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「祝われたい」という感覚

結婚の式やパーティはほとんど断らず出席した、かなりの数になると思う。結構な数祝いの席で演奏もした。

それなりに楽しかったり粋な主催者が出席者を楽しませようと凝りまくった演出のものもあるけど、基本的には式を挙げたい人のために行ってあげるもので、それを参加者の完全な自己満足の問題として帰結させるのはなかなか難しい。

このツイートを見て胸がシュクっとなった。

流石に無駄とまでは言いたくない。露骨に見返りを求めるもんではなく、やはり主役の思い出のためなので。

でも俺が司会・演奏をした会社の同期2人はサッサと離婚したし、ミックステープ?みたいなものを頼まれた2人も離婚。そういうのがあと何組か浮かぶ。やっぱ離婚率って統計を待つまでもなく実感として結構高いよな。

出席したほとんどの人とは既に連絡も取れないしこちらは完全に忘れ去られており、思い出してもらえることはあるかもしれないが下手したら死人扱いされてるかもしれない。

これは俺が数年前に1度SNSから完全に身を引いたこと以前の問題で、リアルでそういう自然消滅する程度の関係だったということだ。

10年くらい前の金が無さ過ぎて人としてアレ過ぎるときも、何とか工面してその手のものに参加し続けた。

もちろん自分の人生を何とかすることの方が大事に決まってるのだが、俺の中の見栄だったのか、欠席の返事送ってガッカリさせるくらいならモノ売ったり少々借金するくらい何ともない、みたいに考えたりしたのか。

でも正直、

何でみんなそんなに祝われたいのだろう

という本音もずっとあった。だから自分はその点で合意可能なパートナーと一緒になった。

地方にも随分行ったし、何人かは複数回パーティを派手に行ったりしていて自分の感覚とは随分違う。

価値観の多様性、みたいなことは言われてるが、やはり結婚は今も昔も大きなライフイベントであり転換点にもなり得る、それにオリンピックと同じで個人的には興味を持てないがそんなに盛り上がりたいなら好きにやれば良いくらいには思ってる。

誕生日についても、自分のSNSの誕生日画面をスクショしてみんなに祝って欲しいあの感じ、苦手だ...

まあ20代前半くらいまでの女の子が

祝って!!!

となるのはギリセーフかなくらいに思うけど、男も女も幾つになってもやってるだろあれ。

そうじゃなくて、節目を想うのなら、自分をこれまで生かしてくれた家族や環境に感謝する日なんじゃないのか誕生日は。

ハーディング家は家族間で割と本気でお祝いする習慣があり、姪っ子が生まれたときから本格化した。そういうところもあるのかな。

俺は家族に恵まれてる、幸せだ。例の10年前くらいは俺がクソ過ぎて若干関係が危うくなったけど、それでも家族からの愛は感じていた。

それで満たされてるからなのか、リアルでも、SNSでも、赤の他人に、「祝ってください!!!」というあの感じがとても苦手なの。

飲食店が急に暗くなって、他のテーブルにケーキが持って来られて、店によっては店員さんが結構盛り上げたりするやつ、ああいうのは良い。

お、誕生日か、いいね、と思ってバースデーソングに合わせて一緒に手拍子打ったり拍手したり。どこの誰だかも知らないけど一応おめでとう、みたいな。場のみんなが少しずつほっこりしたり。

SNSは違う、やはり見たくもない情報や感情等ノイズが付随する。

結婚式も、内心幸せ過ぎて爆発しそうだからその爆発に関係者を巻き込んでしまおうというのは構わないから、せめて感謝を最大限に表現する場に、みたいな風潮になれと切に願う。

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