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年中休業うつらうつら日記(2021年11月27日~12月3日)

ついにオミクロン株が日本に入ってきました。今は落ち着いているコロナ状況もいつまでも続くわけではなさそうです。友人たちとの千駄木散策が一段落したら、我々も大人しく仮住まいにこもっているつもりです。来年1月末の引っ越しができないと困るから。

21年11月27日

最近には珍しく、まったく用事なく1日のんびり過ごした。
無料体験中のU-NEXTで映画なんか観ちゃう。

たまにはこういう日もないとくたびれ果ててしまう。
くたびれるとろくなことを考えない。特に私は。
考えてもしょうがない将来の不安とか自分の生きてる意味とか息子の未来とか。
頭の中を思考の粒子がビュンビュン飛び回り、頭蓋骨の内側にぶつかっては跳ね返り、小さな火花がそこここに散るような、脳内花火大会が始まってしまう。

新しいソファでせいうちくんのひざに足を乗っけて可動式のひじかけを適当な角度に設定して頭を預ける。
その状態で映画やドラマを観ていると本当にくつろぐ。
「幸せだなぁ」と口に出してもかまわない気がしてくる。
いつもは「幸せ」と感じた途端に「あんたなんか幸せになれるわけがない」と母親の声が心の深奥から響いてくるが、せいうちくんのぬくもりがその声から少し私を守ってくれる。
少し、で申し訳ないね。こんなにいい目にあっているのに。

21年11月28日

昨日とはうって変わって予定の多い日。
まず朝の10時に新宿のビル街の1室を訪ね、新マンションの「入居説明会」に出なければならない。
私も共同所有者なので家で寝てるわけにはいかないのだ。

前のマンションの時はホールに大勢集まって一緒に話を聞くスタイルだったが、今回はホール中に小テーブルが並び、買主ごとに席に着き、アクリル板を立てた向こう側にいろんな書類を持ったいろんな係の人が次々現れる。
やや無駄でゴージャスなシステムだ。
お話ごとに「聞きました。納得しました」のサインをしたり判を突いたり、ちとめんどくさい。
「それはさっきもうすみました」なんて事故も発生するよ。

それでも1時間半ほどで終わって、次は下北沢に行く。夜に息子が演出補をやって出演もちょっとするらしい芝居を見に、渋谷に行くのだ。
ならば下北に寄って「珉亭」でラーチャン食べようと思ったの。正午すぎていたのでけっこう行列ができていた。
最近私を出し抜いて体重を減らそうと目論んでるせいうちくんはラーチャンではなく野菜炒めとお子様ラーメンを注文していた。
それでもやはり炒飯が少し食べたいと言うので、私のラーチャンのを大盛りにしてもらい、少し分けてあげた。

その後の時間の使い方に困りそうだったので、さっさとカラオケに決める。
飲み物も飲めるし座って休めるし、何より歌が歌える!

しかし、肥大した心臓に圧迫された私の肺は昔ほどの空気を蓄えておけないようで、手術直前以上に息が短くなっていた。
高音は呼気をよけいに消費することも分かった。
低い音域で歌う分には少しマシ。
何よりも、2年間カラオケから遠ざかっていた我々は全然声が出なくなっていた。
やっと少し調子を取り戻したのは3時間歌った最後の10分ほどだったよ。
今度友人たちとみんなでカラオケに行けるようになったら、事前のトレーニングが必要だと強く感じた。

そこから渋谷へ移動して、驚く。
会場のユーロライブってこんなに広くてきれいなのか。
しかし小劇団の中で少しは名の知れているらしいこの劇団の千秋楽というのに会場が広すぎて後ろの方はガラガラに空いていた。
最初に黒子が舞台に運んできた自転車が元私の自転車、現在は息子の所有である赤いママチャリ(前後にカゴがついてる!)なのには驚いた。
黒子もどうやら息子のようだ。

何度も黒子として出てきたので今回のお仕事はこれかぁと思っていたら、最後の方に台詞のある役者としてのお仕事もあった。
相変わらず発声がちゃんとしてないから、昼夜2回ずつの4日間8公演ですっかり声がかれてるぞ。
でも好きなことを生き生きとやってるのを見るのは嬉しいもんだ。

