俺の親父


「氣を出せ」

 みんなの父親はどんな父親ですか?優しいですか?尊敬できますか?鬱陶しいですか?頼りになりますか?
 何か人生でためになることを教えてくれますか?
 私は、後々いろんな友達のお父さんとかと出会うことで世の中、自分の親父みたいなやつだけではないんだ、と気づくことができました。
 私は、鍋奉行してくれて「春菊は最後に入れてサッと茹でるだけでいいぞ」とか「いいか仕事は段取り8割だ。前日から準備をしとけ」とか人生でためになるだろうことをズバッと納得できるように言ってくれるような親父がよかったというのが本音である。
 かくいう私の親父が、ああもう私というのをやめよう。俺の親父が、俺が小学校の時に言ってくれたことで強く覚えている言葉は「氣を出せ」「自分のことは自分でする」この2つだけである。
 これからも少しずつ紹介していくのだが、俺の親父は変だ。
「氣を出せ」・・・中が米の方の氣である。これは父がこの時期から知人に誘われて通い出した合氣道による影響である。
 俺には何が氣なのか当時はわからなかった。何か失敗するごとに「氣が出てないからだ」と言われた。意味不明。ドラゴンボールのイメージしかなかった。
とにかく「氣を出して生きろよ」と言われていた。
 そんな親父は20年近くその合氣道で白帯を続け、つまり昇段試験不合格を続け、白帯が擦り切れていると有名だった。
 運動音痴でもある。小学校から高校までサッカーの万年補欠を維持し、大学からなぜかヨット部で海とサザンに戯れていたようだ。
 兎にも角にも、少しずつ親父のエピソードを紹介したい。思うまま書くので乱文になるかもしれない。変な親父。尊敬はできない親父。死ぬほど反面教師と思い続けた親父。そんな親父と自分との関係。親父からの脱却。これが私の人生の命題だったように思う。
 来世ならもっと尊敬できる父親の元で、自己肯定感を維持しながら思春期を過ごしたかったものだ。でも逆にこの親父の元でー家族の元で育ったから、ちょっとやそっとでは負けない雑草魂を身につけたのか。
 でもとにかく親父のことが大嫌いだった。
皆さんのことを励ましたい。とにかく励ます橋本でした。
みんな頑張ろう!

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