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年中休業うつらうつら日記(2023年12月30日~2024年1月5日)

23年12月30日

前夜の定例ZOOM飲み会はいちおう今年のZOOM納め。
せいうちくんはGくんと共同購入した中古車の話を始めたのに、Gくんがいろいろ説明したりどういう旅を計画しているかを皆に話している間に「眠くなりました」とZOOMの切れ目で勝手に落ちてしまった。
GくんからMessengerで「せいうちさんが始めたから一生懸命しゃべっていたらいつの間にかいなくなってた。わしだけ話しまくってたぞ」とやや怒りのメッセージが来た。
「そうだよ、無責任だよ」と私にまで怒られ、あわてて戻る。

車を買う前、ずっとテンションが上がらずZOOMでも静かだったGくんだが、いざ買うと猛烈な勢いで考えをあれこれ巡らせている。
「で、せいうちさんはいつ1カ月休んで北海道に行けるんだ?」と聞かれ、
「仕事次第だけど、さすがにもう数年は2週間ぐらいが限度かなぁ」と答えたもんだからGくん激怒。
「1カ月かけて北海道廻ろうとか半年かけて全国制覇とか、全部そんなに先なのか?わしはもう、この6月ぐらいには北海道行くつもりだったぞ。話が違う」とおかんむり。
6月はさすがに株主総会あるから勘弁してくれ、7月になるべく休暇を取るよ、とせいうちくんがなだめ、私も、
「そもそもあと半年で1カ月の車中泊ができるスキルが身につくとは思えない。Gくんは慣れてるからいいけど、こっちはまだ最大4、5日しか経験してないんだから、短くちょこちょこ行って鍛えるとともに、必要な装備をそろえて行こうよ」と説得していた。
動き始めると猛烈なスピードのGくんである。

さて、今日はもう大晦日イブ。
この日に「レコ大」を、本チャンの大晦日には「紅白」をがっつり観る人はずいぶん減っただろうが、我々は結婚してからかなりずっとこの2番組を観続けている。
昔は31日に両方やってたから、TBSからNHKホールまでパトカーが先導するほどの緊急移動が行われていて、それもまた年末の風物詩だった。
いつから2日に分けるようになったんだろう。
さっき大賞に輝いたばかりの歌手が駆けつけて来て歌うなど、同じ日の方がスリリングなのに。

我々は日頃いわゆる「流行ってる歌」を全然聴かないで中島みゆきとかさだまさしとかばかり聴いているので、この2日間は大事。
「ado」とか「新しい学校のリーダーズ」とか覚えきれない韓流グループの名前とかいっぱい聞く日だ。
そしてみんな歌が上手い。
あー、カラオケで「ado」歌えるようになりたいなー。
せいうちくんは「Mrs.Green Apple」が好きらしい。
よかったね、大賞取れて。私はadoを応援してたんだが。

明日は朝一番で買い物に行き、お正月料理の材料を買ってくるつもりだ。
年末感が増してきたなぁ。

23年12月31日

さあ、大晦日だ。
朝、安くて優秀な八百屋がきっと8時ぐらいから開いてるだろうと、寝てる私を起こさずに1人で自転車こいでったせいうちくん、「10時開店」の壁にまずぶつかる。
それでも帰り道でスーパーを何軒かまわり、いろいろ買ってきてくれた。

10時には私も起きて再び八百屋にチャレンジ。
顔見知りのおばちゃん店員さんに「あら、珍しいわね。ずっとダンナさんが1人でくるんだもん。たまにはおいでよ!」と元気よく言われた。

お雑煮に入れる三つ葉とかカオマンガイ作ろうとパクチーとか、軽く買い物して、駅前に向かう。
今日のミッションは、
・こないだ新しく作ったせいうちくんのメガネを受けとる
・おでん種の店で紅しょうが揚げなどを買い込む
・我が家のおせち定番である「ローストビーフ」のため、牛肉のかたまりを買う
の3点。

たたき用の牛肉肩ロース肉は高いよ~!
こいつが一番お金がかかるる料理で、肉800gで7千円ぐらいしたよ~!
年に1度しか作る気になれないわけだ。

どれもさくさくとこなして、家に帰り、観かけていた「呪術廻戦0」を観終わる。
せいうちくんは「シーズン1」をちょっと観てからすぐに「0」にいったので、どうも伏黒くんと乙骨くんの区別が怪しいようだ。
「頭の中がごちゃごちゃになる、難しいアニメだね」とこぼしていた。
しかし「0」と「1」の五条悟がそれぞれ白と黒の目隠しをしているのには気づいたらしい。さすがだ。

早めにお風呂に入って、紅白に備える。
ちゃんとリアタイ視聴して、投票権を手に入れるのが好きなんだ。
結果としてはすごい大差をつけて紅組優勝だが、私はどっちかと言うと白組だったんだがなぁ。
15分でかき揚げ入りの年越しそばを作って平らげ、年が変わったのでとりあえず「年忘れZOOM会」に参加してみた。
意外と人がいなくて、我々以外にはSくんUくんHくんぐらいしかいなかったから、みんなやる気を失くして早々に終わってしまった。
長老は「初日の出を見る計画」とやらで早寝してしまったし、Gくんはひと足先に飲み正月に入ったかもで、いずれにせよ1度も入室しなかった。寝てるのに5票。