芝居そのものは同じ劇団のを前に2回観た、どちらよりもテンションが低かった。
地獄の釜の蓋が開いたような、新興宗教の狐落とし的阿鼻叫喚の大騒ぎが持ち味の劇団なんだが。
上品にまとまっていてわかりやすかったし、固定ファンは大いに盛り上がっていたのでまあいいんだろう。

小田急線の千代田線乗り入れ直通電車に乗って、くたくたに疲れて帰宅。
朝の9時過ぎから22時までの外出だったからなぁ。
最近でこんなに外にいたことはない。
テレワークでこもりがちなせいうちくんも同様らしく、泥のように寝てしまった。
興奮したり疲れたりすると却って眠れなくなる私でさえ、睡眠薬なしに眠りに落ちた。
薬なしで8時間寝たのは新記録かもしれない。
通常は2、3時間で目が覚めてしまうから。
少しは正常な睡眠がとれるようになったのかな?

21年11月29日

年金の猶予願いか免除願いを出せ、でなけりゃ利子付けて払え、と息子に区からお達しが来た。
その相談もあり、芝居が終わった解放感もあって、またバイトに来てもらうことにした。

私は午前中にバームクーヘンとプリンを買いにお気に入りの店に行っておねーさんとおしゃべりしてしまった。
「息子が来るんで、お菓子を買っておいてあげようと思って」と言うと、先日息子を連れてって紹介した時のことを思い出したのか、おねーさんは、
「礼儀正しい、いい息子さんですね」とほめてくれた。
ここは謙遜しておこうと、
「いやいや、ヒモみたいなことしてるからですよ」と言ったら、
「えっ、そんな年齢なんですか?」と驚く。
「もう28歳ですよ」
「全然見えませんでした。てっきり学生さんかと」
「仕事の苦労をしてないせいですよ」
うーん、ちょっと謙譲の美徳を発揮しすぎたか?

谷中ぎんざを歩いていたら、店先にいい色合いのカシミアショールが出ていた。
私の大好きなワインレッドだ。
さわってみると軽くて柔らかい。
これはいいカシミアだ、しかも半額!と衝動買いしてしまった。

せいうちくんがヘルシオ ホットクックを使ってこれまでの2倍量のカレーを見事に作れるようになった。
これで息子が夜食まで食べても大丈夫。
実際、来るなり「腹へった~。カレーあるの?食う食う!たくさん食べたい!」と、サトウのごはんを2つ温めさせ、カレーをたっぷりかけてかなりの大盛りカレーを作って食べていた。
さすがに腹いっぱいだそうで、いきなり眠くなっちゃうし。
「バイトに来てるんだから、キリキリ働いてもらうよ」と要求すると、
「泊まるんだから、夜にちゃんとやるってば」。
うむ、信用しておこう。

確かに、40分ほど寝たあとは得意の「あと10分」を繰り出しながらも時間には起きて、一緒ににっぽり館に向かってくれた。
途中にある、さっきカシミアのショールを買った店で、
「母さん、さっきここでこのえんじ色のを買ったんだよ。とてもいい品だと思うから、カノジョにどうかな。おんなじじゃナンだから、あなたの好きな別の色を選んで」と息子に言ったら、「いいの?」と言いながら薄いグレーのを選んだ。
そこに店主のおじさんが出てきて、積んである箱をいくつか動かすともう少し濃い色合いのグレーが出てきた。
「どっちがいい?」と聞くと、息子は「こっち」と濃いグレーの方を選んだ。
うん、私もそっちがいいと思う。
「ありがとね」と言われ、
「クリスマス・プレゼントだって言っておいて」と答える。

巻いたショール入りの細長い箱が入った軽い、しかし邪魔になる紙袋をぶら下げたまま、にっぽり館に開演10分前に着いた。
一番前のド真ん前の席が2つ空いていたので、そこに並んで陣取る。
平日なのに珍しいほぼ満席で、トークの中でも2人とも驚いていた。
「コロナがおさまってきたんだなーって実感しますよ」って。
たけ平さんと萬橘さんの掛け合いから始まる演芸会は面白かったが、初めてネタの使いまわしを見てしまった。
こないだ友達と見た時とおんなじトークなんだもん。
そういうこともあるのかー。演芸は油断ならない。

