【発達障害の長男#1】妊娠中の話

世の中ミレニアム騒ぎだった2000年の7月に一人目の妊娠が発覚。当時私はまだ24歳。嬉しいよりは戸惑いの方が多かった。なぜならまだ今の旦那とは結婚していなかったから。いわゆる「授かり婚?」。当時は「デキ婚」と言われた。とはいえ、それを機に結婚し、大慌てで小さい式を挙げ、仕事は引き続きプログラマーとして働きながら妊娠生活を送っていた。

そんな妊娠生活が5ヶ月目に入った頃、いつものように検診に行くと、「切迫流産」だと言われた。即入院。トイレも行けず、24時間点滴をし、とにかく絶対安静と言われた。トイレはベッドの横に簡易便器を置かれ、「ここでやってください」と言われた。個室じゃないのに。。。青天の霹靂だった。確かに、、お腹はいつもカチカチに固かったし、キューーーーっと掴まれるような痛みもあった。でも、初めてだからこんなもん?それより悪阻がしんどかった。

実家の母が田舎から駆けつけ、入院中の細かいお世話をしてくれた。新婚なのに、旦那と私の母との二人暮らしという、、当時まだ27歳だった旦那には辛かっただろうと思う。

入院して1週間ほどで簡易便器は撤去され、トイレのプライバシーはどうにか獲得できたが、24時間点滴はいまだ続いていた。鬱陶しい管だった。時々思い切り泣いたりした。24歳といえば、友達はまだみんな遊びまくっていた。何で?という思いが強かった。せめて楽しい妊婦生活を送りたいと思った。「たまごクラブ」に出てくる妊婦さんはみんな順調だった。入院して簡易便器の世話になってる妊婦はいない。なんで、私だけ?って思った。正直、妊娠してからロクな事ない、と思っていた。でも、エコー検査をするたびに、自分の中に別の命がある事が不思議で、とても大切な物に感じた。エコー写真をもらうと大事にファイリングして、辛くなると眺めていた。

結局、2ヶ月ほどで退院し、クリスマスや年末年始は夫婦二人暮らしが実現した。とはいえ、家でもトイレ以外は「安静生活」と言われ、ほとんどベッドの中でゴロゴロして過ごした。ゴロゴロ、ってお気楽に聞こえるけれど、暇すぎて死にそうだった。主人が仕事に行って帰ってくるまでひたすらテレビを見て、本を読んで過ごした。食事は主人の父母が届けてくれた。お風呂もNGだったので体を拭くか、時々ささっとシャワーをした。好きでゴロゴロしている訳ではなく、強制されていることがしんどかった。友達がお見舞いに来てくれたが、友達が帰った後に、とっても悲しくなったりした。みんなおしゃれして、最近の出来事を楽しそうに話していた。単純に羨ましかった。。。私はもう何ヶ月もパジャマしか着ていないし。美容院も行けず、超天パの髪の毛はモッサリしていた。一番見られたくない姿を見られたと思った。

とはいえ、夫婦二人での生活は楽しかった。病院にいるより遥かに気持ちが楽だった。お正月には車で神社に行って、ささっと初詣をして、お雑煮を食べて、正月番組とか見て、穏やかに過ごした。出産予定日は3月後半だったから、あと3ヶ月!無事に過ごせますように、と祈る日々だった。

年明けから平和に過ごして1ヶ月経った2月の初め、検診に行くと、「切迫早産です。即入院」と言われた。またかよ。あんなに静かに大人しく暮らしたのに。。。しかも、よくよく検査すると、胎児がかなり小さいことがわかった。とにかく、安静にして、なるべく長くお腹にいてもらうことが大事だと言われた。
不安だった。
子供に何かあったらどうしよう。。障害があったらどうしよう。病気だったらどうしよう。不安すぎて考え出したら、夜も眠れなくなっていた。

とにかく、覚悟を決めて出産予定日まで安静にしよう、と思った。もう独身の友達の楽しそうなメールの内容にも動じなくなっていた。私は今私にできる最大限の事をするしかないんだ、と思った。もう、つべこべ言わない!
「母親になるんだから」と思った。
懐かしい24時間点滴も「かかってこいや!」くらいの気持ちで受けた。これがなければ赤ちゃんは外に出てきしまうのだ!
鬱陶しい点滴から、ありがたい点滴に見方も変わってきた。

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