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古い写真をスキャンして気付いた

近況報告の写真

雨の日に自転車でコケ咄嗟に左手をついた

クソいてえ

完全にイッたと思った。肘から下が全然動かないし少し動かしただけでメチャクチャ痛い。

雨で寒いし、自転車押して帰るの大変だったよ...

転職したばかりだってのによう、何やってんだ俺は。

2週間経ってかなり動くようになった。ここまでヤバくても医者に行かないのが俺。

諸事情により

古い写真たちをスキャンした。

数十年前の写真て良い... こういうのを

エモい

っていうんだよ。何でもかんでもエモいを濫用するな。

フィルムが高騰し金持ちの道楽になりつつあるフィルムキャメラたち。

でも40、50、60年前にプリントした写真が今でも観られる、それを観て昔を思い出す、思い出していただける、最高じゃねえの...

CD(コンパクトディスク)あたりから怪しいと思ってたんだが、デジタルは永遠に劣化しない的なの、怪しいというかもうウソだよな。

確かにデジタルのデータそのものには罪もウソも無いんだが。まずCDは傷に弱いからすぐ読み込めなくなるしHDDやSSDもよく壊れる。俺は壊してきた。

そこでクラウドに溜めてけばええやん、となるんだが、

量が多過ぎるんだわ。

ディスクにしても、クラウドにしても、うん十年前のものって忘れたり壊れたりして観なくなるでしょ。

不便で、金もかかり、枚数制限があった昔のフィルム写真の方が、棚から出すのも記憶を呼び出すのも便利という皮肉&逆説...

デジカメの色んなことがわかってきて、多少撮影の歩留まりが良くなり、気に入った写真を印刷してみる。

すると、やっぱり撮れ高を自分の中で楽しんだり、ネットに上げたり、それだけよりかは、確実にアガる。

でも、自分のも、カメラ屋の壁に貼ってある上手い(高い)写真自慢たちを観ても思うんだが、デジタルで撮ってあとから印刷するの

何かが違う

惜しいんだよな。写真展とかだと凄く良いのもあるんだけど。

アナログ⇆デジタル

この変換のプロセスや経路で、

何か違う

ってなってしまうことがある。絵や音が綺麗、復元技術が凄い、そういうことではなく。

広告もそうだけど、世界観、被写体、技術、演出、センス (要素に抜け漏れ被りアリ)...

これらが上手く噛み合わないとわざわざデジタルからアナログに変換して人目に晒す価値が感じられない。

そう考えると、プリクラってのは凄い。

自撮りしたやつをすぐシール化できるマシンみたいなのもあるんだが、それより

プリクラって空間と時間

あの筐体や筐体のカーテン、撮るやつ全員宇宙人にしちまうキモいエフェクト、ハサミでチョキチョキする専用のテーブル、ゲーセンの感じ...

そういうのが上手く混ざり合って、長い歴史を作れてる気がする。(いまも廃れてなければ)

主が写真ではないとも言えるし、どんなに本来的な「写真」からスポイルされようとも、写真的であるような気もする絶妙さがある。

我が坂の子たちの

乃木撮

からも似たような強さを感じる。

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