次のお仕事が入ってるらしいたけ平さんはそのことをしきりに萬橘さんにからかわれて、「タイムのことを言うなよ!あっ、符丁使っちゃった」と言っていたので「持ち時間」、特に押してる時の時間のことを言うんだろうなーと思う。
そんな中でもちゃんと枕から入った「お血脈」。
満場の拍手を浴びて舞台の袖に入ったあとは、次のお仕事先に急ぐんだろう。
がんばれ、たけ平さん。

続く萬橘さんは「五人廻し」。
滑舌が良くて、上手い。
5人のお客を見事に演じ分けていた。
息子言うところの「三島由紀夫みたいな人」って、軍人みたいなしゃべり方と内容だった人のことだろうが、乱れのない早口で漢語を並べ立てられて少々噛んだところがあってもわからないぐらいだし、正直全部は脳内で漢字に変換できない。
お見事な芸だった。

落語の帰りに買ってきた穴子寿司の折詰をひとつずつ食べる。
「ひとつで2500円もするの!」とたまげる息子に、
「そうだよ。しかも8つしか入ってないんだよ」と言った時は本当に驚かれたが、食べてみて納得したらしい。
「こんなおいしい穴子のお寿司は初めて」とぱくぱく食べていた。
美味しいだろう。友人のみんなもこれを食べにわざわざ千駄木に来るんだぞ、と妙に威張った気持ちになる。

我が家における息子のバイトの主な仕事は私の話し相手と映画鑑賞につきあうことなので、まずは最近の愚痴をいろいろ話す。
せいうちくんの実家の家族信託が大変だとか、私が姉ともめているとか。
そのあとはなんとなく観たかった「レインマン」を。
すさんでないきょうだいの絆を味わいたかったのかもしれない。

ダスティン・ホフマンとトム・クルーズがだんだん距離を縮めていくのを見ていたら、本当に情けなくなった。
どうして私にはきょうだいの情がわからないんだろう。
母親が分断支配をしていたからだってのはよくわかってるんだけど、もう大人なんだからそれぞれにもうちょっと話し合いができたらいいのに。
息子に聞いてみる。
「あなたはこのきょうだいのように障害を越えて娘ちゃんと『コネクト』してるよね」
「うん」
「母さんや父さんは、話し合いができるきょうだいを持ちながら、なんでうまくいかないんだろう」
「わかり合おうとしてないからじゃないの?」
「お互いに、ってこと?」
「うん」
「そうか…」
「もちろん、うまくいかないものはいかないから、無理する必要はないけど、理由を聞かれたらオレはそうとしか言えない」

うーん、確かに私も頑なすぎるのかもしれない。
しかし、姉とは「うまくいってない」ってことをお互いに認めるところからまず始めたいんだよね。
一方的に、また上から「うさちゃんは可愛い妹だから」「うさちゃんの幸せが一番」って言われても、私の幸せになるはずだったいろんなもの、自尊心や自己肯定力を、母親と姉が奪ってしまったとはまったく思わず、「うさちゃんは病気だからそんな風に思うのね」的なことを言われるのがひどくつらい。

ただ、こないだ出した2千万の話、息子に話したら「ふーん」で、
「あなたの将来のために使えるかとも思うんだけど」に対しては、「いらんわい」のひと言で返された。
息子に顔向けできないようなことだけはしたくない。
2千万くれる、という話になってそれで私の気持ちは本当に収まるのか、その瞬間から姉を好きになるのか、と聞かれたらそれは難しい。
たぶん出さない方向で来るだろうが、万一「うさちゃんのためだから、あげる」と言われたらお金は断って姉の気持ちだけを評価しよう。
そしてそこから新しい関係を作るよう努力してみよう。

