・解説とも『世にも奇妙な道路標識』より

 ――この標識を作る際、親子連れの写真をモデルにしたのだが、これは実は子供を誘拐している男を、偶然に撮ってしまったものだった。手を引かれている女の子が、男から体を遠ざけるような姿勢をしているのは、嫌がって逃げようとしているためなのだ――。都市伝説の常で、確たるソースや根拠はおそらく何もない。ただ、この標識に描かれた人物は妙に腕がにょろりと伸びていて、体型も何やら宇宙人のようである。全体になんとなく不気味な雰囲気が漂うのが、こうした噂の出る理由なのではと思える。

また、挑発的というか、独断的というか、見る者をして自ずとその場に佇ませてしまうようなものもある。

何の予告もなく(まあ、コレ自体が予告なんだが)、突然こう来られると、こちらは「?」となって、周囲を見回すことになる。

「その他の危険」の標識=画像・解説とも『世にも奇妙な道路標識』より
                                            もうひとつ都市伝説のある標識が、「その他の危険」である。黄色の菱形に大きくビックリマークが描かれたえらくインパクトの強いデザインだ。黄色地に黒の標識は「警戒標識」と呼ばれ、「十字路あり」「動物注意」「幅員減少」など、行く先に危険や注意すべき事柄があることを示す。で、これらに当てはまらない注意事項がある時が、「その他の危険」標識の出番なわけである。というわけで多くの場合、「その他の危険」標識には補助標識が取り付けられ、どのような危険があるのか明示されている。だがこうした補助標識がなく、なぜ「その他の危険」が設置されたかわからないケースがある。これは、その場所に幽霊が出ることを示しているという噂があるのだ。

さあ、ざっと身近な「注意」を見てきたわけだが、もちろん、私たちはそのすべてをつまびらかに掌握しているわけではない。ただ一つだけ言えることは、道路標識だけでなく、私たちの周囲は「危険」と、それを指摘する「注意」であふれかえっているということだ。

そしてまた、「注意」の中身を知るにつけ、それを額面通り受け取ることの危険性も見えてくる。


注意は油断と隙を生む

「注意」は、一つのアナロジーである。
例えば「上方注意」「頭上注意」という看板を、工事現場で見るようなときは、建築資材や作業員の工具類などの落下の恐れがあるのだな、とか、また死角になって頭などにぶつかるような障害物があるのだな、などと解釈する。
しかし同じそれを街路の電線の下あたりで見かければ、鳥などの糞害を想起させる。

人はイメージという幻想で生きているからこそ、それは効果がある。
と同時に、イメージだからこそ、知ってか知らずに見る者を誘導することが可能だ。

雑木林や森でもし、「上方注意」を見かけたとすれば、樹の上方に何か猛禽類がいるのかな、とか落石や朽ちて倒れ掛かった樹があったりするのかな、あるいは善意に解釈して何か珍しい鳥やサルでもいるのかな、などと考えて上を気にしながら歩を進めることだろう。
ところが、それが実は「マムシ注意」や「ハブ注意」の看板のかけ違いであったとすれば、これは洒落にならないではないか?
上に注意を向けることは足元をおろそかにすることだからだ。

これは詭弁ではなく、マスコミなどで日常的に行われていることだ。
実際は非常に大事な出来事があったがそれを報道しない。
それに代わるようなセンセーショナルな話題を流し、そちらに誘導し、衆目を向ける。
または、代わりにどーでもいいような閑話をわざと流す。
タレントや芸能人のスキャンダルなどは、そうしたスピン報道にはうってつけだから、当の事件よりも、実は裏で何かあったのかを疑わなくてはならない。


予想・予報・予言と利権

話は拡大して、予報や予想、ひいては予言というものはいかがだろうか?
いずれも未来を語る類だ。
これらは一点に人々の注意を向ける意味で、相当に責任が重い。
それがオフィシャルな場合は余計に。

例えば天気予報というものがあるが、絶え間なく動く天気図を頼りに、未来の天気を予想するわけだから、これは当たりはずれあっても仕方がないという前提のもとの、あくまでも「予想」である。
しかし、それはあなたが明日朝傘を持って出かけるのか、薄着でいいのか否かなどの判断基準である以上に、仕事があるのかないのか、予定していたフライトが可能か否か、船が出せるのか否か、農作物が全滅か否かなどの死活問題までも孕む。
台風やハリケーンのような悪天候などがそうである。
もちろん、予想がそうするのではなく天気のなせる業ではあるが、予想は時としてその審判を担う。

