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トラブルの中に見える価値観

 給食の前の時間に起きたトラブルについて振り返る。
 4時間目の図工から帰る時、担当の先生がみんなで並んで帰るように指示をしたらしい。しかし、多くの子供たちが並ばずにバラバラと帰ったそうだ。それに対して並ばなきゃいけないと思った2人の子が「なんで並ばなかったんだ」と1人の子を責める形になってしまって、そのやりとりの中でもめたらしい。
 話を聞いていくと、バラバラと帰った子たちの中でほとんどの子たちは先生の指示を受け取れていたそうだ。しかし、前の人たちが並ばずに行ってしまったから、もうバラバラでいいのかなと思って帰って行ったと説明していた。
 それに対して指摘した子たちは先に行っちゃった人たちは、話が聞けていなかったんだから聞けている人はちゃんと並べばよかったじゃないかと主張していた。
 この話を聞いたときに僕が持っているクラスの子たちへの課題観と子供たちが感じている。課題観が一致していることに気づいた。彼らは簡単な言葉で言えばとてもお利口な子たちだ。先生の指示をよく聞き、周り合わせて行動することができるしかし、裏を返せば、一人一人が判断できず、周りに流されて行動するとも言える。

 並ばずに行ってしまったことを指摘していた2人が本当に伝えたかった事は「人に流されて行動しているのがおかしい」ということだった。ただそれを指摘したやりとりの中でヒートアップしてしまい、言葉が乱暴になり、主訴がしっかりと伝わっていなかったというわけだ。

 今回の物事に関しては、個人同士のトラブルと言うより、自分たちの課題に対して学級全体で考えるチャンスになる。次の日のサークルタイムで取り上げ、今後自分たちが大事にしていきたい事は何なのかと言う話を全体でしたいと思っている。

 子供のトラブルの中には、本人たちの価値観が潜んでいる。その価値観の引き出しうまく交流させてあげたい。その価値観の違いを聞き合うことで、互いの違いを尊重しつつも集団として大切にしていきたいことを合意できたらいいと思う。

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