息子とはそのあとダスティン・ホフマンつながりで彼が観たいという「クレイマー、クレイマー」を観た。
前に観たことあるけど、急にもう1回観たくなったそうな。

途中でせいうちくんが仕事の飲み会から帰ってきた。
「何観てんの?」
「『クレイマー、クレイマー』」
「それはまた古いものを。80年代の初めじゃない?」と言いながら、仕事の続きをしながらチラチラ観てるせいうちくん。
つくづくあなたはえらかったよ。
ダスティン・ホフマンの10倍ぐらい頑張った。
子育ても家事も一手に引き受け、仕事もして、しまいには会社員として先がどうなるかわからない1年間の介護休暇まで取得した。
あなたのおかげで今の我々家族があるんだよ。
本当にありがとう。

せいうちくんにとって今、大事な話は、息子の年金不払い。
「父さんも払わなくてもいいよって思ってたけど、実はこれを払ってないと障碍者年金が受け取れない。娘ちゃんも成人になってからずっともらってるやつ。人生の途中で何があって障碍者になるかわからない。事故に合うかもしれないし、重い病気の結果働けなくなるかもしれない。その時にまったく収入がないのは怖すぎる。将来年金がもらえるかどうかは置いておいて、そのためだけにも年金は払っておいてもらいたい。どうしても無理なら滞納分は父さんたちが出してもいいから、少なくとも猶予願いとか免除願いが出せないか、役所と交渉してほしい」
息子も「わかった」とうなずいて書類をディパックに入れていた。

そんな話をしてるうちにもう寝る時間になった。
息子も明日は朝から「カクヤス」のバイトがあるそうで、おまけに昨日まで4日間公演だった。
くたくただろう。
フランスベッド製のソファベッド、こないだは背もたれまで全部平たくしたのが不評だったので、今夜は足側のひじ掛けだけ平らにして寝てみて。
おやすみー。

21年11月30日

息子を朝7時に起こすと、例の「あと10分」が出てごねていたが、最近やっと我々も学習した。
とにかくごはんを作ってしまえば、息子は起きるのだ。
論より証拠、冷凍うなぎを解凍してサトウのごはんに乗せて「うな丼」を作り、「ごはんできたよー」と声をかけた途端、もそもそと起きてきた。
これからもこの手で行こう。
しかしいつもはどうしてんのかね。カノジョがこの苦労をしてるなら気の毒だ。

食べながら残りの「クレイマー、クレイマー」を観てしまい、
「ここで元妻と元サヤにならないところが新しい」
「そもそも母が子供を渡す、ってとこが単なる『母恋しモノ』でなくなってて話題になったんだろうねー」などと勝手な感想を述べあう。

昨日買ったショールの袋にバームクーヘンを4つと野菜ジュースを2本入れてやり、ぎゅっとハグし合って息子とお別れ。
せいうちくんはつつましく握手しただけ。遠慮せずハグしてもらえばいいのに。
「元気でね。12月中にまたバイトに来てね」
「それとは別に、お正月においでね」と両親して声を掛け掛け、玄関から送り出す。
「行ってきまーす。元気でね!」とニコニコ出かけて行ったよ。

2人ともすごく寂しくなって、ベッドにもぐりこんでぎゅうっと互いにしがみつく。
「息子が元気に自分の生活をしてるんだから、喜ばなくっちゃ」と気丈にせいうちくん。
彼が帰った直後は私の方が打たれ弱いなぁ。
まあ、せいうちくんは今日これから実家の家族信託の大きなヤマを迎えるから、めそめそしてばかりもいられないよなぁ。

せいうちくんが出かけ、このまま寝てしまいたいような疲れに襲われてるが、私も11時には歯医者に行かねばならない。
こないだ抗生物質を入れて治療し、そのあとも3日間薬をのんで治るかに見えた歯肉の炎症が、週末以来いささかも収まっていないのだ。
もう1度レントゲンを撮るか何かして、診察してもらわなければ不安だし痛くて我慢できない。

予約制なのですぐに診てもらえ、どうやら炎症がまだ収まっていないらしい。
プローブでつついた歯医者さんは、
「場所は特定できてるからもうレントゲンを撮る必要はないです。幸い膿は出てないけど、炎症が治りきってませんね。もう1回注射して、お薬のんでもらいます」って。
注射で直接抗生物質入れたせいか、少し痛みが治まった気はする。
後は薬が頼りだ。
歯磨きを念入りにして、と思っていたらせいうちくんから、
「それよりとにかく休んで。キミは自分が思ってるより身体が弱いんだよ。まったく体感の鈍い人は困るなぁ…」とぼやかれた。
ご心配かけます。すみません。

