見出し画像

年中休業うつらうつら日記(2021年7月31日~8月6日)

東京都のコロナ新規罹患者数が5千人を超える日が来てしまいました。名古屋の友達にLINEで知らせたら、「いくらワクチンを打っていても、ハイリスク患者のあなたは外に出ないで暮らして!」と懇願されました。友情あふれる言葉に胸が熱くなりました。オリンピックも今週で終わり、そのあとの日本はどうなるんでしょう。友達に言われる前とは言え、浅草まで息子のコントを観に行ってしまった一市民の、ややのんびりした日記でも読んでつかの間穏やかになってください。

21年7月31日

昨夜の定例ZOOM飲み会では、虫オタクとそのシンパが虫の写真ばっかり共有してくるから、いっときちゃぶ台に退避して晩ごはん食べていた。
「蝶ならまだしも蛾はいやだ」と言えば「区別つかないだろうに」と言われるが、いやなもんはいやなんだってば。
まして長い系、にょろにょろ系、毛虫系は気絶するほど嫌いだし、甲虫でも腹側は見たくない。
それってわりと一般的な好悪の情だと思うんだが、虫愛ずる人々にはわかってもらえない。
頼むから仲間内だけでやってくれ。
わざわざ見せようとしなければ、「虫オタク撲滅!」とか物騒なことは言わないから。

虫が出たせいではなく、早めに引き上げた。
面白男のGくんが車中泊で参加していた途中で完全に寝てしまったから。
それに、今日は浅草に息子のインプロコントライブを観に行くという大ミッションがあるのだ。

家の前から都バスに乗って浅草までは30分。
雷門をくぐり、いろんな提灯の下をくぐり、仲見世通りを眺めながら今日の小屋へ。

画像11
画像12
画像13
画像14
画像15
画像16

時間が余ってたので近くの和風カフェでせいうちくんはかき氷を食べた。

せいうちくんが頼んだ「抹茶練乳かき氷」には、彼がかき氷に求めるすべてが入っていたそうだ。
細かくてしゃりしゃりした山盛りの氷、小豆、抹茶、それらをまとめる要となる練乳。
氷の中にはバニラアイスと白玉が埋め込んである。
「表面に貼りつけてあるフルーツはいらないんじゃないか」と聞いてみたところ、
「確かになくてもいいかもしれないが、より一層華やかにするための大切なゲスト」なのだそうだ。

画像7

私は「濃抹茶アイス」と「濃抹茶ラテ」を頼んだ。
氷の入ったグラスとラテセット一式が来て、グラスにまず冷たい牛乳を入れ、その上から濃抹茶を静かに注いでいく。
たいへんフォトジェニックなので撮影させてもらった。
きれいに白と緑の層ができて、目にもあでやか。
2人とも冷え冷えになって大満足。

画像7
画像8

今日の会場は、いつもの折り畳み椅子を並べるタイプじゃなくて映画館のような椅子がきちんとついている、かなり由緒正しそうな劇場だ。(実際、赤星昇一郎の聖地らしい)
キャパもいつもよりずっと多かったんじゃないかなぁ。
7割がた埋まっていたのも大したものだし、即興コントをあとから台本に起こしたものや、お題をリクエストするとその人のためだけのインプロコントをYouTubeで送ってくれる物販なども企画していて、今まで観た中で一番すごいライブだったかもしれない。

4つの演劇団体やお笑い団体から9人が集まり、お題をいただいてその場で即興でコントを完成させるインプロコントを見せてくれた。3人、4人、6人、そして最後は9人全員が出演するインプロコントは、即興だけに何が起こるかわからず、ワクワク楽しめた。
劇団の座長さんとインプロコントグループリーダーの息子はそれぞれ呼び子を胸に下げ、「ここで終わろう!」って時に「ピーッ」と吹き鳴らす。
インプロの終わり方にはいろいろあるらしく、息子がアメリカで学んできたやり方だと「演者の誰かが舞台の前を横切ったらおしまい」というルールだったそうだが、呼び子もいいアイディアだった。
長くなりがちなインプロコントを、終わりを決めることでコンパクトに仕上げ、面白さが増していた。

