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お客様の中に神様はおられますか

 近所には洋服の修理店が二店舗あるのだけれども、どちらもネットでの口コミ評判は良くない。両店とも★5のうちほぼ★1~2というなかなか極めつけの低評価で、書き込みを見ると、技術面の不備を指摘する声も一部にはあるが、接客に対する不評判が大勢を占めるようだ。客に対する扱いの粗雑さに憤慨する書き込みが、両店舗ともに見られる。そして、実際に両店舗とも使った経験からすると、残念ながら自分もほとんど口コミと同様の印象を持たざるをえない。

 私の自宅から近いほうの店舗Aは、一応フランチャイズ展開している店のようだが、個人経営のような雰囲気がある。裁縫が得意なご婦人方が能力を活かして営んでいるという感じで、一見信頼できそうに見える。何年も前にパンツの丈詰めを依頼したことがあるが、その際に対応してくれた年配の女性店員が、なんとも居丈高な態度であったことが強烈に印象に残ってしまった。その方はどう見ても自分より年上なのだろうから、自分のような年少客に対して丁寧語を使わないのは譲るとしても、何に不満なのか、頼む際も引き取る際も、いかにもつっけんどんな態度の反応が返ってくるのだった。もしかしたら、ご本人としては自然な江戸っ子的なちゃきちゃきした対応で、居丈高に振る舞っているつもりはないのかもしれないが、私は親から叱責されているような気分になり、二度ほど使ってから、やはり辛いなと思って店舗Aにはその後足が向かなくなった。価格は比較的安かったように思う。
 遠い方の店舗Bは、こちらも大手フランチャイズの一店舗である。アルバイトと正職員の中間くらいの若い女性店員が対応しており、シフト制で回しているようだ。中には普通に接客してくれる人もいるが、多くの店員は、愛想もそっけもない粗雑な対応をする。その無感情ぶりは割と徹底していて、駅地下の中に入っているブース的な狭い空間なので、危険にさらされないように予防的にそういった対応をとっているのか、または敢えて愛想を振りまかないように教育されているのかもしれない。それにしても、店が狭いこともあって、顧客から預かった衣類が雑然と並んでいて、あまり丁寧には扱っていないようにも思える。価格は安くはないが高くもない。

 要するに接客を考えると、率直に言ってAにもBにも積極的には頼みたくないのである。かといって、ちょっとしたシャツの修繕やパンツの丈直しを依頼するのに、わざわざ電車まで使って遠くの店舗に頼むのも苦痛である。よって、我慢してどちらかの店舗に頼むしかない。同じように考える客が多いのか、両店舗とも、これだけ評判が悪いにもかかわらず、まったく潰れることはなく、むしろいつも繁盛している。他の選択肢がないためにこうした無粋・横柄な殿様商売でも充分成り立っているようだ。
 もしかしたらこれら店舗の店員諸氏は、繫盛しすぎて忙しすぎることへの不満から、あるいはもしかしたら忙しいわりに待遇が良くないことへの不満から、客に対して敵対意識や無関心を募らせているのかもしれない。会社としてそういった構造があるのかもしれない。しかし客の立場ではいずれにせよ、威圧か不愛想かどちらかを選ばねばならない。私は理不尽に叱られた気分に陥るのがより嫌なので、消去法で、ここ数年は心のささくれが少ないだろうと思われる店舗Bを使っている。不愛想だが仕方がない。考えてみれば、こちらが愛想良くして、それに対して相手が素っ気なく対応したとしても、なんの損にもならないのだ。相手が誰であろうと、愛想に見返りを求めるのは根本的に誤っている。

 この極めて個人的な「洋服直し店問題」と多少関連するかもしれないこととして、近年SNSなどで、「お客様が神様である」という表現を否定する言葉をしばしば見かける。どんな横暴な客に対しても、店側が客を選べないという店側の立場の弱さに対するプロテストとして発せられる表現であって、そういう主張が出てくることは至極もっともである。それほどクレーム客というのは質が悪い。店と客は契約関係を結ぶのだから、対等な関係のはずである。金を払う方が偉いというのは単なる拝金主義に過ぎない。お客様が神様かどうかという点は店側が考えることであり、店側は各自の考え方に沿って接客対応をすればよく、接客を受ける側がとやかく言うことではない。サービスが悪ければその店を選ばなければよいだけである。
 とはいうものの、客として店の選択肢が限られるという論点も併せて考えられるべきだとも思う。どうしても必要なサービスがあって、競争原理が正常に働いていない場合には意に沿わない店でも選ばざるを得ない場合がある。そうして店と客の立場は逆転する。店側はサービスを低下させても客を獲得できるのだから、もちろん客を神様扱いなどしなくてよくなる。なんなら理不尽に断ったってかまわないわけである。こうして、客を神様として扱わないという精神が押し詰められるとそれが極端化して、やがては客を、神様どころか人間として扱わないというおかしなことになってしまう場合がないだろうか。

 また、「神様扱いしない」ということの意味合いも各個人によってまちまちだと思われる。神様扱いと人間扱いはどう違うのかと考えてゆくと、日本人の神様の観念にまで至るように思われて案外問題が大きい気がする。すなわち日本人が「神様」といった場合に連想するものは人それぞれで、唯一絶対の存在としての神を考える場合と、人間に近い普遍的な存在としての神を考える場合とでは、その目線にかなり違いがあるように思える。この、人によって神様と人間の隔たりが相当に違っているという点が、問題を一層ややこしくしているように思う。神様と人間が絶対的に隔たっていると思う人は、神様扱いしない場合に人間扱いに落とす余地がある。しかし神様がもともと人間に近いと思っている人は、神様扱いしなくてよいと言われれば、人間扱いさえもしなくなるわけである。

 いずれにせよ、当方は別に神様扱いは望んでいないが、人間であることはやめていないので、お店様には人間扱いしてもらっても一向に構わないとは言っておきたい。「人間扱い可」というような意志表示カードでも作って携帯しようか。

 





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