私たちは正月休みをいいことにどうしても2時ごろまでそれぞれ本やマンガを読んでしまう。
星野之宣の「宗像教授世界編」を読んでから「宗像教授伝奇考」を読み、ついでに「宗像教授異考録」を読んでしまったので行きがかり上浦沢直樹の「マスター・キートン」と歴史シリーズを読み返してしまった。
1月4日に芥見下々の「呪術廻戦」最新巻が出るので、それまでに1巻から読み返してフォローしておかなければならない。
面白い。
アニメの方にも興味が出てきてしまい、多忙でしょうがない。

いよいよ2024年が始まる。
年明けはいつも何だか興奮するよ。

24年1月1日

あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします。

せいうちくんは日頃あまり話したくない母親に、いちおう新年の挨拶の電話をかけた。
平和裏に挨拶だけするつもりが、「娘ちゃんが生まれた時に『お母さんに手伝ってもらわないといけない』って頼んできたけど何にもしなかったから怒ってるんでしょう」と言われ、いや、それは事実と違う。
結婚に反対された私たちは、障碍児が生まれたからと言って向こうの親に頼るつもりは全くなかった。
でも、いつの間にか「頼んだ」ことにされており、おまけにそれでも手が出せなかったのは、私の実家から猛烈にクレームが入ったせいだと言う。

ここは何度も話し合っているのだが、義母の記憶は完全に事実と変わってしまっている。
「うさこさんのお父さんから電話で一方的に文句を言われた」なんて事実はなく(彼はそんな面倒くさいことをするほど家族に関心がない)、当時私が母親から聞いて育児日記にもつけていて、その頃から2人で何度も話しており、事実の認識は変わっていない。

せいうちくんのお父さんが私の父の会社に電話してクレームをつけた。
曰く「お産は女の側の親の責任」なんだそうで、「困った時だけ頼ってきても、うちだってお金がなくて援助はできない。障碍児なんてどれぐらいお金がかかるかわからないのに」だそうだったが、父はそういう面倒な話は全部母に投げる。
「そういうことは家内にまかせてありますので」と言われた義両親は、今度は母に電話したようだ。

母によれば「最初はお義父さんがあれこれ言おうとしていたけど、後ろからお義母さんが『こう言え』『ああ言え』と指示を出していた。すぐにもどかしくなってお義母さんが電話を奪い取って興奮して話していた」と言う。
実にありそうなことだ。
「うさこさんのお父さんが『こちらでフォローしますから』って言うから安心してたし、文句つけられたから怖くて手が出せなかった」とお義母さんは言うが、文句つけてきた方が「こちらでフォローしますから」と言うのもおかしな話だ。
「うさこの育児日記にも『せいうちくんの実家から名古屋の母に電話があった』って書いてあるよ」と説明したり、お義母さんの発言の矛盾を説いてみたせいうちくんだが、しまいには「あの人たち、おかしなことばかり言うのよ、キチガイだわ。ウソばっかりつく、ウソつきなのよ。生きてたら飛んで行って問い詰めたいぐらいだわ!」と言われた。

死人に口なしではあるが、今はもう身の証を立てることのできない亡くなった両親を「キチガイ」「ウソつき」呼ばわりされ、おまけに「生きていたら言ってやりたい」はあまりにひどい。
死者への冒涜だ。何も言えないからって、あんまりだ。

前に息子が、「大切な人を悪く言われたら、キレていい。いや、むしろキレるべきだ」と言っていたのを思い出した。
大して好きではない親とは言え、自分の親をウソつき呼ばわりされ(また私がウソが大嫌いだときてる)、両親の名誉のために何か言ってほしかった。
しかしせいうちくんはその時、「とくにムッとしたりしなかった」のだそうだ。
自分の両親が理不尽に事実を捻じ曲げ、ウソもつくことを知り抜いているのに、やはりとっさには「自分中心に人を責めてばかりいる」という行為に慣れ切っているせいか、スルーしてしまったらしい。

電話を切ってから私が怒りながらその辺を説くと、「確かにそうだ。ひどい」となってまた電話をかけるというぶざまなことになってしまった。
今度はお義母さんは「昔のことをぐちゃぐちゃと」と怒ってきた。
そこから、せいうちくんがいかに特別な子で、どれほど手をかけて育てたかを主張し始め、中学受験と大学受験で息切れしてしまって大学で3年も留年するほど精神状態が悪かった、というせいうちくんの主張にも、「それはまんがくらぶやうさこさんと関わったせいでしょ!それか、高校時代に顔を蹴られて大怪我をしたから」と言って聞かない。
球技大会でサッカーをしていて低いヘディングをしようとしてクラスメートに顔を蹴られた、という事故だったのだが、もちろんその時もお義母さんは加害者(?)の生徒とその親、さらには学校にまでクレームを入れ続けて騒ぎを大きくし、同級生は今でも「僕らの学園イチの大事件だったねー。せいうちくんはいいおうちの大事な息子だから、大変な騒ぎになってたよ」と語るほどだ。