息子がNYに突然お笑い修行に行って持ち帰ったインプロが、こうして仲間を得て「面白いじゃん」「やってみようぜ」と広がっているのは大変嬉しい。
もちろん日本でもすでにインプロは広がり始めており、さまざまな人や団体がやっているが、息子が持ち帰ったメソッドをよく勉強して、いずれはそういう人たちの胸を借りて一緒の舞台に立てるほどになってもらいたいものだ。

せいうちくんの斜め前に座ってる女性がどうも息子のカノジョらしく思えたのだが自信がなく、せいうちくんはわざわざ舞台手前まで行ってみて確認してた。カノジョだった。
お互い挨拶を交わし、帰りに一緒にお茶しようと約束。
コントの方は事前にお客さんにアンケートを取って「一番思い出に残っている場所」を書いてもらい、それを回収してルーレット式に選んでお題にする。
私が書いた「西荻窪の6畳間(初めて一人暮らしした部屋)」もたまたま選ばれて、3人での幽霊譚に仕上げてくれた。
カノジョが書いた「実家のコンクリートの庭」も選ばれていた。確率高っ!
こちらは6人でのインプロコント、やはり死体を隠してコンクリ流したか。

帰りにはカノジョと一緒にさっきの和風喫茶にまた行ってかき氷を食べた。
カノジョはせいうちくんおススメの「抹茶金時練乳がけ」。
私は「マンゴー」
せいうちくんだけはさっきフルサイズのかき氷を食べているのでやめておいて、冷やし抹茶セットを飲んでいた。美味しかったそうだ。
いろいろおしゃべりして、とても楽しい時間だった。
いずれは結婚するつもりのようで、早く息子が定収入を得られるようになればなぁと思う。

画像9
画像10

でも、とてもよかった今回のライブを通して、息子がいろんな人々とつながり、一緒に工夫して新しい笑いを生み出そうと努力している様がよくわかった。
心なしか顔つきもしっかりしてきて、また、本当に生き生きと楽しそうな様子だった。
「ああ、この人はこれがやりたいんだなぁ。他のどんな人生も、今の彼には意味がないんだなぁ」と思えて、初めて彼を「お笑い志望の人」ではなく「現在活動中のコント師」と認識したかも。
彼自身はもうずっと前からそう呼んでもらいたいようだったけど、今回本当に納得がいった。

まだまだ演劇の方にも振れていくかもしれず、可能性無限大だ。
カノジョも、彼の周りの人もそう信じていてくれるようで、親が信じなくてどうする!と決心を新たにした。

今はコロナで職探しも難しく、ライブもなかなかできない状態だが、「高く飛ぶためには低く身をかがめなければならない」時期なのだと思いたい。
みんなが耐えているこのコロナ情勢に、息子も自分を磨きながら耐えて生き延びてくれると信じている。
いい舞台だった。

21年8月1日

昨日が疲れたので、今日はせいうちくんが食料品の買い出しに1人で言ってくれた。
持つべきものはまめな夫。
そのあとは自転車競技BMXを見る。
ものすごく興奮した。
「キャンキャン」と「スーパーマン」を覚えてかしこさが2つあがった。
「ゲシる」も覚えたは覚えたが、今ひとつ意味が分かってない。

「輪夢(りむ)」という名前の男の子が出場していて、きっと親御さんも自転車が大好きなんだろうな。
昔はオリンピック競技には入ってなかったから、今日のこの日を非常に喜んでいるに違いない。

スケボー(冬のスノボーも)もそうだが、遊びからスポーツに入ってきてるこういう競技が大好きだ。
息子は小学生から12年間柔道をやったが、なんというか、ちょっと禁欲的過ぎるというか「道」すぎる。
スポーツは本来楽しいものだと思う。
もちろん楽しいだけでオリンピッククラスには行けないが、少なくとも本人の中にその競技をやっている楽しさがあるのが望ましい。

日本人の悪い癖なのかもしれないが、「銀」だった時に「応援してくださった皆さんに申し訳ない」「力が足りませんでした」とか「反省」してしまうのはあまり見たくない。
「1位を取れなかった悔しさ」ならいくらでも受け止めるが、誰かに謝る必要なんかまるでないだろう。
その最たるものはアテネ五輪で勝てなかったからと柔道の井上康生のお父さんが土下座して日本中に謝ったことだ。
そもそも親が謝るようなことじゃないだろうに!

