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ケーキな女たち 〜Piece.3 いちごパフェと、うちの主人

Piece.3 いちごパフェと、うちの主人 / 山崎真里 33才

 山崎真里の好物はいちごパフェだ。けれどこのことは秘密にしている。まるでカワイイの象徴みたいなこのスイーツは、真里が目指す生き方とは真逆な見た目をしているからだ。だからこうしてたまにひとりでいちごパフェを食べにくる。自分だけが知る、自分のためのご褒美。今日も至福の時間を味わいながら、いちごパフェに謝る。見た目で判断してごめんねと。そしてこっそりスマホでいちごパフェの写真を撮る。誰にも見せない写真フォルダをスクロールしながら、真里はこっそり「女豹」と呼んでいる女性のことを思い出していた。

・・・・・

「うちの主人がね」

真里がいちばん嫌いなセリフだ。私が聞きたいのはあなたの意見であって、あなたの夫の意見など聞いていないのだが、人の夫の出番なんてまったく必要ない内容のときに限って「うちの主人」は会話に乱入しがちだ。真里が気に食わないポイントがもうひとつある。それは「主人」という言葉そのものだ。もちろん配偶者を指す言葉であることは重々承知しているが、自分の夫を「主(ヌシ)」として立てる意味が真里にはわからない。「主人」と聞くたびに、メイド服を着た女が「ご主人様〜」と駆け寄る姿を想像してしまう。

婆やとか召使いが「ご主人様」というのはわかる。が、自分の夫を「主人」と立てるのはどうも違うと思うのだ。

「主人に聞いてもいいですか」

この春に同じ部に異動してきた後輩女子(30才)の歓迎会を開こうとしたら、彼女はこう言った。結婚して2年。子どもはいない。後輩女子にとっては、夜に飲みに出かけるときは必ず事前に「主人」に許可を取るのが当然のようだった。私も結婚したらそうなるのだろうか。真里は最近、嫉妬深くて束縛がつよめな男と別れたばかりだったから、その後輩女子を大変そうだなと思ってしまった。

かくいう真里も、夫を「主人」と呼ぶ良妻賢母の母親に育てられた。東京まで電車一本で通える埼京線沿いのマンションで、波風ひとつ立たない平穏な家庭で、添加物の入っていない調味料で母親が作ってくれる健康的なごはん食べてすくすくと育った。家族で囲む食卓は平和で、まるでシチューのテレビCMの世界のような絵に描いたような幸せな時を過ごした。それがあるべき幸せの形なんだと信じていた。

だから専門商社に入社してすぐ、女性の先輩に不倫の話を聞かされたときは入る会社を間違えたと後悔した。時差がある海外とリモートで頻繁に打ち合わせがあるこの会社は、深夜残業や早朝出勤も多い。国内外の出張も多い。女性も自立できる働き方をした方がいい、それが常識となりつつあった大学時代を過ごしたから、総合職として働くこと以外の選択肢を考えたことはなかった。「男女平等」なんて言葉をわざわざ考える機会もないくらい、当然のように男女は平等だと思っていたし、女だから差別されたと感じたことはなかった。しかし本当の意味で差が出てくるのは社会に出てからなのだと、就職して初めて気づかされた。バリバリ働く女性の先輩たちの数は圧倒的に少なく、そして圧倒的にほぼ独身だった。結婚している女性は一線を退いて総務や経理などのバックオフィスで前線のサポート業務にまわっていた。不倫をしていたのは当時営業部にいた独身女性の先輩だ。真里は心の中で彼女を「女豹」と呼んでいた。

「毎日深夜まで働いて、そのあとホテルに行って、それで毎朝起きれてたから私も若かったのね。でもさすがに眠くて昼間はトイレで寝てたの」

10年前、真里が入社したばかりのころだった。女豹は新入社員だった麻里をよく飲みに連れて行ってくれた。酒が入るとたびたび過去の不倫話を武勇伝のように話していた女豹は、当時40代半ばで独身だったが、まだ現役バリバリで恋愛を楽しんでいそうなムンとした色香を漂わせていた。

「山崎も一回は経験するといいんじゃない、不倫。若くないと体力もたないもん」

浮気は男の甲斐性なんていう都合のいい言葉があるが、この女豹は、不倫は女の甲斐性とでも言わんとばかりに悪びれる様子がまったくなかった。この人の倫理観はどうなっているんだろうと真里はあっけにとられた。これだからバブル世代は。女豹と話すとその価値観の違いにどっと疲れた。

しかしそれから10年が経ち、世の中はだいぶ変わった。10年前に女豹が言ったことを今の新入社員に言ったら、女豹は完全に浮いてしまうだろう。バブリーな大人たちと今の若者は、まったく別の成分でできていて混じり合う気配がない。しかし時の流れは人を浄化させる作用があるのか、今は女豹は社内のSDGs推進部でエコ活動に専念している。エコとは真逆な生き方をしているような人だったから、人生いつどう転がるかわからない。そんな女豹を数年前に突き刺したのも、「主人」というパワーワードだった。

女豹は独身で、彼女を縛る足かせなんてひとつもなかったから、呼び出されたらいつ何時でも軽快に夜の街へと駆け抜けた。それが女豹の強みでもあった。彼女が顔を出すとそれまで鉄壁を崩さなかった重役も心の重箱を空けた。案件が入り組んで難解であるときこそ女豹の出番だった。だから数年前に働き方改革が敢行され、若手の女子社員が「接待」の慣習に抗議するようになって女豹はちょっとイタイ存在になってしまっていた。けれど女豹は自分のスタンスを変えることはなかった。そんなときである。


「主人に聞いてもいいですか」

若手女子社員から「主人」の切り札が出された。どうしても接待に女子社員を同席させたがった女豹に、若手女子社員がそう切り出した。「家のこともあるんで」彼女は自分の人生は仕事だけじゃないし、家でのパートナーシップも重要であることを主張した。仕事のために自分を犠牲にするあなたのような生き方はしたくないです、と言わんばかりに。

時代は変わったのだ。今やこの会社も総合職の男女比は半々である。バリバリ働く女子も、同じようにバリバリ働く男子と早々に結婚して、家事分担などしている。まるで理想の夫婦像だ。それはわかるのだが、真里の心はざわっとした。その先進的な後輩女子からは、身ひとつで20年以上走り続けてきた女豹の半生を否定するような攻撃力を感じたからだ。真里はそのときの女豹の顔を見ることができなかった。見てはいけない気がした。

真里の母はいまだに自分の夫を「主人」と呼ぶ。還暦近い夫婦が急に互いを「パートナー」と呼び出すことは考えづらいし、母親にわざわざ抗議するつもりはない。けれど真里は、それ以来「主人」という言葉が嫌いになった。「主人がお世話になってます〜」という無邪気な攻撃。私には味方がいるの。そんな切り札を、そうではない生き方をしている相手に突きつけるような女になりたくないと真里は思うのだ。


・・・・・

新設されたSDGs推進部で働く女豹は、定期的に山に植林活動に出かけていた。そんな女豹はめっきりお酒も弱くなり、真里とは今は1年に1回くらいランチに行くような関係だ。過去の不倫話を封印した女豹の最近マイブームは、豆腐づくりらしい。数年前まで深夜のビストロでステーキ肉を頬張っていたとは思えない進化だ。真里はいちごパフェをつつきながら、明日は豆腐ダイエットしようと心に決めた。



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