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最近やっとワクワクしだした小さい頃の私

タイトルが日本語になっているかはさておき
最近、私は少しだけワクワクすることができた。

きっかけはとある芸術大学の体験授業の動画をYouTubeで拝見したことだ。
「ジェスチャードローイング」という文字とともに、今にも動き出しそうな躍動感のある線で描かれたスーツ姿のイラストが目に止まった。

「いいなぁ」
これが1番はじめに心でつぶやいた感想だ。
きっとこの講師の方は絵が小さい頃からずっと上手くて、挫折することなくここまで描いてきたのかな。上手だなぁ。いいなぁ。
絵を描くの本当に楽しいだろうなぁ。思いのままだろうなぁ。

私だって絵を描くのがすきだった。
小学生のころ、絵を描かなかった日はあったのだろうか?
といっても大した絵は描いておらず、ノートのはしっこに小さく少女漫画を真似して瞳を描くなどしていた。

当時仲の良かった絵を描くのがすきな友達とよく一緒に
お絵描きをして遊んでいた。

小学校6年生の時、心に影が差した。
他クラスの同級生がめちゃくちゃに絵が上手くなっていたのだ。
絵を描くのがすきなことは知っていたが、急にどうしたのだろうと皆が驚くほど上手くなっていた。

その子も私が絵を描くのが好きなことを知っており、
「よかったら一緒に描こう」と笑顔で言ってくれたのを覚えている。
私はきっと引き攣った笑顔で「いいね!」と言っただろう。
胸にずっしりとのしかかる人生初の劣等感。
結局一緒に描くことはなかった。

それまでは「絵を描くのがすき!」と公言していたが、
それ以来絵を描くことも少なくなり、いつの間にか小学校を卒業。

中学では仲良しの友達とテニス部に入り、放課後も土日も部活動にいそしんだ。
それでも本当は絵を描くのがすきだったと思う。
美術の時間はいつも楽しみだったし、みんなが嫌がる美術の宿題も楽しんだ。

それだけすきなら絵を描けば良かったのだが、
中学に入る頃には、手のひらの多汗症が発症していた。
何かをかこうとすると、手のひらの汗で紙が濡れてやぶれる始末。
授業を受けているときでも、下敷きを手の下に敷いてなんとかごまかしていた。
紙になにかを書くこと自体、紙を触ること自体嫌になった私は、より「絵を描く」という行為から遠ざかったのだと思う。

そんな折、美術部に入っていたあの子はものすごい絵を描き、廊下に展示されていた。
「あぁ、もう追いつけない」そう思った。
「とんとんも絵うまかったよね?」と一緒にみていた友達に話をふられ、
「いや、今別に好きじゃなくなってさー!」と空元気で答えた。

絵を描くことが大好きだったはずなのに、
少し考えるだけで苦しい感情がセットでついてくる。
そんなふうになった私は、「絵を描くのがすき」なことを周りに隠すようになった。自分自身にも思い出させないようにしていたのかもしれない。

それから10年以上たったある日。
iPadに出会ったのは今から2年前だった。
iPadの存在はもちろん知っていたが、紙に描くのとは感覚が全く違うんだろうなぁと考えていた。
友人が所有しているiPadに触らせてもらう機会があり、衝撃を受けた。

え、なにこれ。
紙に書いてるみたい。
今のiPadってこんなにすごいの!?

すぐに購入した。
手汗ですべることもあるし、汗でタッチペンより手が反応してしまったり
たまにそういったことが起きるが
描いた絵が濡れて破れることはない。

嬉しかったが、小学生の頃のように毎日描く生活には戻らなかった。
当然かもしれない。ぜんぜん上手くかけない。
あの頃はもっと思い通りに描けていた気がするのに…

ときおりiPadに触れる程度で、活かしきれない日々が続いていた。

そんな矢先にみつけたのが、はじまりに書いた「ジェスチャードローイング」である。
講師の方は「上手く描こうとしない」と言った。
「どんな絵を描いても、描いた自分にマル!と言ってください!」
そんな教えにだんだん肩の力が抜けていく気がした。

そっか私は
「上手く描こう」と無意識に考えて
自分より上手いあの子の絵をみて、「もう上手く描けないからダメだ」と諦めてしまったんだ。

iPadでなら多汗症も関係なく上手く描けるはずと思って、それでもできなくて嫌になってしまったんだ。

どんな絵でもいいから、描いたら自分にマル!という。
マルという。マルをつけてあげる。
これなら楽しんで絵が描ける。

気がついたら、YouTubeを視聴したあと4時間ぶっ通しでジェスチャードローイングをしていた。
夢中になった。
夢中ってこういう感じだったな。
え、楽しいな。

久しぶりに感じた感情に驚いた。
小さい頃の自分が照れて笑っているような気がした。
これからも楽しんで絵を描けるようになるといいな。



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