このように「道」というのは間違えると恐ろしいものである。
激しく道に迷うことのない人生を歩んでこられてよかった。
息子は迷いっぱなしであるが、彼の方位磁石はまっすぐ目的地を指してして、そこに行きつくまでの大回りが彼のすべてを形成していくのだと思う。

21年8月2日

心療内科に薬をもらいに行く。
「なんだかとても空しくなって、夜中にひざまずいた姿勢で包丁を胸に当ててそのまま前に倒れたくなるんです」と話したら抗鬱剤を1種類増やされた。
睡眠薬と抗不安剤と抗鬱剤を出してもらってると思ったのだが、まだ増やす余地があったのか。
来年1月に引っ越して、あまり薬を使わない方針の元の医者に戻ったらきっと怒られるだろうけど、つらい時はつらいなりの対処が必要なのであまり深く考えない。
このコロナ禍の間に、多くの人が安定剤を必要としているだろう。

「息子もそのカノジョもワクチンを打てることになってひと安心です。息子が『自衛隊の大規模接種』で引き当てたんですよ」と話したら、身を乗り出して、
「ここの病院でね」と言うもんだから、一瞬、ワクチンあるのかと思って、「なんだ、打てるのか。息子はここに頼めばよかったのか」と思いかけたが、全然予想しなかった言葉が続いた。

「患者さんで、接種券はあってもワクチンがどうしても手に入らないってとっても不安がってる人がいるの。自衛隊?そこに頼めば打ってもらえるの?よければ詳しく教えて」

もちろん月木の18時から自衛隊大規模接種サイトで公募している話やなかなか取れないけど現にうちの息子は取れたので、不可能ではない、と言った話をさせていただく。
先生は熱心にメモを取っていた。たいそう喜ばれた。
医師と患者の立場が逆でないかい?

それでもひと月分の薬は嬉しい。
なるべくのまないようにしながらも、お守り代わりに薬があるのは心丈夫だ。
睡眠薬は、のめば6時間以上の安眠が約束されるし。(のまないと、七転八倒して寝ついた3時間後に起きてしまう)
せいうちくんが枕に頭をつけた瞬間に眠ってしまうのの真逆だ。
人間には眠るのが得意な人と苦手な人がいるに違いない。

ああ、真昼の外出は疲れる。
皮膚がチリチリと焼けるようだ。
水風呂に入って冷たい緑茶をキューっと飲まなけりゃ。

21年8月3日

息子が私のコンパニオンのバイトをしに来たので、一緒に唐揚げ弁当を食べ、映画を観る。
7年前イタリアに行く前に観たウッディ・アレンの「ローマでアモーレ」にはこないだ息子が「ライフイズビューティフル」で非常に感銘を受けていたロベルト・ベニーニが出ていたので、今日のスペシャル。
「学校の宿題で作文を書くから、ベニーニのことを書こうと思ってた。いい題材をありがとう!」と言って喜んでいた。

ローマでアモーレ

喫煙者2人が誰はばかることなく灰皿に山を作りながら冷たい飲み物とタバコと映画と親子団欒を同時に味わう、「全部乗せあんみつ」みたいな時間だ。
続くおススメは、石原裕次郎の映画の中でベストだと勝手に思っている「ある兵士の賭け」。

そもそもこないだ息子と観たくてブックオフで買っておいたこの2枚を見せたら、裏の本編紹介をよく読んで、
「何これ~!どっちも無茶苦茶面白そうじゃん~!」と悲鳴を上げてくれた息子だ。
「ある兵士の賭け」も、真面目に真剣に観ていた。
「この人の贖罪の旅なんだね」と目が潤んでいる。
いい感性をした人だなぁ。

