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教師が自立するためには何が必要か?

今日は以前一緒に学年を組んでいたメンバーで、久しぶりにランチをした。
1人は別の学校へ異動してしまっていたので久しぶりに3人で話すことができた。
たわいもない雑談から、今年度の仕事について振り返り、来年度についてのことなどいろいろな話をした。
その中で、新しい学校での校内研究になかなか主体的に取り組めていないと言うことを聞いた。

彼女は僕たちと組んでときに、ブロック研究していた授業を突然自分の年次研究の授業でやりたいと言い出し、急遽研究授業をしたことがあった。
「あの時は自分がやってみたいと思えたんですけど、今は何か自分からやりたいって思えないんですよね。」
その言葉にどんな違いがあったのかと言う問い返しをしてみると、
「今は教科ごとのグループで研究を進めているんですけど、なんだか一緒にやっている感がなくて、個人研究になっちゃう気がするんですよね。そうすると授業したとしても同じグループの人がどうやって授業をつくったか知らないから、私の授業に対して何もコメントすることができないと思うんです。そうなるとなんだか1人で作ってるみたいになるし、1人の責任みたいな感じになってそれはちょっと…」
と話してくれた。彼女にとってグループで研究する上で大切なことは、授業をつくる過程を共有していることなのだろう。そうすることでその授業に対してみんなが自分事として捉えられるし、1人だけの授業ではなくなるのではないかと考えていると思った。そうなった時に「やってみてもいいかな」と、思えるのだと思う。

この話を聞いて考えたことが2つあった。
1つはこのようにやりたいと言う気持ちはあるけど、1人ではなかなかやる勇気が出ないという人を集団の力で引き出すことができるということ。もう一つは集団の力で引き出された経験がある人は、その後1人でも進めるようにならないのかということ。
結局彼女は集団の力がうまく働けばチャレンジすることができた。
しかし、今は1人ではまだチャレンジすることができない。
このような人が1人でも自立して研究にチャレンジできるようにするためには何が必要なのだろう?
何度か集団の力を使ってチャレンジすれば、ゆくゆく1人でチャレンジすることができるようになるのか?
1人でも変わろうとすることができるのか?

教師はどうしたら自立した学び手になれるのか?それはそもそももっている資質なのか?
きっと変化できるはずだと僕は思っている。
教師が自立した学習者になるためにはどのような関わりや環境は必要なのだろう?

今はそのことにとても興味がある。

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