遠く死の文字を見つめて幸せを噛みしめる

年末年始というのは、どうしてこう、健康でいられないんだろう。

そうは言っても、昔からそうだったわけじゃない。産後だ。子どもが風邪をもらってきて、うつってダウン。胃腸炎になってダウン。とかなんとか。ここ数年寝正月になることが、多すぎる。今回は、子どもの風邪をもらい、けろりと治った子どもに対して、私は1人気管支炎にまでなり寝込んでいる。苦しい。ちなみに夫は無傷。

子どもの風邪をもらったものの、今回は軽く済んだかも、と安心したのも束の間、正月用の筑前煮と煮豚を作っているときに、不意に息苦しさを感じた。

『あ、これヤバいかも』

急いで、喘息の吸入薬を使った。気がつくと、生理の始まりと、寒波と、風邪、という喘息に良くない奴らが手を繋いで私を包囲している。

翌朝、声が出しづらくなり、午前中息苦しさに見舞われた。吸入薬を追加した。吸入薬の、1日の最大吸入限度数を確認する。副作用か、手が小刻みに震える。副作用なのか、動揺からなのか、心臓がドドドっと打つ。喘息発作の、病院へ駆け込むタイミングを調べる。年末年始、開業医は休みだ。慎重に見極めなくては。大したことないのに行って迷惑はかけられない。でも遅かったら致命的。手先が痺れる。これは、どっちだ?呼吸、できているか?この息の荒さや、手の痺れは不安からなのか?喘息発作なのか?遠くに、『死』の文字がチラつく。苦しさの果てに死ぬのか?まだ死にたくない。子どもが入学するの、見届けたい。

不安を抑えこんで、じっと待った。このまま、薬が効いて、呼吸が楽になりますように。それでだめなら、病院へ!

おかげで、なんとか小康状態。出されている薬を使って様子を見られる状態になった。頼む、なんとか、年明けまで、頑張ってくれ私の体。

家事は完全放棄。夫、ごめん。

布団の中で自動思考が止まらない。

一昔前なら、この吸入薬は無くて、私死んでたのかもな。苦しんで、死んでるのか。やだな。苦しいの、やだな。ん?死んでるとしたら、今は余生か。ギフトか。無いはずの未来。7万年前だったら、集団から捨てられてたな。読んだばかりの漫画、サピエンス全史の中で、木の根元に置いて行かれたヒトのイラストが脳裏をよぎる。

子どもが軽く済んで、夫は無傷で済んだ程度の風邪で、こんなことになる自分。体が弱くて、しょっちゅう体調崩して、寝込んで、今お金も稼げていない私の存在意義とは?

自分が情けなくて涙が出る。

お風呂上がりの子どもが、

「お母さん、今日だっこがたりてないよ」

と言って布団に潜り込んできた。私の腕を枕にして、ぎゅっと手を握りあう。

「お母さん、治ったら花札しようね」

かすれ声で、うん、と答えて、寝転がりながらしばし手遊び。

喋ると咳が止まらなくなるので、子どもの手にひらがなを一文字づつ書いて会話しようとする。

「も?、、し?、、、お?、、ま?、、なに?そんな字ある?漢字?」

まだひらがながおぼつかないので、伝わりづらい。何度も何度も書き直して、しまいにかすれたヒソヒソ声で答えを言ってしまう。手文字の意味なし。だけど楽しくて、子どもも真似して書いてくる。

「だ」「い」「す」「き」

うれしくてこちらも手でハートを形作って子どもに向ける。子どもも真似してハートを送ってくる。

しあわせ。ありがとう。

情けないし、自分の存在意義はなんぞやとも思うけど、また生かされてまだ生きる。

誰に何と言われても仕方なし、これが自分。自分でも放棄したくなるような自分だけど、引き受ける者は自分のほか無し。

今できることをやる。どんなに僅かな小さなことでも牛歩でも。


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