せいうちくんがお母さんに頼まれてお父さんと2人で入居するための老人ホームを探したことが2回あったが、2回とも土壇場になって「やっぱり入りたくない。気が変わった」と言うお母さんに家族会議で文句を言おうと思ったら、妹さんに「親を老人ホームに入れようだなんて、よくそんな冷酷なことを考えるわね!」と激怒され、その時お母さんはひと言も「私がせいうちに頼んだのよ」と言わなかったじゃないか、おかげで妹とはすっかり仲が悪くなったよ、という言い分に対する答えは「うっかりしていた」。
日頃「きょうだいがこんなに仲が悪くて、親としてこれほど悲しいことはない」と言っているのに、自分のせいで目の前で妹が兄を罵っている時に「うっかり」何も言わないものだろうか。

「お父さんが認知症になって、どれほど私が苦労したか」という話に推移したので、「じゃあ、もっと早くお父さんを有料老人ホームに入れればよかったじゃないか」とせいうちくんが言うと、悲鳴を上げるように「私の老後はどうなるのよ!お金が無くなっちゃうじゃない!」と叫んでいた。
そうか、それで認知症のお父さん相手に「ボケ老人!」と怒鳴りつけながら、特養に入れる要介護4になるまで介護してたのか。
非常に安く上がる特養に入れるようになるまで我慢したのは、つまり自分の老後にお金を残しておきたかったからで、それなら苦労したのも自分のためなんだから、そこまで人の理解を求めるのは難しいと思うんだがなぁ。

その間にも「せいうちはあんなに優しい子だったのに、人が変わってしまったって妹も言っている。まんがくらぶとうさこさんが悪いのよ」と言い募るので、らちが明かないと思ったせいうちくんは電話を切ったあと、長いLINEを書いた。
「できればもう何も言いたくない。どうせ伝わらない」と言う彼に、「言わないと自分が後悔するよ」と後押しをしたのは私の責任かもしれない。

「M子さん(お母さん)がぎゃあぎゃあ言っていたので聞こえなかったかもしれませんから、あらためて言います。私は教育虐待の被害者でした。中高でいじめを受けたりケガをしたりした時のM子さんの奇矯な対応で、私は学校でますますつらい立場に追い込まれました。大学に入った時はへとへとでした。うつ病になりかけていたと思います。卒業も危うい私を救ってくれたのがうさこでした。『東大に入ったから今の暮らしがある』とM子さんは言いますが、うさこはどんな状態でもついてきてくれたと思います。高卒だろうがリストラに遭おうが、気にしない人です。せいうち家の家風がイヤでしょうがなかった私が現在幸せなのは、東大出だからでも役員になったからでもありません。家庭が穏やかで夫婦仲がいいこと、それが私の望む幸せです。M子さんの考えとは異なるでしょうから、M子さんはMさんの脳内の幻想の私を崇めて、そんな素晴らしい息子を育てた苦労と幸福の思い出に浸ってください。

こう書くと、M子さんは『せいうちはうさこさんに洗脳されている』『うさこさんに言わされている』と思うかもしれません。そうではない証拠に、東大の合格発表を見たあと、そのことを一番喜ぶだろうM子さんに伝えたくなくて、街をさまよい、高校に行っていました。その時、もしも私が両親と同じ気持ちでいたら、そのようなことにはならなかったと思います。

でも、何をいくら言っても伝わらないということが、今日、心底わかりました」

この心情を吐露した長いLINEに対するお義母さんの返事は、
「何を言っても、とは私も同じですし、T子(妹さん)もあの2人には何を言っても噛み合わないと言っています」というものだった。

気がついたらすっかり夕方になっていた。元旦は非常にむなしく過ぎてしまった。
息子から「明日よろしくね!」とメッセージが来ていたのにも気づかなかったので、「お2人、無事かい?」と聞かれるほどだった。

地震は、私は軽く感じていたがせいうちくんに「揺れなかった?」と聞いても「いや、特に」と言っていた。
夜のニュースを見て初めて日本海側がものすごい状態になっているのを知った。
富山に一家で帰省中の友人がいるので心配でコンタクトを取ろうとしたが、彼女から返事が来る前に会社の人がその一家の無事を確認して知らせてくれた。
あとから聞いたら、結婚式を挙げた神社に初詣に行っていた、やはり神社というのは高台にあり、造りも強固なので心配なかったし、実家も無事、とのことだった。

どの局も地震警報と津波警報で、予定の番組はほぼすっ飛んでいた。
まあ「芸能人格付けチェック」が消し飛ぶぐらい当たり前の状態だったと思う。
元旦にこれほどの災害が起きたことは覚えがない。
とんでもない始まり方をした2024年だった。

24年1月2日

午後に息子夫妻が来るので、晩ごはんは手巻き寿司にしようと隣町まで自転車で出かける。
2日でも朝一番でも、商店街は混んでいた。
優秀な魚屋もすっかり正月仕様で、値段は無茶苦茶高いし、お寿司と刺し盛りがたくさん並んでいて、手巻き寿司用の切り身はほとんどない。
いっそ刺し盛りを買って、その刺身ひと切れずつを2つぐらいに切るか?とも考えたが、とりあえずここでの買い物はあきらめて、せいうちくんの新しい遠近両用のメガネができてきたのを受け取り、息子の好きなTOPSのケーキを買って、ここでの用事はおしまい。

