私には私の人生がある!子供には子供の人生があるように。【子供の不登校から学ぶ】
何当たり前のこと、、、と思いますが、子育てが大変になればなるほど、私は自分の人生をどこかへ置いてきてしまった気がします。3人の子供のうち、長男と次女の発達障害は低学年のうちに発覚し、その時点で2人に対するある意味、「期待」のハードルはぐんと下がり、小さい成長に喜び、できなくても、「ま仕方ないさ」と思えたのですが、、、
問題は長女でした。その辺りからの長女に対する期待たるや、、、将来私たち親が亡くなった後には、この子が兄と妹の保護者のような存在になるのだろう、と。
どこかで思っていました。
ただ、小さい頃から個性が強い子でした。変わった発言が多かったのですが、それが面白くて、私は長女の個性が大好きでした。例えば、次女が学研に行き始めた時に、長女にも勧めてみると、
「うーん、、私は勉強は嫌いだし苦手だから、やらなくていいの〜」
とあっさり拒否。??と思いましたが、独特だな〜、変わった発想だな〜と微笑ましく見てました。
「ママ、プリントやろうと思うの。だから準備して!」と言われ、算数のドリルを買ってきて、ひとまず7日分ほど張り切って用意をしたら、3日もしないうちに、
「お母さん、もうプリント大丈夫!もう、寝れるようになったから」
え??寝つきが悪かったらしく、寝入るためのプリントだったようです。。。
そうかと思うと、ASDでパニックを起こす妹に、半ばうんざりしながら、淡々と距離を置いてご飯を準備していると、
「ママ、妹のこと、無視してるの?」
「違うよ。落ち着くまで少し一人にしているだけよ。」
「ママ、妹の心まで無視しないでね」
とドキっとするような事を言われました。確かに、ちょっとイラっとしながらキッチンに立ってしました。
長女が中学受験の勉強を始めた頃から、私はあんなに嫌いだった、「教育ママ」になり始めていました。それまで微笑ましく見ていた長女の個性を見ることが減り、「足りないところ」ばかりに目がいき、口うるさく注意し始めました。
一人くらい、「できる子」を育ててみたい。私のエゴです。
受験をすると決めたのは長女ですが、もしかしたら、私からなんとなく圧を感じたのかもしれません。ただ、最近長女から話を聞いたところによると、
「自分の失敗を知っている人がいる学校には行きたくない」と思ったから、らしいのです。何の失敗なのかはわからないですが、、失敗することへの恐怖、それを見られることへの恐怖、そんなものが根深くあるのかもしれません。
長女の受験勉強が始まる5年生までは、私は家計が困らない範囲内で、わりと自分の好きなペースで仕事をして、資格試験の勉強もガッツリやって、家事はその間は旦那に丸投げしたり、子供のこともほったらかしだったりもしたのですが、みんな応援してくれました。
娘の受験勉強が始まると、長女に対する私のチェックが始まりました。仕事も家事も受験勉強に合わせたものに少しづつ変化していきました。
反抗期も始まり、本当に罵り合いのようなケンカもしました。LINEでの罵声の応酬もありました。「鬼畜」とか言われました。よく言われたのが、
「決めつけるな」です。なかなか始めようとしない勉強や塾の宿題に、
「いつになったらやるつもりなの?このままやらないつもりなんでしょ?」
とか言ってました。やる気なくなりますよね、、、これ。
なんというか、この頃から、娘の人生と自分の人生がごちゃごちゃになっていた気がします。いつの間にか、合格させることが自分の生きがい、のようになってしまっていた、、。いつの間にか、娘の人生の成功が自分の人生の成功のように。
何をもって成功か謎ですけど、なんとなく、、娘が一般的なレールに乗っていることが私にとっての成功であり、安心だったのかもしれません。
でも、娘がそのレールから降り、人生からも降りようとした娘を見ていて思うのです。自分の人生と娘の人生は別物。自分の希望やエゴばかりを娘の人生にねじ込んでいたのかもしれません。娘は入院中や退院後も私を睨みつけるように何度か言いました。
「過干渉。」「決めつけ。」「脅し。」「お前らのせいだ。」
過干渉、、、だった。確かにそうだった。
脅し、、確かにそうかもしれません。〜〜〜しないのなら〜〜〜するよ、とか、
〜〜しないなら、〜〜〜もしないよ、という発言がそう聞こえたと言っていました。
一番大きいのが、「勉強しないなら、スマホの携帯解約するよ。」
「塾にいくらかかってると思ってるの。宿題ちゃんとやらないなら、もう塾やめていいの?」
これは子供にはどうやっても太刀打ちできない大人の力をこれでもかとふりかざすように感じたようです。やはり、お金が絡むと子供は何も言えなくなるんですよね。。それを私も知っているから、最後の取引材料として使ったのでしょう。
ひどいもんです・・。
勉強するもしないも、その子に結果として返って来るだけなのです。仮に落ちたとしても、それを受け入れることもまた経験。そう思えなかったんですね。落ちたらあの子はどうなっちゃうの?公立嫌だって言ってたからいかなくなっちゃうかもしれない、と、私の方が失敗を恐れていたのかもしれません。
(結果、私立にて不登校・・・)
私に必要なのは、子離れ。。少しづつ自分が持たなくてはいけない!と思っていたものを手放す事が必要なんだと思います。
私自身が自分の人生を楽しむこと。自分の人生を生きること。
少しづつ、それを見せていきたいと思います。
少し前に、娘に言われました。
「私のせいで、やりたい事を諦めるのだけはやめてね」と。
「やめるわけないじゃん!コロナのせいで我慢してるだけだし!」
と、とっさに答えましたが、本当は迷っていたのです。娘がこんな時に私は自分の好きな事やってる場合なのか、って。
不登校である娘を心配するのは仕方ないけど、心配してあれこれ手を回すのも違う。遠慮して自分のやりたい事を我慢するのも違う。
結局、娘自身が自分の人生を歩くのだから。ただ、娘が私を頼ってきた時、意見を聞いてきた時、その時はしっかり向き合おう。
娘が不登校になって、本当にいろんなものを失ったような気もしますが、子育てに対する「気付き」は得ました。当たり前ですが、自分の人生は自分のもの。
そう言えば、娘が4年生の頃に、言われた事があります。
「私はママみたいな大人になりたくないな〜。つまらなそうだもん」と。
「何を、失礼な!こう見えて楽しいよ」と冗談を言っていた事がありますが、、
毎日、仕事と家事に追われ、疲れた顔して仕事の愚痴も言ったりして、給料日の前になれば、「あ〜、お金ないわー、宝くじでも当たんないかな、買ってないのに当たんないか・・」と呟く親の姿を見て、そりゃ、大人になりたいなんて思わないですよね。。
「大人になったら楽しい」のイメージが出来なかったんでしょうね。
遅ればせながら、これから私なりに見せていきたいと思います。
最後までお読み頂きありがとうございます。
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