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我儘であれ樋口円香

どうも皆様、トニーと申す者でございます

今回の記事はDiscordサーバー「SHINY CORD」内で企画している「我儘なまま」へ向けてソロ曲noteの連作企画の1つとして投稿しています。
私は樋口円香さんについて書かせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

↓主催者のベンプさんの企画説明がこちら

初めに

さて、今回の記事は夢見鳥についての考察記事になるんですが…

ここでまず、ベンプさんの定めたレギュレーションを少し見ていただきたい。

ライブ『我儘なまま』にて披露されるであろう各アイドルの個人楽曲について、そのアイドルを知らない方でも、読んでいただくことによってアイドル・楽曲に対して理解度を深め、ライブを楽しむ一助となるものであること。

はいこのように樋口円香初心者に向けての記事を書くことが今回私に求められていることなんですね。

クッソきつくない…?????????

樋口円香さんのコミュ、長い期間の共通コミュやカードを通して1つのテーマを描くという手法を取っており、一部分だけ切り取って円香さんを語ることってバチクソにムズイんですよ。結構無理ゲーじゃないかこれ

しかしながらどや顔で任せてくださいと声を上げてしまった以上、ここで折れるには行きません。樋口円香論教授の名に懸けて初心者にもわかりやすい記事を書かせていただきます。

というわけで今回は共通コミュとマイコレ円香、配布SRの「ダ・カラ」に絞って夢見鳥という曲について解釈させていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。よろしくお願いいたします。

夢見鳥≠樋口円香?

まず夢見鳥の歌詞を今一度ご覧ください

樋口円香ソロ「夢見鳥」

この歌詞を見て皆様は樋口円香抜きでこの曲をどのように解釈したでしょうか?
色んな解釈が出るところでしょうが概ね

「この夢が叶うかどうかはわからないけど一歩を踏み出してみたい」

みたいな意味の解釈に落ち着くのではないかと考えています。
(というかその解釈で進んでいくので著者がこの解釈であることを頭を入れといてください)

…はい、わかりますか?
この曲、樋口円香らしくないんですよ

WING編共通コミュ「バウンダリー」選択肢「夢はないのか?」


WING編共通コミュ「心臓を握る」

このようにWING編だけを切り取っても円香は
将来の願望、夢というものに対して、否定的な印象を受けます。

最近実装されましたマイコレPSSR「バグ・ル」ではこの考えがより顕著に表れています。

コミュ内では「夢」をテーマに夢見鳥のリリースインタビューが行われている様子が描かれているのですが、終始円香は夢という概念に否定的です

このようにそもそも自らには夢がなく、持つことに意味がないという考えであることが描かれており、

他にもこのシーンでは円香は希望的な夢を見続けることを否定しています。

さらには、飛べない鳥が飛びまわる夢を見ることを絶望であると述べています。
これはつまり希望的な夢を見ることへの否定であると捉えられます。
このように夢見鳥の夢に向かって踏み出すというスタンスに終始否定的であることが分かったと思います。
ではなぜここまで円香は夢に否定的なのでしょうか?

共通コミュWING編「心臓をにぎる」

これはWING編でのこのセリフがかなり答えに近いのではないかと考えています。このセリフを先ほどの夢への否定的考えと照らし合わせて考えると、踏み出した先で、身の程を知り、その願いが叶わないことを知ってしまえば、その希望が転じて絶望になってしまう。
だからこそ、夢を持つことで無意味に傷つくことを嫌っていると考えらます。

このように樋口円香の考え方は夢見鳥とは全くの対局の位置する考えである。つまり、夢見鳥≠樋口円香が成り立つということが分かると思います。

つまるところ、円香にとって踏み出すことを肯定する夢見鳥は円香の考えとは対極にあり、夢見鳥が樋口円香のパーソナリティーを表す曲にはなっていない。ということになるわけです。










―――――ただ、それならば夢見鳥はただ渡されただけの曲をただ歌っただけという結論になってしまいます。
本当にそれだけなんでしょうか?
それだけの意図の曲をわざわざ樋口円香のソロ曲としてお出ししてくるのでしょうか?
いいえ、ありえません。そんなわけがない。
このソロ曲にはもう一つ、大事な役割があるのです。

夢見鳥≒樋口円香

これまで私は夢見鳥が樋口円香のパーソナリティーとは真逆の曲であると解説してきました。

しかし、樋口円香コミュには総じてこれらの考察をひっくり返すとある法則があります。

WING編共通コミュ「二酸化炭素濃度の話」選択肢「…」

そうそれがこちら
強い言葉を使うときはそう思い込もうとしている時
です。

樋口円香コミュにおいては円香自身へのブーメラン発言としてたびたび取り上げられますが、今回のバグ・ルにおいてもそれは例外ではありません。
バグ・ルでも強い言葉を使うところは多くありますが、私はここが分かりやすいポイントかと思いましたので抜粋します。