ある兵士の賭け

途中でせいうちくんが帰ってきたけど寝室で仕事してくれてたので映画を終わりまで観られた。
息子はなかば放心するほど感動していたようだ。
私も涙ぐんで、
「人の命ってこんなに貴重なのに、どうして終わってしまうんだろう。どうして必ず終わることになってるんだろう?」と訴えたら、
「命、が問題なんじゃなくて、志、だと思うよ。それをあとの人に継いでいければその命は意味があるんじゃない?」と息子が答えてくれた。
そうか、私は私の志の一端を息子に繋いだのか。

そうそう、貸してあった魚豊(うおと)の「チ。地球の運動について」4巻までを返してもらった。
カノジョも含めて面白く読んでくれたそうだ。
9月には第5巻が出る。とても楽しみ。
これは名作になる予感がする。早速友達に貸し出そう。

チ。

今日は7時間の勤務時間が終わったら帰ってもらうつもりでいた。
あんまり実家(?)にばかり泊まってるカレシはイヤがられるんじゃないかと思って。
でも、せいうちくんが持ち掛けたら息子は軽く「かまわないよ。泊まってく」。
「カノジョが寂しくて気を悪くしないかしら」と心配して聞いたら、
「お互い実家を大事にしてるから」との模範解答。
いい関係だ。

と言うわけで時間ができたので、最後はせいうちくんも一緒に極渋映画の「八月の鯨」。
老人しか登場しない、人生の黄昏を考える作品。
「少し眠くなるなぁ」と言っていた前半を超えると、がぜん目を覚まし、老人の生活について考えてみてくれたらしい。
私の両親は亡くなってるし、あまり上の世代との交流のない彼には想像のつきにくい「永遠とも思われる繰り返しがあとほんのちょっとで終わってしまう」世界の話だっただろう。

八月の鯨

私自身、30年前に観た時より老人の生活を身近に感じたよ。
本とマンガとせいうちくんだけを友に、同じような日々を毎日毎日重ねていく自分を。
いや、それを言ったら「息子の成長と娘の体調」をのぞけばこの20年ぐらいはすでにそんな暮らしになっているといえなくもない。
この沈むように静かな均衡を破るのは、やはり孫の登場しかないのだろうか。

今、公演が続いたあとで気分が盛り上がってるせいか、
「オレの人生、これからだな~!」と楽しそうだった。
「あなたはいいけど、カノジョの生殖年齢ってものがあるからね」
「ああ、それはそうだね…」
「カノジョは子供はいらない人なの?」
「いや、欲しいとは言ってるね。オレも欲しいよ」
「今は35歳ぐらいまでは楽勝だから、あなたの学校が終わった2年後に一緒にNYでもしばらく行って暮らしたら?カノジョは行きたいって言ってたよ。貯金してる余裕もないだろうから、そこは頼ってくれていいよ。そいでNYにいる間に子供できるかもしれないじゃん。何とでもなるよ」
「そうだね。よろしく頼んます!」

すっかりおんぶにだっこの状態だが、彼のような道を選んだ場合、お金が貯まるのを待ってたら何もできないという気もして、もはやParentsではなくPatronsとして支えてやりたいと思っている。
人生、そう計画通りにはいかないとわかっているが、彼に何かをバトンタッチするために、今からではできないことを代わりにやってもらいたい気はする。
もちろん彼が望む形で、だ。

かつての自分の家族、実家が好きになれなかった。
母や姉がすぐに抱きついてきたり肩を抱こうとするので、痴漢を警戒する女子高生のような気分でいつも過ごしていた。
彼女たちは少しも私の「健康を祝し、幸福を願って」触れて来るのではなかったからだ。
それは支配と従属、力関係の確認の意味しかないように思えた。
彼女たちが「可愛がっている」のは私自身ではなく、「娘や妹を慈しむ自分たち」なのだとありありとわかった。
私の感情が認めてもらえることはなかった。

