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“そんなはずじゃなかった”人生を歩む

思い描いていたレールから突き落とされ、しがみつこうとしたけれど力尽き、それでも歩くしかないと前を向く。そんな10代だった。学校に行こうとすると身体が動かない、それまで頑張れていたのに何もできない、泣くことすらできない。大丈夫ではないのに“大丈夫”だと言い聞かせ、そう振る舞っていた結果、私の心は厚い皮で覆われるようになった。

まだ22歳でしょう? そう言われるけれど、この22年間は私にとって重たいものだった。「人生3倍速」と喩えられたことがあるが、そうだとすると、私はもう60歳くらいになっている。60歳は大げさかもしれない。でも、30歳くらいまでは生きたような気がしている。

私は、“そんなはずじゃなかった”人生を歩んでいる。

自ら切り拓いているようで、環境の変化に追いつくために動いていた人生。母の2回の離婚、たくさんの引越しといった環境の変化だったり、学校に通えなくなる、会社に行けなくなるといった精神面の変化だったり、さまざまな変化に適応するので精一杯だった。

まだ幼かった私は、自分で選択できない状態で、どうしたら生き延びられるかを考えるような子どもだったと思う。もちろん楽しい思い出もいっぱいあるけれど、哀しさや諦めが詰まった人生だった。

12歳。私は、2020年の今頃、東京大学に通い弁護士になるための勉強をしているのだと思っていた。小学校の謝恩会で、スライドを表示しながら「東大に行って、弁護士になります」と話したことを覚えている。中学進学を前に実父に「養育費を払ってください」と三人姉妹で言いに行ったのもたしかこの頃で、弁護士になれば請求できると信じていたし、そのための人生を歩むのだと思っていた。

15歳。私は、2020年の今頃、結婚をしているのだろうと思っていた。中学卒業を記念して、未来の自分に当てた手紙では「18歳から素敵な恋人と同棲をはじめて、20歳で結婚していたいなあ」と書かれていた。家族構成が当たり前に変わる環境にいたのもあり、“変わらない家族”がほしかった。

18歳。私は、2020年の今頃、進学が決まっていた大学に通い、サブカルチャーについて学びながら就職活動をしていると思っていた。通信制高校に通っていた私は、サークルに入って、インターンをして、楽しい大学生活を送る未来を描いていた。家庭の事情により、半年で中退することになるなど、想像してすらいなかった。

20歳になったら、自然とこの生涯は終わりを迎えるのだろうと思っていた。自ら選ばずとも、見えない誰かが迎えに来てくれるのだ、と。実際にそう信じたことで乗り越えられたことだってある。

でも。

2020年8月10日。気づけば、私は22歳を迎えていた。

22歳の私は、あの頃とはまったく違う、“そんなはずじゃなかった”道を歩んでいる。東京大学に通っていなければ、結婚もしていない。大学に在籍すらしていない。想像していた未来とかけ離れた場所で、生きている。

「なんとか会社を辞める口実をつくらなければ」

はじまりは、そんな動機だった。

家庭の事情で大学を半年で中退することになり、この先どうしようか途方に暮れていた2018年の冬、19歳。とある会社で契約社員をしていたけれど、週5日同じ場所へ通うこと、8時間きっかり働くこと、まわりに気遣って身だしなみを整えなければならなかったこと……自覚していないことも含め、さまざまな負荷がかかっていた私は、内側から崩れ始めた。中学生の頃、だんだんと起き上がれなくなり、声が出なくなり、学校に行けなくなったときと同じ状態になってもなお、“大丈夫”と言い聞かせ、自分に鞭を打ち続けた私は、誰にも「助けて」を言えなかった。最後は綺麗に「やめます」と言える気力すら残っていなかった。

そうしてたどり着いた、ライターという仕事。ライターの先輩方には「文章を書くことが好きだった」「文章を褒められて生きてきた」と言う人が多いけれど、私はとくべつな才能があるわけではないし、誰もがうらやむ魅力を持っているわけでもない。むしろ高校生の頃に書いた小論文を「小説みたいだよね」と先生に笑われ、「文章なんて二度と書くか!」とすら思っていた。そんなライター人生も3年目後半に突入し、ここまで続けさせてもらっているのであれば、きっと向いていないわけではないんだろうなあ、と思い始めたところだ。

こんな人生を「自分で選んだ」と思えれば、まだ誇りを持てるのかもしれない。でも実際は、環境の変化に追いつくことに一生懸命で、そうは思えなかった。もう仕方ない、自分を殺すことが当然だと信じていた。毎日を楽しく笑顔で歩んでいた一方で、どこにも希望なんてないとも感じていた。今でもまだ、当時のしこりは残っている。

“そんなはずじゃなかった”人生に対する視点がおおきく変わったのが、今年、2020年。

2020年の今、きっと誰もが“そんなはずじゃなかった”と言いたくなるような毎日を歩んでいる。猛暑にマスクをつけたり、当たり前にあった仕事がなくなったり、大切な人に簡単に会えなかったりする未来を、いったい誰が想像していただろう?

「こんなはずじゃなかった」と絶望を味わい、未来に失望し、地球全体が思い通りにならない世界を、みんなが歩んでいる。それでも朝はやってきて、当たり前じゃなかった当たり前に慣れてくる。

「“そんなはずじゃなかった”世界でもなお、私たちは希望を見つけることができる」。
それが、22歳になった私が気づいたことだ。

猛スピードで駆け抜けてきた人生が自然と緩み、立ち止まることが増えたおかげで、そばにいてくれる人に「助けて」と言えるようになった。対面で会おうとするとなかなか都合を合わせられなかった人と、オンラインで気軽に話せるようになった。力が抜けてはじめてどこに力が入っていたのか分かるように、あらゆる箇所の力が抜けるのを感じられた。

“そんなはずじゃなかった”世界にちいさな希望を見つけるなかで、もしかしたら「絶望しかない」と思っていた22年間にも希望はあったのかもしれない、と思えるようになった。ゆっくり時間が流れる今、これまでの人生をあらためて振り返ると、当時は気づかなかったさまざまな希望が隠れていたのだ。

今、そばにいてくれる友人と出会えたこと。もとから仲の良かった友人に落ち込んだ姿を見せられるようになったこと。友人や恋人にじっくり手紙を書く時間をとれたこと。そのおかげで関係性が深まったこと。ひとりでいろんな本を読めたこと。演劇が大好きであると再確認できたこと……。

希望が見えてはじめて、私は、今の私を肯定できるようになってきた。“そんなはずじゃなかった”人生を歩んでいなければ、今の私は生まれていない。今、この仕事に就いていない。今、この文章を書けていない。“そんなはずじゃなかった”人生を歩んできて良かったなあ、と、世界が“そんなはずじゃなかった”状態になってはじめて思えたのだ。

すぐ落ち込むし、泣いてばかりだけれど。この一年を通して、22歳の私は、どんな絶望のなかでも希望を見出せるようになるのかもしれない、と思う。“そんなはずじゃなかった”人生が、“そうであって良かった”人生に、そろそろ昇華されるかもしれない。そんな予感がしている、22歳、2020年の夏。

読んでくださり、有り難うございます。 また遊びにきてくださいね。