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とんかつカンティーヌの、これから⑧

(つづき)

社会の移行期、その過渡期。急いては、ことをし損じる。


前述したように、「とんかつカンティーヌ+」の構想は、だいぶ長い時間をかけて、練ってきていました。

しかし端的に言って、今はまだ「過渡期すぎる段階」でした。

アフターコロナ時代の、始まり。しかし市民生活においてはまだまだその、模索状態。そこへ来ての、まさかのこんな「構造的な物価上昇」の進行。

まだまだ(日本では)、一般市民、一般消費者には、そのインパクトが伝わっていない段階でした。ちょっとずつ、ものによっては、値上げがちらほら見られるねー、と、だいたいそんな感じの認識だったと思います。4月、5月くらいの時点では。

そこで財布の紐を締めよう、という行動には、多くの方はまだ、ほとんどつながっていなかったのではないかと思います。
コロナ渦中はあれだけ何もできなかったんだから、そろそろ何かにお金使いたいよね、という、「リベンジ消費」の心理も高まっていたタイミングだったのだと思います。

しかし私には、ほとんど確信がありました。このインパクト(ことの重大性)は、これから半年かそれ以上くらいの時間の中で、徐々に大きくなっていくだろうと。

この先の物価上昇が、目に見えている。しかし忍び寄るその影は、まだほとんど気づかれていない。消費者の価格感覚、コストパフォーマンス感覚は、まだ変化するには至っていなかったのです。この状況で、今新たに店を「開業」し、商品・サービス(料理)内容を決めて、価格を固定してしまう。そのことのリスクは、私にとっては、あまりにも大きすぎました。

構想していた新たな「とんかつカンティーヌ+」は、「消費者の価格感覚、コストパフォーマンス感覚、そして生活そのものの価値感覚が変化した先の、近い未来」のことを想定していた、店の形です。拙速に今の時点でその姿を現してしまっても、単純に「価格だけ」を「数字として」見たら、うわっ、この店、前に比べて高くなった!と思われるだけで、逆に印象を悪くするだろうという予想もありました。

かといって、今の時点のままの感覚(デフレで当然のこの20年間の金銭感覚)で納得を得られるような価格設定でスタートしても、半年後か一年後には早くも、採算が合わなくなって、「こんなはずじゃなかった…!」と頭を抱えることになる可能性のほうが、高いように思われました。

しかし…

それと同時に、実は、

「もし、今、自分が予想しているとおりに、この先、社会情勢が厳しくなっていくとしたら、その先にはもしかしたら、逆に勝機があるのかもしれない。」

という冷静な感覚も、私の中にはあったのです。

(つづく)

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