見出し画像

野球をしていなかったら…

俺はどちらかと言うとおとなしい内気な小学生だった。
野球との出逢いは、毎年夏休みになると母親の田舎に行った時だった。
田舎の兄ちゃんは二人いて、二人とも野球部だったのが野球との出逢いだ。
行くといつもキャッチボールをしたり野球を教えてもらっていた。

ある時、小学校で野球をやっていて人数が足りないから入ってくれと言われた。
守備はキャッチャーだった。
誰もやりたがらなかったようで、じゃあやるよと俺は言った。

正直、ピッチャーも大した事なかった。
普通にキャッチングしてピッチャーに返す球は俺の方が正確で早かった。

みんなの見る目が変わったのをマスク越しに俺は見ていた。
小学校6年の時だった。
以来、俺は必ず野球の試合には呼ばれた。

小学校の時の俺は背も大きくなく太っていたので、まさか野球がこんなに出来る奴とは思われていなかったのだ。
おとなしくて背も小さくてデブだったからだろう。

中学に入ると野球部に入部した。
歴史の古い野球部であったので、3年生が引退する夏までベンチには入れなかった。
そして3年生が引退した夏より俺は主将になった。
中学最後の夏は延長10回、3対2で負けた。
中学野球は7回までなのでめちゃくちゃ悔しかったが涙は出なかった。
小学校時代とは違い、野球のおかげで責任感と根性がついていた。
この頃には身長も伸び、デブではなくなっていた。

高校はやはり甲子園に行きたいと誰もが思うだろう。
◯◯県は甲子園でも優勝している野球部もある高校野球ファンの多い県である。

担任の先生に進路を相談した。
野球強豪高は、諦めた(笑)

毎年、ベスト8くらいには進出する高校が自宅から近い所にあった。
先生に相談すると、野球部に入ると偏差値がギリギリだから勉強しないと大変だと言われた。

野球部に入るならこの高校なら大丈夫と言われた。
当時はまだ新設校であった。

そして俺は新設校に入学した。
軟式から硬式に代わる高校野球。

新設校と言ってもグランドは隣接する企業のグランドを無償で借りていたので、めちゃくちゃ整備された強豪高かと勘違いしそうなグランドだった。

中学と違い、高校の野球部は実力のあるものは起用された。
中学までは俺はセカンドだった。

高校に入り、肩が強かった事もあり、監督からキャッチャーをやって見ろと言われた。

野球経験者ならわかると思うだろうが、キャッチャーはセカンドとは違い、投げ方が違うのだ。

1年ながら、俺は練習後に先輩から徹底的に居残り練習をさせられた。
教えてくれたのは3年生のキャッチャーの先輩であった。
中学とは全く違う環境が練習は厳しかったが新鮮だった。
先輩が教えてくれると言う環境だったからだ。

2年生にキャッチャーの先輩はいたが、肩はそんなに強くなかった事もあったのだろう。

肩が強いだけでは盗塁は阻止出来ない。
いかに捕ってから早く正確に投げる事が重要なのだ。

そして、先輩である3年生の夏は終わり、いよいよ1、2年生で新チ-ムの夏がはじまる。

※野球についての記事は続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?