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文章練習1[3分短編]

 キリシマだと言った。あれがキリシマだと。ささくれたサッシに手をやり身を乗り出したが、左右に張った栗木の外壁に阻まれて、彼がどれのことを指しているのか、私にはわからなかった。

 彼の人差し指は、ほんの1メートル先に向けられている様にも見えたし、尾根の端に微かに見える霞んだ海面に向けられている様にも見えた。何にせよ、窓から見えるどれかのことだろうと私は理解した。
 とはいえ、そこから見えるものもそれほど多くはなかった。送電線の一部、施錠された貯水場、職員達の宿舎、閉鎖棟、法面に立てられたまますっかり錆びてしまった矢板。ところで、あの法面はいつからあるだろう。矢板があると言うことは、まだ作業中なのだろうに、私の問い掛けに、彼はくるりと室内に向きかえり部屋を見回した。そして、通りかかった職員の足元を指差して、キリシマだ。と言った。あれがキリシマだと。   

 2011年3月、あのどうしようもない混乱の中、私は突然、外の世界に投げ出された。

 我々の病院があった地域は軒並み厳戒地区に指定され、全ての入院患者が転院を余儀なくされたのだが、移送先の病院で再検査をした結果、入院の必要なしと診断されたのだ。
 ただ単に、自治体に病床を確保できる病院が足りていなかっただけかも知れないが、それでも、少なからず私は社会に認められたのだと言う気持ちが心の水面に閃いていた。
 入院の必要なし。お前は正常だ。すまなかった。お前は私たちの家族だ。20年前、両親や兄妹がそう言ってくれていたらどれだけ嬉しかったか。私は、私の様に生きて、そう、私の様に生きられただろう。

 この20年間、私は何度も家族の夢を見た。私の思い描いた人生を。

 妹の大学祝いには花束をプレゼントしたし、両親の還暦には食事に誘った。職場で知り合った相手とも結婚した、子供が2人いて、公立校に行かせるのか、私立校行かせるのかで夫婦喧嘩をした。葛藤があった。愛があった。共感があった。許容があった。
 人生の蓋が開かれ、中の仕組みをそっくり覗いてみても、夢の中の自分が知らない部品は一つとして見当たらなかった。

 よく病棟の夢も見た。東棟から食堂へつながる渡廊下で、私は探し物をしている。それは靴だったかもしれないし、先の割れたスプーンだったかもしれない。職員がつかつかと歩いてきて、それならそこで見たよと何処かを指差す。指の先には年老いた両親が立っていて、幼い兄と妹が物珍しそうに室内や窓の外をきょろきょろと眺めて回っている。
 そして出し抜けにこう言うのだ。それならそこで見たよ、と。

 自立生活相談員は三度、家族に連絡を取ってくれた。両親は他界していたが、兄妹の協力を仰げば、私が社会的入院からの復帰を行うのも容易いだろうと考えたのだ。
 しかし、面会室で再会した兄は、私には目もくれず、言葉を交わすこともなかった。セカンドオピニオンの指導のもとで再入院の手続きを行って欲しいと主張した。私の目の前で、私のことを、私以外の誰かと決めたがっていた。
 相談員はかさりと資料を取り出して、再入院は難しいですと話した、転院者増加による業務で疲れ果てているように見えた。そして静かに、お互いこれが職務ですし、退院後の生活の為に、後見人として保証書類のサインだけお願いしたいと説明した。

 子供の頃、学校に植えられていたマルバヤナギの枝を折って怒られた事がある。
 ざらついた校庭を抜けて、高いフェンスから連なるプールの端に植えられて年老いた樹木だった。当時、兄は余りにも木登りが上手だったので、その影響で私は木登りという行為に神聖さと憧れをいだいていた。小さな自分を誇示する一大イベントだったのだ。
 兄を追いかけて、変形したフェンスに足をかけ、徐に目の前の枝を掴んだ瞬間、ぐしゃっという音とともに私は地面に落下した。杓子の様に曲がり折れたマルバヤナギの枝が目の前にぶら下がっていた。兄はすぐさま私に駆け寄り、大丈夫かと尋ねた。兄はいつでも私に優しかった。
 その日、職員室に呼ばれたのは私だけだった。なぜみんなと遊ばず、一人で木登りなんかするのかと問われた。兄と遊んでいたのだ、しかし私の不注意で枝を折ってしまったのだと話すと、教師たちは顔を見合わせて不思議そうに首を傾げた。

 両親は怒らなかった。というよりも、私に興味がなかったのだろう。毎日、夜になると彼らは何処かに出かけて行った。なので私はいつも一人ぼっちで食事をした。
 兄と妹は私よりも早く登校した。友達を沢山引き連れ賑やかだった。友人の少なかった私は、時折、教室前の洗面台で彼らと顔を合わせ、立ち話をした。相談事を持ちかけると、お前は最高の家族だと励ましてくれた。

 両親は、私が幼い時代を過ごした土地の共同墓地に納められていた。苔の蒸した墓地の隙間にぽっかり開いたコンクリート材の四角い建造物。
 8メートルほど階段を下った先にコの字型の棚が並んでおり、そこに名札のついた陶器が置かれている。これが私の両親だ。

 キリシマだ。と背後から兄が声を掛けた。妹は幼い頃の姿で目の前に立ち、私の顔を覗き込み、大丈夫?と問いかけた。
 大丈夫、と私は呟いた。涙がこぼれ落ちた。扉は開いたままだった。ここはどこだろう。

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