天気にしてそうであるのだから、地震や津波などの災害予報や警報などは、その判断に細心の注意を払わなくては、被害を拡大したり二次災害を招いたりということにもなりかねない。

ところで、未来を云々する類は、利権が絡むケースが多い。
競馬や競艇などのギャンブルが予想におカネを賭けるように、お金があっちに行ったりこっちに来たりという予想をもとに未来図を描くこともあるし、そこに陰謀が渦巻くことはケッコー日常茶飯である。

どこそこに地下鉄の駅ができるという計画のもとに、周囲に住宅や商業施設が建つ→しかし、計画は白紙に、などというのは、あなたのご近所でもある話だろう。そこにどのような利権が鍔迫り合いしているのだろうか?

あなたは、果たして「南海トラフ」や「首都直下型大地震」やらの大地震の予想に巨大利権・既得権益がかんでいないだろうかを疑わなくてはならない。
絡んでいたとしたら数十兆円の単位になる。
それは、規模からいえば予想というよりも予言に近いかもしれない。
「大地は火の海になるぞよ」とか「天と地がひっくり返るぞよ」といった「そう言われたって」の世界に近い。

陰謀論抜きの現実として「地震兵器」があることは、周知の事実だろう。
また目に見えないマイクロ波などで、そのターゲットをピンポイントで攻撃する「指向性エネルギー兵器」も現に活躍している。
核同様に現実にあるものは使用するために存在する。
ということは、(今更だが)こうした角度からも地震やそれによる津波、山林火災などの災害も検証するのが科学的ではないか?

「スクラップアンドビルド」という言葉がある。
震災や空襲で壊滅した後の首都東京のように、そこに雨後の筍のように文字通りのビル建設のラッシュが訪れ、「戦後たくましく成長した」などと賛美されるアレである。

ビルドするには大きな利権が生まれる。
そのためにはスクラップ化がなくてはならない。
よく駅前開発などで苦労する話である。
で、実際に有無を言わせずそれが実行された暁にはどうだろう?

311の起こる前に、某建設会社の株が高騰したなどということをどう解釈するかはあなた次第だ。
ハワイ・マウイ島など地震がない国では山火事か、と考えるのもあなた次第だし、それを、なるほどスマートシティ構想の布石か、と考えるのもあなた次第だし、それを都市伝説と考えるのもあなた次第なわけである。


知らないおじさん注意

あなたは「知らないおじさん」ですか?
もしそうであれば、あなたは要注意人物、でなければ不審人物ということになっている。

先日、たまたま朝家内と一緒に家を出た。
と、エレベーターの途中の階で中学生の男子が乗り込んできた。
私は、「学校が近くていいね」とか、その子とニ三言葉を交わした。
当然あいさつ代わりである。

しかし、後で家内にたしなめられた。
なんでも子供に気軽に声掛けをしては駄目という。
私はたいてい乗り合わせた人とはあいさつ程度の会話をする。
しかし、おばちゃん、おじさんならいいが子供の場合は不審者に思われるからいかんのだとか。

「イタリアでは、エレベーターで乗り合わせた人に声をかけないと不審者に思われるんだぞ」とかなんとか、ホントか嘘か分からぬ言い訳をしたものだが、家内の言っていることも分からないでもない。
なにせ、このおじいさんにしてからが、幼少のころから「知らないおじさん(どーいうわけかおばさんではない)に声をかけられてもついていってはいけません」とか家や学校で言われたものだからである。

知らないおじさん、というものはそれだけで不審者扱いなのである。
顔なじみの小学生などはともかく、ほとんどが知らないわけで、このおじいさんは界隈ではそういう位置づけなのだ。
それは世相という暴力であり、レッテル張りである。

近いうち、現れそうな標識に「人注意」を加えておこう。


注意して渡るな!

「お、黄色だ。よーし、ダッシュだ、早く渡れ!」
は、アウトです。

ご存じでしたか?
黄色信号は停止しなくてはなりません。

なるほど、ここで述べて来たように「注意」だからといえども、ただ言われたとおりに注意するのは危険です。
一旦立ち止まりましょう。

注意に注意せよ!

東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。