「どこにも居場所がない」という感覚

「どこにも居場所がない」という感覚を、心のどこかに持っている。

小学校はずっと転校生だったし、幼なじみもいない。中高は、ゆるっと仲のいい人たちはいたけど、自分の結婚式や葬式に呼ぶかって考えたら、Noの人もいる。Yesは3人くらい…?というか、女子の”グループ”みたいのが嫌いだった。表面で付き合ってた時期もあるけど、やっぱ合わないな、ってどこかの瞬間に思った。修学旅行のグループ分けとか、死ぬほど心地が悪かった。

大学は友好関係に恵まれたけど、帰る場所が今あるかというと、微妙。「私がいてこの場にいて大丈夫かな?」「この集まりに行って浮かないかな?」って感覚はどこにでもある。大学時代の飲み会でも、今の飲み会や集まりでも、同窓会みたいな集まりでも。慎重さの現れかもしれない。こんなささやかな不安を持って集まりに行くと、だいたいクラスやグループの中心みたいな奴が気にかけてくれる。あなたは神ですか、と思う(笑)ありがとうございます、いつも。

中高時代に、とある友人に「どこのグループにもいけるよね」と言われたことがある。八方美人に付き合ってたからか、カメレオンみたいに化けていたからか。まぁ、裏を返せば、「どこにでも居場所をつくれる」ということだと思う。

家族でも、友人でも、パートナーでも、職場でも、「私はここに帰るんだ」「ここが私のホーム」という感覚はない。

結局、自分の居場所は自分だけ。
人間、死ぬときは一人だし。自分が心地悪くない程度に、ゆるっと「ま、行くか」くらいのゆるい居場所をつくるのがいいんでなかろうか。自分の負担にも、相手の負担にもならない程度に。「自分の居場所は自分だけ」って考えると、「どこにでもゆるっと居場所をつくれる」気がする。

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