書評「大覚アキラ『textrock』 ~ スイッチとスピードの詩人」

 誰が何といおうと
 これはロックだ
 おれのロックだ

 大覚アキラは処女詩集『textrock』(表題作)の中でそう語っている。彼が云う「言葉でロックする試み」とは一体どういうことなのだろうか。

 彼の作品は必ずしも「ロック的」ではない。既成概念や体制に対する憎悪や反抗心、切迫した破壊欲求、反社会的な思想などは一切現れて来ない。セックスやドラッグにも傾倒していないし、おどろおどろしさ、汚らしさ、不安定なイメージ、サイケデリックな表現も皆無と言える。彼の作品には激しいビート・サウンドは似合わず、下腹に響くような重低音も、耳を劈くようなシャウトも聞こえては来ない。そういった「ロック」の定義を持ち出すなら「大覚アキラの詩はロックではない」と結論付けることも出来なくはない。しかし、そんな読者に対して彼は「カワイイけど頭悪いなアンタ」と罵倒することだろう。そして我々に「ロック」の本当の意味をしっかりと教えてくれる。「ロックは世界を変えるスイッチだ」と。カッコイイじゃないか。
 結局のところ、大覚アキラの詩の根底には「ロック」の精神が隠されている。それをわざわざ表面に出して、奇を衒うような振る舞いをしないだけだ。とにかくクールな姿勢は崩さない。だが、その奥では確実に「何か」が燃え滾っているように私は感じられる。

 大覚アキラは日常の中で生活する詩人だ。詩集『textrock』に収録されている詩篇のタイトルをざっと眺めてみても「チョコチップクッキー」「ピーナッツバター」「サンドウィッチ」といった日常の要素が頻出する。「ジャスコで会いましょう」なんてふざけたタイトルの作品まである。およそ詩として成立しそうにない(あまりに日常的過ぎて詩想が生まれそうにない)要素を用いて、彼は詩を書こうとする。何故か。
 彼は少なくとも日常を否定している。しかし、日常で生きなければならないことも知っているので、日常を肯定しようともする。否定と肯定の境界線上で、自己と世界の狭間に厳然と現れる「ズレ」を感じている。彼はある時ふと、その境界線を飛び越えようとする。ここまでは一般的な詩人によくある姿だろう。だが、大覚アキラが他の詩人と明らかに違うのは、必ずまた境界線上に戻ってきてくれることだ。定位置に戻った彼がまず最初にすることは、それまで「ズレ」として認識していたものを再構築すること。つまり、自己の中に世界を取り込んでしまう、あるいは取り替えてしまうのだ。
 「ロック」が「世界を変えるスイッチ」なのだとすると、その「スイッチ」は大覚アキラが紡ぎ出す言葉そのものだ。彼は世界に唾を吐きかけたりしないし、打ち破ったり壊そうともしない。「スイッチをオンに」するだけ。実にシンプルだが、劇的だ。我々は、大覚アキラが「スイッチ」を捻るのを、ただ待っているだけで良い。彼の言葉は世界を大きく変えるのだから。

 さて、もう少し彼の作品を分析してみよう。
 大覚アキラの詩を一言で表現するなら「スピード」だと私は思う。「1秒間に24回の速度で生まれては消えていく宇宙を言葉で繋ぎとめる」という長いタイトルの作品が収録されているように、彼の詩の多くはそういった手法で描かれている。難解な言葉を避けたわかりやすい口調が彼の詩のスタイルだが、言葉が一瞬で読者にイメージを喚起させる。また、冗長にならないように細かくリズムをつけるため、イメージが次々と連鎖し、目の前を流れていく。そのため、彼の運転するオープンカーの助手席に座らされ、時速150キロでハイウェイを疾走するかのようなスピード感を持つのだ。そこには多少の恐怖もあるが、もちろん官能もある。大覚アキラの詩の大きな魅力は、まさにそういったイメージの「スピード」であり、瞬間的な心地よさだ。
 また、彼が我々を魅了するのは、決して「スピード」だけに頼らないところだ。良いタイミングでブレーキを掛ける。ハイウェイを下りて、海岸道路をゆっくりとドライヴしてくれたりする。特に、詩集として纏まった作品を読み進めていくと、そのことがよくわかる。いくつかの作品の中で自在に緩急を操っては、読者にあらゆる風景を見せてくれる。なんとも素敵な詩人じゃないか。

 日常を転換させる「スイッチ」としての大覚アキラ、官能的な「スピード」を体感させてくれる大覚アキラ、という二つの観点で詩集『textrock』を紹介してみたが、本作にはその他にも様々なタイプの作品が収められている。暴力的・性的な主観の作品もあれば、純粋な恋愛詩、タイポグラフィ、ファンタジー、不条理コメディ、などなど色んな側面で大覚アキラを読むことができる。どの大覚アキラを好きになるかは読者それぞれだが、もし「嫌いだ」とか「わからない」とか「つまらない」と言う人がいれば、私はその人にハッキリと言ってやろう。「カワイイけど頭悪いなアンタ」と。

 最後に、大覚アキラの処女詩集『textrock』に収められた詩篇の中から、私が最も感動した作品を紹介しておく。​

美しいということ

年寄りは
生きてきた時間が長い分だけ
淫らだ

人間は
そういうものだから
しかたがないのだが

そんなことを
老夫婦相手に
説いている人がいた

しかたないね 婆さんや
しかたないですね お爺さん
老夫婦はゆっくりと頷き

そして
老夫婦はその人の目の前で
熱い接吻を交わした

それは
目も眩むほど
美しい光景だった


この記事が参加している募集

#読書感想文

187,975件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?