言葉通りに受け取るならやっぱり夢見鳥とは対極の踏み出さないことを良しとする考えと受け取ることができるでしょう。

しかしこの強い言葉を使うときはそう思い込もうする時理論を持ち出すのなら

夢は無意味(だと信じたい)
願いは叶わない(と信じたい)
適当に生きる方が楽(だと信じたい)

という風に置き換えられるんです。

こうなると話が途端に代わってきます。
信じたいと自分に暗示をかけていると言う事は
円香は夢に向かって踏み出すことを完全には否定しきれてはいないと言う事になります。
つまり、円香の中にはこれらを肯定する気持ちが奥底には残っていることになります。その感情を紐解かずに単純に夢見鳥≠樋口円香と断ずることはできないでしょう。

ではその奥底にある感情とは何なのでしょうか?

それを紐解くヒントになるのがバグ・ル第4第5コミュになるカード
ダ・カラに隠されています。
実装時期分けて多段攻撃仕掛けてくんのやめない?反則だぞお前

そう彼女には夢がないわけではなかったのです。
なりたいものも、焦がれることもなかった彼女の心に唯一焼き付いたうつくしいもの、憧れる夢。
それが浅倉透だったのです。
なにこれ、芸術か何か???????

しかし、その瞬間、同時にその初めて欲しいと思ったものは手に入らないことに気が付いてしまうのです。
まぁ当たりまえです。樋口円香がどれだけ足掻こうと浅倉透にはなれません。浅倉透に近づくことならできるかもしれませんが、少なくとも強いあこがれの下にいる彼女が浅倉透を正しく認識できるとは思いません。

愛染さんもこう言ってることだしね

そう彼女にとって唯一叶えたい願いは絶対に叶わない呪いだったわけです。
でもそれを認めてしまうのはあまりにも酷なことです。
そりゃそうですよ。最初の願いが絶対叶わない呪いだなんて、頭でわかっていても納得できるかと言われたら…まぁ無理でしょう。
だからこそ

夢が無意味だと信じることで
願いは叶わないと信じることで
適当に生きる方が楽だと信じることで
夢というものから目を背け、自らの願いに蓋をしたわけです。
そう、彼女は夢見鳥を理解できないのではなく
理解したくないのです

つまるところ
我々や円香には自らの感情に蓋をした夢を持たない少女が見えており、この視点から見れば、夢見鳥は共感できない(もしくは本人としては共感したくない)曲という風になるわけです。

しかし、円香の奥底にはあの日見た浅倉透という憧れを追いかけたいという気持ちが残っており
その押し殺した彼女から見れば夢見鳥の歌詞は≒の関係にあると考えられるんです。
これを踏まえて、今一度歌詞をご覧ください

味、変わってませんか?恐ろしいねこのソロ曲。
届かぬ憧れに手を伸ばそうと焦がれる曲として、一気に樋口円香のパーソナリティーが浮き彫りになってきましたね。

総括すると夢見鳥とは

夢に向かって踏み出すことを肯定した曲で、樋口円香のことを歌った曲ではなく、円香自身も共感できないと言いました。しかし、円香の中には確かに欲しかったものが焼き付いており、それが叶わないと言う事から目をそらすために、願いや夢を最初からなかったことにしてみないふりを続ける彼女の本性を現した曲である。

ということです。
まとめが長くなった。簡潔にまとめるのってムズイ。

二本線で結ばれるまで

ここまで読んでいただき真にありがとうございました。
この記事が夢見鳥についての解釈の参考になればと思います。
さて最後になりますが、ここで少しおまけとして一つお話させてください。
企画主のベンプさんはアイドルと楽曲に対してラブレターを書けとおっしゃいました。
ですから、最後に自分が夢見鳥について、そして樋口円香に伝えたいこととして少し話させてください。

彼女は本当は夢を追いかけたい、そういう気持ちを持ちながら、しかし絶対に叶わないことを悟り、しかしその残酷な現実から目を逸らすために夢から目を逸らし続けることを決め込んだわけです。
だからこそ、夢に向かって踏み出すことを肯定する夢見鳥とはどう頑張っても現状では≒の関係にしかならないと考えました。

しかし、いつか彼女が彼女自身の夢を肯定して、一歩を踏み出す覚悟を決めた時
自らの感情に我儘なままになれる時が来るのなら、きっとその時には自らの憧れと対峙する、一歩を踏み出す決意の曲として、
夢見鳥と樋口円香の間に=が結ばれると私は信じています。

そして、今回のライブのテーマは「我儘なまま」なんです。

――――きっと思う通りにはならないと思います。彼女はまだ彼女の夢を肯定していないし、自分を表現したいとも思っていないとも言っています。

けれどもいつかきっとこの願いが叶うと信じてこの言葉を私の担当樋口円香に送らせてください。

―――――――我儘であれ、樋口円香


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