ところで家族信託はお父さんを公証役場に連れて行って、公証役人に「家族信託」を認めてもらうところまでついに終わったそうだ。
せいうちくん、よくやった!
彼曰く、「ありがたいことに『ゆるゆるの』公証役人だった!」んだって。
厳しい人なら「ん?んんんん~?」となるような状態の認知症要介護2のお父さんではあったが、なんとか通ったって。

あとから聞いて面白かったのは、お父さんがしきりに「せいうちが長期の海外出張に行ったりすると、動きが取れないねぇ」と心配していたらしいこと。
お父さん自身、会社員時代にシンガポールに赴任していたそうだし、長期の海外出張があったのかもしれない。
せいうちくんの部署、仕事の仕方ではこれまで最長で3日、しかもとなりの国までしか行ったことがないというのに、不思議な心配をするものだ。
やっぱり人は、自分が長くやったことが最後まで記憶の底の底に焼き付いてるのかしらん。
サラリーマンという病はなかなか深いのだ、と感じ入った次第だ。

ちなみに息子に言わせると、
「おじいちゃんは生涯ガマンした結果エロが噴出しているけど、お父さんは怒りを表現するのがヘタだから、もし認知症になって頸木が取れたら、最初に出てくるのはものすごい怒りかもしれない。怒りっぽい認知症のお父さんか…あんまり想像したくないな」だそうである。
私も同感。

21年12月1日

前回からほぼ1週間、姉と再び話し合う日が来た。
いちおう母の遺産から2千万円、と言ってはみたものの、何の根拠もない「いくらぐらいなら出す気あるの?」というたたき台、基準値のつもりだった。
しかし、本当の問題はお金ではなく、私が家庭で迫害されてきたという訴えだ。
「妹だから可愛い」「うさちゃんの幸せが一番」と言う姉のたぬこさんがどう答えるのか。

結論として、具体的に知りたかった遺産の総額はまったく答えてもらえなかった。
「私も、あのお母さんを最期まで面倒みるのは大変だった」とか
「お金をけっこうスってしまったのよ」といった言い訳ばかり。
特に、投資に失敗したのか当時やっていたマルチまがいの商売がうまくいかなかったのか、「スってしまった」件については、
「でもそのおかげで今のパートナーのMくんと出会えたの。お金があったらうまくいってなかったと思う。幸せはお金じゃないと思ったわ」と言ってはばからない。

「お金が幸せの妨げになるなら、仏道に入ったつもりになって残ってる分を私に喜捨したら?」
「あら、そういうわけにはいかないわよ。生活して行かなくちゃいけないもの。それでもね、うさちゃんがそうしないと気がすまないって言うなら、100万円ならあげられるかな、って思ったの」
すでにお金をもらう気はなくなっていたが、それはまたずいぶん小さくなっちゃったもんだね。
私が取り戻したいのは一種の公平性なので、あまりにかけはなれていては意味がない。
たぬこさんが「2千万渡すわ」と言ったらその心意気を買って、お金はもらわずに仲直りの道を探る端緒としたかったのだが。

そもそも驚くのは、私が母から耳にタコができるぐらい聞かされた「遺産はおねえちゃんがちゃんとしてくれる。半分こにしてくれるわよ」という台詞を、向こうは1度も聞いたことがないって点だ。
母が両方にいい顔をしようと別々のことを吹き込んでいたのだろうが、たぬこさん側には「うさちゃんにはこの程度でいい。あとはあなたと一人息子にあげるわ」と言っていたらしい。
亡くなって8年、まだもめ事を起こし、姉妹の仲を裂こうというのか。
本当に毒親だ。

