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猫溜まり

 きのう仕事で些細なミスをした。周りから責められている訳でもないが、ただ誰よりも俺が自分にがっかりしていた。どうしていつもこうなんだ、肝心なところでスマートにできない。週末を目前にした金曜にそんなミスをしたせいで、余計落ち込む。そんな浮かない気分のまま突入する週末、俺はせめてもの気晴らしに重い腰を上げて家を出た。行くあてが無い時の行き先は、たいてい決まっていた。

 その店は、一風変わった観葉植物の専門店だ。はじめは、パソコンと向き合ってばかりの疲れた眼に、グリーンがやさしいというのをなんとなく思い出して、たまたま近所にあったこの店にふらっと立ち寄ったのだった。店内は、素人目にも置きすぎなのではと思うくらい植物の鉢が所せましと置いてあり、そのせいでいつでも薄暗かった。昼間でもほんの少し木漏れ日が入る程度。空間自体は本来開放的な作りなようだが、多すぎる観葉植物のせいでまるでジャングルだ。空調はいつも少し涼しめに設定されていて、店内には植物の青い香りが充満している。そしてなぜか、鬱蒼としている中にいくつか簡素な腰掛けが置いてあり、そこに座っているとジャングルの中に身を隠しているような気持ちになって、とても落ち着くのだ。

 また、店の佇まいも良いがそれよりも俺が気に入っているのは、店主がほとんど喋らず放っておいてくれることだ。いくらそこに居座っていても注意などされないし、そもそもお客はほとんど来ず、店内は無音で静かだった。時折遠く鳥の声や、近所の川辺りで遊んでいるような子どもの声が聞こえてくるくらい。居心地が良すぎて、ぼーっと長居してしまう。そうしていると、しばらく後に店主から「ジンジャーエールいかがですか?」と勧められ、俺はそのままそれをオーダーする。なぜ観葉植物店で飲み物が出てくるのか分からないが、それが毎度妙にうまいのだ。この流れがいつものパターンで、実際俺はここで観葉植物を買ったことはない。いつもジャングルの中でジンジャーエールを飲んでいるだけ。

 しかし今日は、きのうのくだらないミスのこと、束の間ですら格好のつかない自分のこと、果てにはうまくいかない恋愛のことまで、あらゆるネガティブたちが一気に脳裏に去来する。落ち着け。客観視してみろ、そこまで最悪ではないはず。例のペンギンであれば、全力で肯定してくれるはず。ジャングル身を隠しながら、ペンギンへと俺は思いを馳せていた。

 ふと視線を感じる。無論、店主ではない。それは店の外から、またあのかわいい猫ちゃんである。いや、そうじゃなくて、あの生意気なキジトラの猫である。

 いつも「信じらんにゃーい」といったかわいい眼でこちらを覗き込んでくる。そして、絶対に店内には入ってこない。おそらく店主が隠れて餌でもあげているのだろう。この店でぼーっとしていると必ずと言っていいほど現れるので、いい加減覚えてしまった。度々ここに来ては外から覗き込み、「こんな緑がもじゃもじゃで薄暗いところに閉じ込められているなんて信じらんにゃーい!世界はこんなに明るいのに!」というかわいい顔をしてこの店の客、つまり俺を、ひとしきり軽蔑していく。
 猫に軽蔑されている?そんな気がするのも俺が弱気になっているからか。
 落ち込んだ雰囲気を察知したのだろうか。店主がぎこちなく、話しかけてくる。ほとんど初めてのことで思わず俺も身構える。

「猫が、いますね」
「そうですね…」
「……猫がこちらを覗いています」
ほぼ実況のような内容だ。だが気まずくならないよう相槌を打つ。
「…はい」
「猫溜まり、というのがあるのを、知ってらっしゃいますか」
「…はぁ?…初めて聞きますが……」
 いったい何の話を始めると言うのか。
 会話らしいやり取りは今までなく、初めて店主の風貌をまじまじと捉えたのだか、印象よりも年齢が近そうだなと思った。そもそも、ジャングルのような店内に負けじと、もじゃもじゃの口ひげを蓄えているから年齢不詳なのだ。それにしてもこんな商売をしてこんな接客で、現代における仙人かなにかだろうか。俺は蔑むような羨ましいような、複雑な気持ちだったが、店主はそんな俺の胸中を知る由もなく話を続けた。
「猫溜まりは、猫の集会とも、違うものです」