帰り道をちょっと先まで足を伸ばすと割と品物のいいスーパーがある。
「うに」が10センチ×18センチぐらいの木箱に入っていた、なおかつ1800円は安い。

マリネ用のスモークサーモンはさっきの店で買ったので、残りはマグロやサーモンの冊、ネギトロ、玉子焼きなどを買ってすます。
おっと、タラモサラダ用のたらこを買わなくっちゃ。

帰って、お互い自分の得意料理の仕込みを始める。
せいうちくんはおでんで、いつもの粉末「おでんの素」を使わずに昆布で出汁を取り、最後にはその昆布を巻いてかんぴょうで括っておでんの具に加えるという凝りよう。やるな、おぬし。
20個のゆで卵を剥くのは私もかなり手伝った。
今年は例年よりマシだったが、やはりつるんと剝けるゆで卵はあまりいない。
おでん種を切ったり、油揚げの袋に小さく切った餅を入れてかんぴょうでくくる、いわゆる「バクダン」をたくさん作っていた。
汁が濁るので溶けやすい「ちくわぶ」は入れないんだって。
大根とゆで卵さえあればいい私としては、なんの異存もない。

私は玉ねぎをスライスして水にさらし、スモークサーモンを切り、ディルを切ってマリネ液を作り、混ぜる。
これをビニール袋に入れてぎゅっと縛り、サーモンマリネの出来上がり。
そう言えばどこの八百屋でも香草の棚からディルだけが消え失せていた。
みんな、そんなにサーモンマリネ作るの?(他にディルの使い道を知らない)
4軒目の八百屋でやっと見つけたディルは最後のひとつで、ずいぶんしおれていたので、「これは無理。もっと探そう」と棚に戻しに行ったらお店のおねーさんが新しくてしゃんとしているディルを出してきてくれた。
戻さなかったらしおしおのディルでも売ってしまっていたのだろうか。

牛肉は3本の肉柱に切り分け、それぞれ外側を焼いて、氷水につけて粗熱をとったあとペーパータオルで水けをふき取り、しょうゆと酢とレモン汁と酒、あとはにんにくやしょうが、ネギなどを香味野菜として入れてレモンの輪切りも入れる。
これも袋に入れて縛って冷蔵庫行きだ。
タラモサラダは作り立てが美味しいので、明日の朝作ろう。
パンはちゃんと細めのバゲットを買ってある。
息子妻のMちゃんが「こないだ作っていただいた鶏ももの香草焼きが美味しかったので、またお願いしたいです!」とリクエストをしてくれたので、それも明日、作る。

こっちに来る前に昔シッターさんをしてくれた通称「おばちゃん」にご挨拶してくる、13時に訪問だからごはんは15時頃かな、と聞いていたので、晩ごはんの手巻き寿司はいつでも作れるように酢飯を作って、せいうちくんが魚と野菜を手巻き用に切ってくれた。
14時過ぎても連絡がないから、きっとおばちゃんとこでご馳走になっているんだろう、と思い、晩ごはんはけっこう遅くなりそう、と思っていたら案の定、15時においとましして、うちに歩いてきたのが16時近く。
「ずいぶんいろいろいただいて、おなかはいっぱい」とのことなので、夕食は19時を回るだろう。

2人とも疲れたろうから、一緒に紅茶を飲んだあと、2時間ほど各自自由に休む時間にする。
でも紅茶のむ間に、今年の3月ごろからカナダにワーキングホリディに行く話は進んでいると聞いた。
私のブログなどを経由して息子のことをよくわかってるGくんは、先日のZOOMで「どうせあいつはワーホリに行かない。何か準備が滞るとかして、『やっぱり行きませんでした~』ってなる!」と断言していたが、さすがに2人で行くので何とか実現するのではあるまいか。
そもそもNYだって、宣言してから数カ月遅れたけどちゃんと計画立てて行ってたぞ。しかも2回。

少し昼寝して、それぞれお風呂に入って、19時過ぎスタートの手巻き寿司。
入籍後も2人の関係が変わってきたと感じたが、結婚式のあとはそれ以上だ。
Mちゃんはこれまで我々の前では息子をとても立てていたのが、「息子くん!」と叱る時は叱るようになってきてた。
何かで思わず「すげー!」と口走るとか、Mちゃん自身も我々に対してほどけてきたようだ。良かった。

「こんな大きなひと舟のウニは最近見ない」と感激しながら各自好きなものをどんどん海苔に酢飯を乗っけたので巻いて食べ、おなかいっぱいになった。
息子とせいうちくんで後片付けをしてくれたあとは「映画観賞会」。
ダイニングの壁にプロジェクターで投射し、Mちゃんが小津安二郎が好きだけど観たことがない、と言う「秋日和」をデジタルリマスター版で観た。
原節子の娘を結婚させるために亡き父親の友人たちがしきりに縁談を持ってくる話で、母親が1人になってしまうので結婚したくない、と言う娘を嫁にやるにはまず母親の原節子を再婚させなきゃ、と仲間内で唯一やもめの男に友人2人が託す、という、実になんでもない話。
なのにやたらに笑えたり泣けたり。
小津映画は、いいね。

