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学びを「人との出会い」として捉えてみると、辛い勉強イメージから解放されるのではないか説

こんにちは、Your Verseの長谷川です。
「あなたの物語を紡ぎ、世界を紡ぐ、心震える瞬間を。」をテーマに経営支援や人生支援を活動しています。

リスキリングや学び直しなど、昨今しきりに耳にする「学び」について、書いてみようと思います。

学びと聞いて真っ先に浮かぶのは、勉強です。中でも、受験勉強を頭に浮かべることが多いのではないでしょうか。そうなると、多くの人の心に浮かぶのは、「苦しい、辛い、できない」というどちらかというとネガティブな言葉が多く浮かぶ気がしてしまいます。(もちろん勉強が楽しい!という方もいらっしゃると思います)
昨今流行っている学び直しなどを考えると、苦しい勉強としての「学び」をこれから一生やっていくとなると結構しんどいものがあります。
そこで、今回は、「学び=勉強=辛い」とは別の「学び=出会い=楽しい」の考え方をシェアしたいと思います。

学びは、人々の生き様を学ぶこと

まず、我々は何を学んでいる何か?を考えてみようと思います。
我々は、生まれてから、小学校から学ぶいわゆる国数英理社、続いて、大学での政治経済、文学、理工学などの専門的な学び、そして、社会に出てから経営、マーケティング、組織開発などの実践的な学び。さらに、少し飛躍させると、両親や先生、上司先輩から学ぶ人生哲学や処世術などの学び。こういったことを学んでいると思います。
これらは、相互の関係性を感じるもの(例えば、算数ー数学ー理工学ーデータサイエンスー経営者の数値勘)、それぞれに個別に存在していて一見全く別ものと思えます。
しかし、これらの「学び」に共通する点が一つあります。それは、全ての「学び」は、先人たちが自分の人生経験からの気づきを紡ぎ、バトンを繋いできた叡智であるということです。

これがとてもわかりやすく描かれているのが、こちらの「チ。―地球の運動について― 」という漫画です。天動説が信じられているヨーロッパ?を舞台に、地球が太陽の周りを回っているんなじゃない?という仮説から、地動説を証明しよう、心理を突き止めようとする人々を描いた作品です。

小学校で学ぶことも、大学で学ぶことも、会社で学ぶことも、誰からか学ぶことも、すべて、過去、生きてきた人たち、今、生きている人たちから繋がってきた叡智だと思うのです。つまり、「学び」=「人間」だと思うのです。

学びも出会いが重要ではないか

さて、これだけでは、「学び=勉強=辛い」からは、抜け出てないと思います。ここでもう一つ発展させたいのが、「学び」も「人間」と同じで、好き嫌いがあり、相性があり、出会うタイミングが重要ではないか?ということです。こう捉えてみると、自分の人生が進む中で、必要な学びと出会い、自然と好きになる、できるようになる学びがあるということではないかと思うのです。
これはスティーブ・ジョブズの有名なスピーチに出てくる学生の頃、カリグラフィーという「字をいかにかっこよく書くか」という授業が、将来、iMacのフォント開発に繋がったというコネクティングドッツにも重なると感じています。

しかし、現在の特に学校教育システムは、学ぶ内容やタイミングは、誰かに決められているケースが多い。
人生を生きる上での出会いを学びとしてみることで、スティーブ・ジョブズまでいかずとも、好きこそものの上手なれ、学ぶべき時に学びたい時に学べる方が、自らの成長にも社会貢献的にも良いのではないかなと思うのです。そして、何より納得感があり、楽しいと思うのです。

中卒だろうがめっちゃ成功している人がいるなど、勉強ができないからといって、社会で活躍できない、幸せになれないわけではないというのも、ここから来る気がしています。(そういう意味で言うと、そのような方は、とてつもなく「学んで」います)

おわりに。

いかがでしょうか。
学びを人との出会いとして捉えて、「自分の人生を豊かにする人=学びと付き合っていく」ことで、「学び=出会い=楽しい」になるのでは?という考え方のシェアでした。
私も少ない経験の中で、感じたことをまとめてみました。ぜひこんな考え方もあるのでは?という方いたら、コメントやメッセージいただけますと嬉しいです。

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