たとえば彼女たちは出かける私にベレー帽をかぶせる。
こうかぶるといい、いやそれよりこっちに傾けた方が、と玄関で際限なくファッションショーをする。
一番の問題は、私はベレー帽なんてかぶりたくなくて、「いらないよ」と言っているってことだ。
「何言ってるの。かぶった方がいいに決まってるじゃない。ああ、この形がいいわね」
一事が万事、そんな感じだった。
可愛がる時は猫可愛がりで、怒れば怒鳴ったり物を投げたりする母だったから、彼女の気分を読むのにすっかり長けてしまったほどだ。

娘を産んで、仮死で重い障害が残るだろうと言われた時、母は怒っていた。
「初孫だったのに。楽しみに楽しみにしていたお菓子を取り上げられちゃった気分」だと。
なぜそれを私に言うのか。
私とせいうちくんこそがそのお菓子を一番楽しみにしていたとは考えなかったのか。
しかも私はその「お菓子」を自分のポケットに大事に大事にしまっていたというのに。

親戚のおばさんが見舞いに来てくれた。
「ちょっと、うさちゃんと2人きりにさせて」と言った彼女は、母の性格を知り抜いており、母のいないところで思い切り慰めてくれるつもりだったのだろう。
すでに涙ぐんでいる私に、母は立ち去り際に低く脅すように言った。
「うさちゃん」
このひと言ですべてがわかるように私は教育されていた。
泣いて親戚に迷惑をかけてはいけないのだ。
彼女がどんなに「泣いていいのよ。可哀そうに。大変なことが起こったんだから我慢しなくていいのよ」と励ましてくれても、泣いてはいけないのだと、目で、声で、言葉で、身振りで、母はすべてを「指示して」出て行った。

息子とくつろいで映画を観たあと、なんとなく息子と足をくっつけながら、
「母さん、自分のお母さんやお姉さんにさわられるのキライだった。でも、あなたやお父さんは全然平気」
「そりゃそうでしょ」
「家族ってさぁ、相手の幸せを心から願える人たちのことだよね。幸せになってるところに精神的に水ぶっかけたり、『あなたの幸せはこれじゃないでしょ』って決めつけたりしない人たちだよね」
「もちろんだよ。今、僕たちはそういういい状態じゃないの」

家族を信頼し、甘えてこられた息子は、とても健全な家族観を持っている。
私からこんな子供ができるとは驚きだ。
「きっと虐待の連鎖をしてしまうだろう」とずっと不安だった。
だから極力他の大人を入れて、いろんな人に触れあってもらって、私からの悪影響にだけ染まらないように心掛けた。
小さい時にとてもお世話になったシッターさんご夫婦を、息子が「あんないい人たちはいないよね」と言っても嫉妬もけなす気持ちも微塵も浮かばない。
私の母は私が他の人の言葉や行動に感心したり感動したりして褒めた時、
「でも、ああ見えてあの人はこういうところがあるのよ」とわざわざ悪口を吹き込み、
「あんな人の言うことに感動するなんて、あんた、バカじゃないの?涙まで流しちゃって」と嘲笑った。
自分の子供にそんなことだけはすまいという決意は、どうやら成功していたようだ。
そのごほうびに息子との穏やかな時間を持てて、本当に幸せだ。

「早く娘ちゃんに会いたいねぇ。秋には行けるかねぇ」と、コロナで病棟閉鎖中の娘に会える日を楽しみにしてくれるのもまた嬉しい。
私たちは1年半ぶりにこないだ会えたんだよね。
2名まで、マスクとフェイスシールドをつけて15分間だけ、という制限つきだったけど、息子は「いいなぁ」と羨ましがってくれる。
もし今度チャンスがあって、また人数制限2人だったら、私は外で待っていて息子とせいうちくんに行ってもらおうかな。
普通の健康なきょうだい同士とは違うけど、娘と息子の間には固い絆があるらしい。
しゃべれないし、知能と言えるほどのものがあるかどうかわからない娘でも、息子はにこにこと、
「娘ちゃんと頭の中でお話ししたよ。何を話したか?僕と娘ちゃんだけのナイショだよ」とはぐらかす。
それがとても嬉しい。