鑑賞終了後、息子が切ってくれたTOPSのケーキを食べながら感想会。
「今だとほとんど全部セクハラかパワハラ。社会がそういう価値観だった」というあたりで話がまとまる。
さて、明日は朝からお雑煮と我が家風のおせちを食べて、午後は娘の面会だ。
やっとコロナのせいでの面会人数制限が解除されたようなので、4人で一緒に会える。
息子は「娘ちゃんのとこに4人で行くなら、カーシェアが一番コスパがいいんじゃないかな」とスマホを見て探していたと思ったら、うちから400メートルぐらいのところにカーシェアできる場所があると言う。
2時間半使ってガソリン代はなし、時間分だけで3500円ぐらいで済むんだって。
電車代とバス代を考えるとその方がお得なぐらいだ。おまけに楽に行ける。
やっぱり若い人はいろんな新しいシステムをよく知っていて頼りになるなぁ。
息子の成長ぶりに目を見張った瞬間だった。

24年1月3日

朝、私は7時に起きて9時半開始の正月朝食の準備をする。
息子たちが寝ている部屋はキッチンの隣で、「パネルで仕切ってあるだけだからうるさくするかもしれないけど、絶対に手伝おうと起きてきちゃゃダメだよ。ゆっくり寝てね」とあらかじめお願いしてある。

せいうちくんが前夜に塩を振っておいたぶりを軽く流して塩を取り、しょうゆ出汁のお雑煮を作ってくれた。具は塩ぶりと三つ葉、お餅だけ。
私はじゃがいもをゆで、玉ねぎとニンニクをすりおろし、レモン絞り器で汁を絞り、たらこ2腹半(2個をひと腹と数えるならば)の皮に切れ目を入れてスプーンで中身をかき出し、オリーブオイルにつけておく。
ジャガイモがゆだったら皮をむき、つぶして、粗熱が取れたところで上記全部を混ぜてオリーブオイルと塩コショウで味と固さを調整。
昨日漬け込んでおいた牛肉のたたきを1本半、5mmほどの薄切りにしてさらに並べ、貝割れを飾って出来上がり。
漬けてあった液を少し小皿にとって添え、付けだれにするんだが、今日のところはよく漬かっているので上から全体にかけるだけにしよう。

鶏もも肉はひと口大に切って耐熱皿に敷き詰め、パン粉ににんにくのみじん切りとバジルとオレガノとパセリ、それから粉チーズを混ぜ、全体をオリーブオイルでペースト状にする。
耐熱皿の鶏肉にそれを平たく乗せ、200度のオーブンで20分ほど焼いて出来上がり。
サーモンマリネも出して、お正月料理の完成だ。

息子は年に1回しか食べられないこのローストビーフが大好きなので、どんどんなくなる。
Mちゃんはあいかわらず鶏もも香草焼きが美味しいとほめてくれた。
サーモンマリネもディルのせいかとても美味しくできた。
せいうちくん作のおでんも出ているので、みんなおなか一杯になった。
午後に車を運転するのでビールが飲めない息子に、運転免許がないから関係ないMちゃんもつき合って全員お茶ですませた。
呑みたければ夕食の時にまた呑もう。昨日乾杯しておいてよかった。

食事中に、若い2人に「お年玉袋」を渡す。
こないだ来た時に目ざとく見つけ、「お年玉?いくつになると思ってんだよ」と言ってた息子に説明したとおり、結婚1周年は「紙婚式」と呼ばれるのでなにか紙製の記念品をあげたくて、ノートとか便せんとかしおりとかいろいろ考えたんだけど、カナダに行く予定で荷物を減らしている最中の人たちにモノをあげるのは申し訳ないから、消え物の紙と言ったらこれしか思いつかなかった、だから、来年からはお年玉はないよ、と長々と解説した。
Mちゃんも納得して受け取ってくれた。
5周年でやっと木まで行くけど、そこまではほぼ繊維(皮婚式ってのもあるけど)、その後に鉄やら銅やら錫やら金属も入ってくるけど、天然石になるのは15周年の水晶婚式からだよ、と蘊蓄垂れたら、Mちゃんは真面目な顔で、
「それだけ固くなるには年月が必要なんですね」とうなずいていた。
紙婚式を始まりとして、どんどん夫婦の絆を固めてね。

しばらくの食休みをはさんで、息子が車を取りに行ってくれた。
20分後ぐらいに下に下りて待っていたら青い車を借りてちゃんとやってきた。
正月3日はまだ車も少なく、スムーズに時間前につけた。
受付で病棟のカードキーと4人分の来客プレートをもらって首に下げ、いざ病棟へ。

向こうも準備して待っていてくれたようで、インターホンでドアを開けてもらうと娘が車椅子に横たわって待っていてくれた。
とりあえず面会コーナーに入り、ついたてを立ててもらってこの4人が家族になってから初めての面会。
たいそう感動した。

しかし、ここで若干のもめごとが。
事前に電話で確認して、コロナの予防措置としての面会制限が緩んで、これまで1日に2人までしか面会ができなかったところが4人でもOKになったと聞いていた。
しかし、どうも、面会時間など他の条件は緩んでいたが人数に関してはやはり2人の制限が消えていないかもしれないと。
看護師さんや介護師さんたちが協議している間、4人で会えちゃってるので、その隙に自撮りで家族写真を撮ったり、みんなで娘の手を代わる代わる握ったりしていた。