 カフェの店主いわく、世の中には、どうしても猫の溜まってしまうポイントがあるらしい。またそれが、猫の集会とも決定的に違う要因としては、猫同士の距離感なのだという。通常猫とは縄張りをかなり意識する生き物で、コミュニケーションの際にも猫なりにパーソニャルスペースを重んじるということだが、不思議と猫溜まりではその概念が無視されているらしい。もふもふな身体を密着させ、かと言って何をするわけでもなく溜まっている…。その現象が一体どういった仕組みなのか、どの猫かが召集しているのかそれとも皆自然に誘き寄せられるのか、はたまた何か溜まらずにはいられないようないい匂いがするのか、すべては謎だという。
「まさに、猫のみぞ知る、です」
 表情の読めない店主だが、おそらくドヤ顔であろう。果たしてそんな格言みたいなものがあっただろうか…?しかし不覚ながら、俺はもうめちゃくちゃにその「猫溜まり」なる現象を目撃したくなっていた。あのかわいい生意気なキジトラの手前意地を張っていたが、俺は猫が、それなりにとても、おそらく一般的なレベルよりも大大大好きなのだ。
「たとえばここからも近いあそこの川。僕は先日あすこで、猫溜まりを見かけました」
「川沿いの土手のところではありません。先月3週間ほど雨がほとんど降らなかったですよね?川の干上がったポイントでほとんど川底のようなところに、数匹の猫が同じ方向を向いてくつろぐように脚を放り出して溜まっていました」
「そしてあの中にこちらを覗いているあのネコチャンもいたように思います。…あ!」
 思いがけず饒舌になった店主だが、「ネコチャン」と口を滑らせたのが恥ずかしいらしかった。普段そのように猫を愛でているのだろう。なんだ、ただの同志か。俺はほんの少し店主にも親しみを持ったが、悟られないよう愛想笑いをし、ジンジャーエールを急いで飲みきった。「猫溜まり」を探しに行くために。

 われながら単純だなと思ったが善は急げだ。こういう行き当たりばったりな自分の性格を年甲斐もなく(来年俺は27である)恥ずかしいなと思う反面、実は気に入っていたりもする。会計を済ませて、足早に川の方向を目指す。気づくと先程のキジトラが俺を先導するように前を歩いている。時折こちらを振り返るのは、「ちゃんと着いてきているかにゃ?」とうかがっているのにちがいない。まったく、かわいいが過ぎる。
 さてすぐに川沿いの道へと辿り着く。川辺の植物たちが、初夏の強い日差しと湿気を多く含んだ大気に喜ぶみたいに、青々と深く茂っている。太陽と草木から放たれる生命の匂いが立ちこめる。鼻孔いっぱいに吸い込むと先日、職場で慕っている先輩から言われたことを思い出す。「お前はお前の興味と勢いのまま、直感を大事に行動するときのほうが面白い仕事をするよ」と。たしかに、俺は綿密に計画したときのほうが調子が伴わず思うような結果を出せなかったり、昨日のようなつまらないミスするパターンが多い。また逆に、先輩の言うようにテンションと発想の勢いを保ったまま自由に動いたときのほうが、周りの評価が高いのだった。俺は俺のまま行けということか。

 突然川辺りの草が揺らぎ、猫が一匹飛び出してくる。けれど、視界の限り隈なく探しても「猫溜まり」のような現象は見当たらない。確認できるのは、犬を連れたおばさんやおじいさんが溜まっているよくある光景。騙されたか。しかしまあこんなに早くに見つかっては面白くない。未だ俺の先を、軽い足取りで行くキジトラの歩調はゆるめられていない。むしろ軽く走っているような調子になり、俺も見失わないように必死についていく。

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