21年8月4日

息子はひと晩中先日のコントライブの脚本起こしをしていてほとんど寝ていないらしい。
それでもびしっと起きてシリアルを食べ、
「友人と打ち合わせ」とシャキシャキ出かけて行った。両親にハグして握手して。
半徹夜で朝の9時から活動できるとは、ずいぶん変わったものだ。

今日は膝にヒアルロン注射を打ってもらいに整形外科へ。
ここにおとなしく通わないとシップと塗り薬がもらえない。
そのためならリハビリも通う。
教えられた大腿四頭筋と大臀筋を鍛える体操はあんまりしてないけど。

行くだけで10分かかる、この界隈で私が外出する一番遠い先だ。
それだけでもトレーニングになる、と思えるほど。

リハビリの人は基本体育会系で元気なので、体操をサボっているとか散歩がキライだといった泣き言には厳しい。
「歩けなくなっちゃいますよ!」と脅される。
「いいもん、そしたらせいうちくんに車いす押してもらうもん」なんて言える雰囲気ではない。
「ちょっと歩いてみてください」って言うからすたすたと歩いたら、
「今、膝は痛いですか?」
「はい、痛いです」
「カルテには『10分ほど歩くと痛くなる』と書いてありますが、今歩いただけで痛いんですか?」

ああ、聞くだに意地悪じゃないか!
ここまで10分歩いてきたあとだから、もう何をやっても痛いんだよ!
しかし言われるままに体操を教わり、来月のスケジュールを入れて、無事に受付カウンターに戻り処方箋をもらう。
これでシップとバンテリンみたいなタイプの塗り薬がもらえるのだ。
ないとつらいから、来月もリハビリには心をしっかり持って対処するつもりで、また行かねば。

21年8月5日

また「ジョジョの奇妙な冒険」を読み返している。
正確には第6部から「ストーン・オーシャン」、第7部「スティール・ボール・ラン」そして第8部と言うことになろうか、「ジョジョリオン」とタイトルが変わってくる。
最初に持っていた版は104巻までずっと「ジョジョの奇妙な冒険」だったが、スキャナを新しくしたときにどうしてもいい画像で取り直したくて、全部もう1度セット買いした。
そうしたらその版は63巻までが「ジョジョの奇妙な冒険」で、そのあとの第6部は「ストーン・オーシャン」全24巻、第7部は「スティール・ボール・ラン」全17巻になっていた。
合わせてちゃんと104巻だ。

そして今26巻まで出ている「ジョジョリオン」はもう連載が終わりそうだという。
つまり、あとコミックス1巻か2巻で終わってしまうってことだ。
結末が読めるのは嬉しいが、終わってしまうのは苦しい。
ファンの泣き所である。

ジョジョ博士の息子に、
「『スティール・ボール・ラン』が終わってから『ジョジョリオン』が始まるまで、どのくらいかかった?」と聞いてみたら、
「2年ぐらいかなぁ」とのこと。
「ジョジョリオン」が終わって次が始まるまで、そんなに待たなきゃいけないのか!

息子と妻の熱狂に今やっと参加しようとせいうちくんも読み始めたが、何しろ読むのが遅いうえに決定的に時間がない。
まだ杜王町にも入ってない。
「エジプト編」で突然、
「あー、アブドゥルが死んじゃったよ。いい人だったのに」と嘆きながら寝ようとするので、頑張って19巻まで読んで!と頑張らせた。
結果、とても喜んでもらえたのは幸いだ。