我々は娘の外見に慣れているけど、それでも毎回悲しくなるほど身体の変形は激しくなっている。
手首が拘縮して強く内側に握り込んだようだし、背骨も湾曲しているので横向きにしか寝られない。
Mちゃんはまだ会うの2回目だから、どう声をかけていいのかわからないんじゃないかと心配していたんだが、とても優しく、でも猫なで声とかじゃない普通の声で、
「お姉さん、お元気でしたか?」と語りかけてくれていた。
娘も今日は体調がいいようで、いつも冷え気味の手足がぽかぽかと温かかった。

やがて協議の結果が出て、要するに間違った情報を伝えてしまっていて、人数制限は今のところ続いているのだとのこと。
「それでも、もう今日はこうやって来てくださったんだから」と言うので続きは「このまま院内散歩とかしてください」となるのかな?と思っていたら、
「今から制限を適用します。お2人ずつに分かれて、ひと組ずつ15分ぐらい娘さんとお過ごしください」だって。
 
まあとにかく車椅子を押して廊下に出て、息子・Mちゃんチームとせいうちくん・私チームで15分ずつね、となった。
先攻の彼らが車椅子を押して廊下を歩いて行くのを、かなり離れたところから見守りつつあたりを見学していたら、お正月らしく壁に紙で貼った神社ができていた。
ちゃんとゲームコイン(SEGAって刻印されてた笑)が用意されてて、それを使ってお賽銭ををあげ、おみくじをもらうことができる。
娘の健康と皆の幸せ、特に息子夫婦のことをお祈りして、おみくじを引くと、「あのひとに でてほしかった 紅白に」とプリントされていた。
介護士さんたの中には、推しが紅白に出られなかった人がいるんだろうか。

この中をゆっくり歩くのは初めてと言う息子夫妻は「きれいで気持ちのいいところだねー。お世話してくださる人達のモチベーションとモラルの高さが感じられるよ」としみじみ感心しているようだった。
バトンタッチして後攻の我々は1階フロアに行ってみる。
大きな紙を切って貼りつけた「森」の小鳥をよく見たら木製の立体だったりして、驚いた。
真半分に切った断面を貼りつけてあるので、レリーフに近いのかな。

1階ロビーには広いスペースがあって座って休めるので、我々はしばし座って娘の健康状態を観察していた。
酸素飽和度の数字は99とかだからとてもいいいと思う。
ちょっと脈拍が早いのは緊張してるのかな?

息子は結婚式の会場に昔の思い出の写真が貼ってある中に、自分が生後半年ぐらい、娘が3歳ぐらいの時の写真を飾ってくれていた。
「僕のお姉ちゃんは、言葉ではコミュニケーションが取れないけど、手を握るといつも饒舌に語りかけてくれる楽しい人です」と書き添えて。
ありがたいなぁ、息子も、Mちゃんも。

時間になったので、我々が娘の病棟まで送り届けた。
結婚式で息子夫妻と我々夫婦、4人で取った記念写真をUSBメモリ使ってコンビニでプリントアウトしたもの(2L大)を娘のベッドのヘッド部分に貼ってくれないか、とお願いしたら、快く引き受けてくれたのみならず、手の空いた看護師・介護士さん幸が5、6人集まってきた。
「わー、結婚式だー!やっぱり弟さんの奥さんだったのね」」
「お母さんに似てるから、妹さんもいたのかと」
(「あんな綺麗で可憐な人と私を一緒にしちゃ、失礼ですよ~!」さすがに言葉にはしなかったけど)

そこに看護師長さんっぽい人が現れて、
「まあ、素敵なカップル。おめでとうございます」
「ありがとうございます。またみんなで来られる時を楽しみにしてますから」とお礼を言うと、
「次には人数が増えてたりして」と小さく笑いが起こったあと、ちょっとあわてて、
「こういうことは今は言っちゃいけないんですよね」とコンプライアンスを発揮していた。
もちろん「結婚まだ?」「子供はまだ?」「次の子は作らないの?」といった言いようは今、ちょっと言わない方向になってるのはわかるけど、本音を言えば嬉しいな、そう言ってもらえて。
2人が決めることだけど、祝福の気持ちはしっかり伝わってきたよ。

また車で帰って、せいうちくんは「カーシェアの場所とシステムを知りたいから」と息子と一緒に乗って行った。
Mちゃんと私は降りて、風を通してあった室内の窓を閉め、暖房をかけてお茶を飲んでゆっくりしていた。

男性陣が帰ってきたところで、まだそれぞれ自由時間。
せいうちくんはとにかく寝たいらしい。
「Mちゃんとお話ししててもいい?」とMちゃんと息子に聞いたら「どうぞどうぞ」と言われたので、あれこれ話をしていた。
「東京の老人ホームが高い。埼玉でも高い」と言ったら息子が「どのへん?」と聞くので、「アフロ田中の」と言うと「浦和かな」「うん、東浦和だったと思う」。
たまたまベネッセの「ボンセジュール」に行き当たったようなので、
「そこは2人部屋がないの。グランダならある」と言ったらそこを調べて、「高っ!!!」と叫んでいた。