たぬこさんの人間性についても、私が最初に彼女を信用できないひどい人だと思ったのは小学校に上がる前の5歳ぐらいの時だ。
私の誕生日に近所のおばちゃんがお人形の洋服を作ってくれると言ったので、喜んで午後、出かけて行ったら、
「あら、午前中にたぬこちゃんが来て、このお人形に服を作ってって言ったのよ。あれがうさちゃんの人形じゃなかったの?あまり布全部使っちゃったから、もうお洋服は作れないの。ごめんね」と言われた。

私の人形は古かったがたぬこさんのより大きかったので、洋服の使いまわしはできない。
帰ってたぬこさんを「なんでそんなことしたの?!」と詰問すると、悪かったとは微塵も思っていない顔で、
「だって2人の人形だもの、一緒に遊べばいいじゃない」。
あなたの人形はスカーレットちゃん(当時リカちゃんの次に流行ってたやつ)で、商品としての服もたくさん売ってるじゃないか!
2人のじゃなくてあなたのだし。
私のは既製服がないから作ってもらおうと思ったんだよ!

そのうえたぬこさんは、私の人形は服もないし、みすぼらしいからお姫様に仕える女中ってことにしよう、と言って、母に頼んでたった1枚残っていた着替えのドレスをウェストのところで切って肩ひもつけてもらって、スカーレットちゃんのムームードレスにしてしまった。
ハイヒールの靴も、「生意気」と窓の外に投げ捨ててしまった。
私の人形は裸足の着た切り雀になり、本当に女中のようだった。

その恨みを語ったところ、たぬこさんはびっくりしたように、
「全然知らないわ。あなたの記憶違いじゃない?そんなこと、した覚えない」と言っていた。
人によって記憶は違うものだが、せめて、
「そんなことしたの。それは私が悪かったわね」と言ってほしかった。

その他いくつか私がたぬこさんからされて忘れられないイヤな思い出を話してみたが、彼女は何一つ覚えておらず、また謝る気持ちもないようだった。
「じゃあ、たぬこさんが私についていやだったこととか嫌いになるような出来事があったら教えてよ」と聞いてはみたが、何も覚えていないようだった。
「そんなこと、いちいち覚えてないでしょ」というのが彼女の言い分だった。
彼女は彼女で、作り物の「しっかりした長女」という人格を作る過程でさまざまなことを忘れてきたのだろう。
「うさちゃんと車の後ろに乗って歌を歌っていた、楽しい思い出しかない」のだそうだ。
積年の恨みも語ったことだし、もうこの人とはいいや、と思った。
「うさちゃんはねぇ、難しい人だったわ。うさちゃんが自殺未遂とかすると、お母さんが取り乱しちゃう。私はそれをなだめ、世話をするのが精いっぱいだった」と言われればそうか、そうだったか、悪かったな、と思ってしまう。
勝負を続けたら私は絶対押し負ける。
ここまでだけでもたぬこさんの「博愛と無私の精神世界」に巻き込まれそうで、立っているのがやっとという有様だったので。

たぬこ「うさちゃんにはせいうちちゃんがついてるから、安心してるの。私はあなた方は2人でひとつだと思ってるから」
うさこ「たぬこさんにもMくんってパートナーがいるじゃない」
た「私たちはそれぞれ一人の人間同士として自立してるもの」
う「それって聞きようによっては悪口なんだけど。いつも上から目線だね」
た「あら、そんなつもりはないのよ」
う「お互いに考え方が違う。わかりあえたら、と思ったけど無理みたい。これまでみたいに私はたぬこさんのこと忘れて暮らすから、そちらもそうして」
た「そんなこと言ったって、可愛い妹だもの、幸せを願ってるわよ、いつも」
う「それを人に言うの、やめて。『遺産のもめごとで絶縁した、欲深い妹』だと思って、そう言って」
た「思ってないもの、言えないわ」
う「でも私はそんな人間だよ。違う私を好きだと言い、心配し、上からモノを言われるのはガマンならない」
た「うさちゃんがそれで幸せになるなら、そう思うことにするわ」
う「私が望むから、じゃなくてたぬこさんの本心からそう思ってもらえたら一番よかったんだけど、人の心はどうしようもないから、こちらも気にしないでおくよ。世界平和を望むのと同じ程度にはたぬこさんの幸せと健康も祈ってる。何かあった時のためにLINEは開いておくけど、もう連絡しないと思うから」
た「わかったわ」
う「じゃあ、さよなら」
た「さよなら」

