教育は、人に翼を授ける。

「教育は、人に翼を授ける。」

私の信念の一つである。

学部時代に研究していた、きのくに子どもの村学園の学園長堀真一郎さんは、「家庭が教育の核である。」と言っていた。やけに印象に残っている。

もし家庭が教育の核であるとしたら、学校は第2の核である。学校は私に居場所を与えてくれた。国語、数学、社会、英語、体育、音楽ー。学校での学びは私に翼を授けてくれた。

中高の英語の授業は、私に広い世界を見せる術をくれた。中学の教科書を進めるのが楽しかった。

予備校の小論文の授業は、私に表現する喜びを与えてくれた。

大学の社会学、文化人類学、平和学、地域開発などの授業は、多角的な物の見方を与えてくれた。大学の授業はだいたい面白かった。

教育社会学の卒業論文は、大学での学びの集大成であり、問題意識、学問への姿勢、熟考…いろいろ学んだ。今までの人生で一番学ぶことが多かったんじゃないかと思う。

自分を不幸な子どもだとは思っていないけれど、幸せな家庭ではなかった。満たせなかった「家庭」「家族」に対してのしこりがまだある。

その一方、そのしこりを乗り越える唯一の方法は、自分が子どもを育てることであるのも心のどこかで感じている。きっと、卒論よりうんと人学ぶことは多いのだろう。

子づくりなんて100%自分のワガママだし、そんな容易い気持ちで100年の人生を子どもに背負わせたくない。今の自分では子どもを幸せにできる自信はない。その自信がいつやって来るかもわからない。

だから、その分、自分は第2の教育の核である「学校」に力を注ぐんだと思う。会社を通じて社会にいい影響を与えられたらいいな。

上司は「化ける」と表現していたが、人は教育で変わる。私自身がそうだった。教育は、人に翼を授けられる。サナギから蝶になっていく過程を見るのは嬉しいしおもしろい。

いつかは関わった卒業生を訪ねに海外へ行ってみたい。25歳までに家族のしこりも片づけたい。

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