私「今回のカーシェアの件なんか見てると、若い世代が新しいシステムを合理的に使っていて、老人世代はつい頼りにしちゃうよ。これからもあてにしちゃうかもしれない」
息子「全然かまわないよ」
Mちゃん「お母さんたちはずいぶんいろいろ自分でされてる感じがしますけど、もし役に立てることがあったら言ってください」
いや、ホントにありがたい。

その辺で私もベッドに行ったんだが、いきなり爆睡してしまった。
1時間も寝てないとは思うんだが、せいうちくんに起こされた。
「もうじき晩ごはんだよ。すごいよ。キムチ鍋の材料買ってあるって言ったら、若い2人がどんどん作ってくれて、もうできるところだよ」
リビングに行ってみると、確かに買ったばかりのIH用土鍋の中でキムチ鍋ができつつある。
息子はちょっとおたまですくって味をみて、
「野菜から水が出ちゃったからちょっと薄いかな。お父さん、味を足すなら何がいい?」
せいうちくんが顆粒タイプの鶏ガラスープと豆板醤を出すと、両方ともかなりデカい容器なのでMちゃんも小さく「でかっ!」とつぶやいていた。

味を調えたキムチ鍋はとても美味しく、あっという間にひと鍋目が終わりそうになったので、息子が、
「これみんなでさらっちゃったら、次行こう」と指示を出してくれて、ふた鍋目。
さっきのが豆板醤で十分辛かったので、再び薄くなった汁の味を直そうとしている息子に、
「これ以上豆板醤は入れないでね」と言って柔らかめに味付けしてもらった。
ふた鍋目も美味しかったが、息子は「味変」したいらしく、冷蔵庫から「柚子胡椒」を出してきた。
「美味いよ!柚子胡椒って、何でできてんのかね?」と言う息子に、Mちゃんも柚子胡椒を自分の汁椀に入れていた。
「あ、本当だ。美味しい」
すでに顔じゅうから汗がだらだら流れてる私は挑戦しなかった。
せいうちくんと2人だったら服を脱いで下着姿で食べていただろう。

さすがにみんなおなか一杯になってきたのと、私以外の3人は〆に昨日の手巻き寿司の残り材料で海鮮丼を軽く作って食べたので、3鍋目は煮るだけ煮て、我々の明日の夕食に残しておいてくれた。

お風呂に入って、また部屋を映画館仕様にする。
今夜は「小津安二郎なら」とせいうちくんのおススメで「おはよう」を観た。
河川敷の住宅街(長屋風に距離は近いが、一応一戸建て木造住宅が並んでいる)が舞台。
子供たちの間で「おでこを押すと『ぷう』とおならを出せるとエライ」ってヘンな遊びが流行っている。
一方、奥さんたちは町内会費が組長さんのところから会長さんに届いていないと聞き、「そう言えば組長さんちは洗濯機を買ったのよね」と噂をし合う。
疑われた組長さんは、「確かに先月の28日にお宅のおばあちゃんに渡しました」と言う最後の奥さんに「そんならおばあちゃんが私に言うはずでしょ。洗濯機ぐらい、人様のお金に手をつけなくても買えますよ。変な噂流さないでちょうだい!」とぷりぷりしていて、その噂をやんわり否定しながら聞いていただけでまったく広めてはいない奥さんは困ってしまう。
折悪しく、その家の子供たちがテレビを買ってもらえないうえ、笠智衆演じるお父さんに「男のくせにくだらないことをいつまでも言ってるんじゃない!」と叱られたので、中学生と幼い弟は沈黙ストライキに入ってしまう。
そこんちの子供が挨拶もしなくなってしまったので、おばあちゃんが町内会費のことを忘れていたのが判明していったんは謝りに来た組長さんが、「あの人って、細かいことを根に持って、子供に挨拶もしないようにさせてんのよ」と言いふらす。

もう始まりからすでに私は胃がせり上がってくるような違和感と不快感と背筋が凍るような気分に襲われてしまった。
「人が陰で何を言うかわからない」とかメッセージとメタメッセージの乖離が激しいと実家を思い出してしまって特大のトラウマが顕現するのだ。

結局テレビも買ってもらえて、なんとなくのどかな朝が描かれて終わっても、まだ震え上がっていた。
他の3人は「面白かったねー」「すごく面白かったですー」と言ってるのに、面白さが楽しめなかった。
「怖くなかったですか?」とMちゃんに聞いても、怪訝な顔で「全然怖くはなかったですよ」と言われ、何だか考え込んでしまった。
良い映画だとは思うし、子供のコミュニティと大人のコミュニティが全然別の理由で動いてる様なんかは興味深かったんだが。

ケーキを食べてみんな就寝時間になったけど、せいうちくんに上記のようなことを訴えたら、
「キミの家庭にはウソが多すぎたんだよ。だからキミは病的にウソが嫌いだよね。でも、たいていの人はそんなに悪意を持ってウソをついたりだまし合ったりして暮らしてるわけじゃないんだよ。あの映画も、人と人の間で潤滑油としての世間話や挨拶をしてる、それが子供にはウソくさく見える、ってことが描きたかっただけなんだと思うなぁ」と言われた。
まあ、近所付き合いの少ない今の時代でよかった。
あんなに距離の近いコミュニティではとても暮らせない気がした。
それにしても戦後から世の中はずいぶん変わってきたんだね。
思えば遠くに来たもんだ。

