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走る

僕は走る事が好きだ。しかし、よく言われる事がある。「走るって何が面白いの?」「疲れる事をわざわざやる意味が分からない」と。

なんでこういう質問をしてくるんだろうと不思議でしょうがなかった。と思う反面、何故みんなが走る事を嫌がるのか考えてみると、小学校時代の持久走にあるのではないか。冬の寒い日に校庭を意味なく走らされ、歩くと先生から怒られるという経験だ。

僕の走る理由は3つだ。

①健康

1つ目は「健康維持」だ。シューズがあればどこでも手軽に走れ、健康維持をする事ができる。旅先には必ずシューズを忍び込ませ、土地土地を走るのが一つの楽しみである。

②マインドフルネス

2つ目は「マインドフルネス」だ。時間や暇があれば携帯を触り様々な情報に触れ、悩み事などが増える現代社会、走る時間を作らないと1日依存してしまい、心の健康を奪ってしまう。サウナもよく行くが同じ感覚である。情報という人混みから逃れ、開放的な空間・時間を作る目的。

③魅了の追求

そして3つ目は、「なぜヒトは走る事に魅了されるのか」の追求である。お正月の箱根駅伝やマラソンは、みんなが魅了される。なぜ魅了されるのか。今のところ考えている仮説はこうだ。まず本能的な部分で、足が速い奴はモテる。小学校の時にモテるのは足が速い奴でスポーツ万能な奴である。あれは本能的な部分で、生命的な強さの指標ではないかと思う。動物で例えると、狩りが上手で養う力があるのではと本能的に魅了されるのではないか。人間の場合、その後は頭の良さが金を稼ぐ事に繋がり、本能的な部分が薄れていくと思う。もう一つは20kmや42kmのマラソンを原付並みのスピードで走り抜けるパワーに惹かれる。

そしてもう一つは、「情」だ。走れメロスが未だに読まれ続けるのは、情に付け込んでいるからでもあると思う。友情や愛情が走りで表現される。箱根駅伝は最たるモノで襷を用いて、友情や伝統などを乗っける事が出来、良くも悪くも感動を生むのだ。こういった事がヒトを魅了するのでは無いかと考えている。

しかし、お正月の箱根駅伝は100km先まで沿道が途切れないのだ。これはどうやって解釈すれば良いのか。これは探り続けるしかない。まだまだ走りに魅了させてもらう。

おわりに

最後に、最初の質問で「走るって何が面白いの?」って問いには「走ってみれば」と答えるようにしている。そこで感じる事に関しては否定も肯定もしない。ただ僕は走るを通じて本能、健康、マインドフルネス、情、魅力とはなんだをこれからも追求していく。


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