ジョジョの奇妙な冒険 第19巻

「鬼滅」や「進撃の巨人」にはなんとかついてきてもらってるが、ここでジョジョの話が分かる人になったらサイコーだ。
とは言え、私も「ハイウェイ・スターが時速80キロで追いかけてきたりして」と口走っては息子から冷徹に「ハイウェイ・スターは60キロ」と訂正されたりしてるんだが。
ポケモンの名前全部とかジョジョのスタンドの名前と技を全部覚えているような人とは勝負にならない。
もっともその彼も「鬼滅」の呼吸や型を全部は覚えられないようで、やっぱり人生のいつ熱狂的に読んだかが大きな決め手なんだな。
最近の小学生の多くは傘を持つと、「水の呼吸、弐の型、水車!」とかやってるぞ。

整体に行った時、担当のおにーさんに施術してもらいながら、
「ワクチンはどうなるんでしょうねー」
「なにしろ5千人でちゃいましたからねー」というような会話をしていた。
ふと思いついて、
「選挙とかは行かれるんですか?」と尋ねたところ、
「仕事がありますからねぇ…」
「朝早くからやってますし、期日前投票とか割と簡単にできますよ」
「うーん、まあ、いろいろ用事もあって…」
「若い人たちが投票して、若い人たちが楽しく暮らせるような世の中を作ってくれる政党を選んだ方がいいんじゃないですか?」
「それはもう、おっしゃるとおりなんですけど、いろいろ忙しくって…」

なるほど、たった1人のサンプルだが、これが昨今の若者の選挙離れの一形態か。
息子はなぜか必ず投票に行く。
選挙権を得たその年から、何かというと行く。
住民票と違うところに住んでいてもわざわざ期日前投票をしに来て市長を選んだりする。
この社会科の芽は、小学校6年の時の担任が植えてくれたものと我々は思っている。

「〇〇先生には本当にお世話になったよね。あなたの、社会に対する目を開いてくれたと思うよ」と言ったら、
「うん、とにかく本をたくさん読みなさい、って言われたね。あと、数年前に先生の退職のお祝いで会った時、『本を読んで、しゃべって、1日10行書くといいと思う。私たち老人にはそのぐらいでちょうどいいのよ』って言ってた。ぶれない人だなぁと感心した」と息子談。

人生ではいろいろな恩師や年長者のお世話になる。
息子の中でそういった人たちの智恵が今も息づいているなら、それは本当に嬉しいことだ。
そして若者よ、選挙に行こう!

21年8月6日

リビングが暑い。
というか、10畳ぐらいのLDK全体が暑いのだ。
それというのも、ここは建物が高いせいかベランダの造りがしっかりしていて、コンクリでできた四角い入れ物みたいな形状になっている。
せいうちくん曰く「お弁当箱みたい」。
その狭いお弁当箱にエアコンの室外機が2台あってずっと熱風を噴き出しているのがたまっているうえに、東向きの窓から差す日光も暑い。
そして何より、この空間を冷やそうと頑張ってるエアコンは前の家で一番新しいからと外して持ってきたもので、狭い書斎で使っていた4畳半ぐらい用なのだ。
10畳ほどを冷やすには無理がある。

アクリル板の扉で仕切られた隣の寝室のエアコンは最初からついていたもので、こちらはけっこう冷却力が強い。
なので、暑い昼間などには扉を開け放ち、人がいない寝室のエアコンをガンガンかけてLDKを助けてもらったりしている。
とんだ電気の無駄遣いだ。

さすがに寒がりのせいうちくんも夏を迎え、半袖も着ればエアコンも歓迎、といった風情だ。
寝る時は暑がりの私とひとつベッドのため、パジャマは必ず長袖、薄手の羽毛布団にくるまるように寝ている。
私は隣に横たわって何もかけてない時が多い。
場合によってはせいうちくんの掛け布団の端の三角をちょっと借りて、おなかだけガードしたりする。

それにしてももう8月か。しかも1週間経とうとしている。
今年も夏休みはあるにはあるが、どこに行くわけにもいかず、家でたまった本の自炊やらHDの中身を整理したりするんだろうな。
そういうものを読んだり見たりするために夏休みがあるのだ、とはすでに考えていない。
これこそが大問題だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?