24年1月4日

2泊もしてくれた息子夫妻が今日帰る。
息子は今日から学童保育所での仕事があるが、Mちゃんは明日から英語教室の仕事だそうだ。
2人ともたまたま子供関連の仕事をしているので、話題や興味が似通って、楽しそう。
カナダでのワーホリで農業をやって、帰ってきたら田舎に住んで息子は「半農半インプロコント」、もともとお父さんの実家が農家だったMちゃんも「半農半何か」をしたらいいかもね、と言うと、2人ともそれに近いことを考えているらしい。
カナダで1年、ゆっくり考えて来てね。

朝ごはんにはカオマンガイを作った。
しょうがのみじん切りやごま油、にんにくのおろしたのを入れた2合のお米に砂糖と塩をすり込んだ鶏もも肉2枚をのせて炊く。
タレはしょうがのみじん切りとパクチーのみじん切り、そこにしょうゆと酢とレモン汁と砂糖だが、かなり肝心なナンプラーがうちにはないとゆうべ気づいた。
まあパクチーに頑張ってもらおう。

炊き上がったごはんから鶏もも肉をよけて、味噌汁椀に軽く詰めてパカッと伏せると、かわいい小山が出来上がる。
そこに1人半枚の鶏もも肉を切って添え、飾り切りを入れてスライスしたきゅうりとパクチーの葉で飾る。
要するに「きのう何食べた」13巻に出てくる「海南チキンライス」だ。
みんな朝から「美味しい!」としっかり食べてくれた。

息子は10時半に出ると言うし、Mちゃんも途中まで一緒に帰るので、ローストビーフの残りとサーモンマリネを少し持って行ってもらった。
カナダに行く前に日にちの余裕があったら友人Gくんと共同所有のキャラバンを使って温泉でも行こうね、と約束した。
それに、重い家電や家具を売りに行く時、息子がGくんとこに行ってキャラバン借りられると2人とも助かると言っていた。
息子が電子化してほしい本もあるかもだし、本棚はいいもので惜しいから、できれば実家に置いておいてもらいたいようだ。
キャラバン買っといてよかった!

「楽しかったです~」「元気でね~」と2人が帰ったあとはなんだかシーンとしている。
しかし、せいうちくんと2人きりもまた、いいものだ。
とても成長した気がする息子や、距離が近くなって信頼し合っている様子が傍目にも明らかな若い夫婦を見ていると、本当にほっとする。

うちに来た夕方、息子が何やらMちゃんの袖をひっぱってお願い事をしているようだった。
どうやら「自宅ではタバコを吸わない」約束をしているらしく、「ここにいる間はちょっと吸ってもいいでしょう?」という交渉だったようだ。
Mちゃんは快く許してくれたが、遅くとも彼がカナダに行ったあとは私も禁煙しよう。
もともとせいうちくんが忙しすぎて私にもストレスたまるからしぶしぶ許してくれてる喫煙だからね。
身体にいいわけはないので、そろそろやめよう。
まずはせいうちくん、ヒマになってくれ!

夜、「相棒新春スペシャル」の録画を観ていたら、ずっとL字で地震津波警報が出ているのは当然としても、最後の数分、クライマックスで津波が激しくなったのか、完全に報道番組に切り替わり、そのまま録画は終わってしまった。
ネットで調べると同じ問題を抱えてる人は多いらしい。
仕方ないので15日間無料のTELASAに入会して、やっと最後まで観られた。
ほんの5分ほどしか残ってなかった。
話の勢いで、カイトくんがどうしてダークナイト事件を起こして投獄されたかが知りたくなり、今、シーズン11を観始めている。
さあ、15日間で観終わるか?!

24年1月5日

そして正月休みは終わり、せいうちくん出社。
たまった疲れをとるべく睡眠薬などを多めにのんで夜明けに寝たってのに、やはり神経が高ぶっているのか9時に起きてそれきり猛烈な勢いで日記を書いている。

いろんなことがあった。
元日にせいうちくんとお母さんが電話でケンカを始め、ずいぶんひどいことを言われていた気がするが、そのあと息子夫妻がきてくれたおかげでとても和んだ。

「呪術廻戦」の最新巻が出たので、一生懸命0巻から読み返しているが、25巻まであるっていうのにまだ18巻ぐらいまでしか来ていない。
つくづく難しいマンガだ。
せいうちくんもアニメ版に興味を持ったようだから、そのうち観てみようかな。
少なくとも劇場版の「呪術廻戦0」は観た。

「鬼滅の刃」の「柱稽古編」が春から始まるようで、まだ「葬送のフリーレン」も「SPY×FAMILY」も録画しただけで全然観てない。
そもそもマンガ原作のアニメや映画はあまり好きでないと思ってたのに、「鬼滅」でハマったかも。
「ゴールデンカムイ」の劇場版も気になる。
しかし喫緊の問題は「相棒11」から何シーズンあるかわからないが、成宮寛貴が逮捕されるところまで、15日間で観られるかってことだ。

正月休みにデータ化しようと思ってオトナ買いしたマンガの山は3割ぐらいしか片づかなかった。
せいうちくんは会社の仕事をしながら家のPCを買い替える計画を立てたり、私の面倒をみたり、お父さんの家族信託の報告書を作ったり、いや、本当に立派だよ。

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