せいうちくんは横で、
「キミが僕が実家と話すのを聴いてやきもきし、『言い返せ―!』とか思う気持ちがよーくわかったよ。第三者として見ると、全然違うものが見えるんだね」とため息をついていた。
「だって恐ろしいんだもの。大蛇に少しずつ呑まれてるみたいだったよ」
「こっちから見てるとただただ自分のことしか考えてない人にキミがどんどん譲っていくようにしか見えないんだけどね。まあいいや、他山の石として、自分の時も大いに気をつけるよ」
これでこの件はおしまいだ。

と言いつつ、伝えきれないことがあった気がして、姉に最後のLINEを打った。

「たぬこさん。
「もう連絡しない」とこちらから言ったのにまた突然でごめんなさい。言い足りないことが多すぎて、何とか伝えておきたいと思います。

たぬこさんは「うさちゃんはお母さんに子供として愛されて、うらやましかった」と言いました。私は、たぬこさんが一方的に得をしているなどとは思っていません。あのお母さんに縛られて頼られて生きてきたのは、確かに自分の人生を生きたとは思えなかったでしょう。でも、私は私で、彼女の子供であるがゆえに思いのままに扱われ、存在を否定され、自尊心を保つことが難しい状態で生きてきました。たぶん私たちはお互いがうらやましいけど、実際立場を交換したとしたらずいぶんと辟易したことでしょう。

お母さん亡き今、私はそんなたぬこさんと、子供同士、姉妹同士の関係を取り戻したかった。互いに、「ひどい目に合ったね」と慰め合いたかった。ただ、そこで大きく妨げになるのがお母さんのかけた「遺産」という呪いです。たぶんたぬこさんには『およそ全部たぬこにあげる』と言い、私には『おねえちゃんは素晴らしい人なので、おねえちゃんにまかせてあるから必ずしっかり半分こにしてくれるよ』と言い続けたのでしょう。私はそれでお母さんへの感謝の前払いと共に、たぬこさんへの尊敬の念を請求され、それを払い続けてきました。

なので、たぬこさんと私が話を始めるには、まず、その呪いがかけられていたことを2人が同じ目線で共有すること、共通理解をすることだと思いました。たぬこさんには、資産の総額を明らかにしたうえで、『私はずっと、およそ全部たぬこにあげると言われてきたし、お金は必要だから、うさちゃんの要求通りにはあげられない』とはっきり言ってもらうか、『うさちゃんがかけられた呪いを解くために、うさちゃんの聞かされてきた話に近づけるように、2千万あげる』か、どちらかをはっきり言ってほしかったです。
でも『無理よね』とか、『お金はスってしまった』とか、あさっての話でごまかされたように感じています。

この話を『うさちゃんは具合が悪いから』ということで片づけられるのはいやです。私たちの間にあるわだかまりの原因は私の病気ではありません。私の病気はお母さんが作った『親子・姉妹のわだかまり』が原因で、私の病気がわだかまりの原因ではありません。

たぬこさんには、せめて『遺産でもめたのでわかりあえない』と思ってほしいというのが私のお願いです(でした)。そうであれば、たぬこさんが『私たちがわかりあえないという状態で』あることだけは理解してもらえた、と思えるからです。それも今日の話で無理そうだと思いました。

そちらとこちらの息子同士が再び大人として巡り合えるといいなと心から思っています。うちの息子は人を大切にすること、他人に敬意を払うことを十分身につけていますので、安心しています。

お返事はいりません。どうぞお元気で」

21年12月2日

先月、「24時間ホルター心電図」という検査を受けた。
胸に心電図を取る機械というかパッチのようなものを貼りつけて丸1日過ごすのだ。
その間、食事や歩行、運動(階段昇降、早歩き等)、トイレ、睡眠などを別表に記録しておく。
翌日また病院に行って装置を取ってもらい、向こうではそれで測った心電図と生活表を突き合わせてどんな時にどんな波形が出るかを観察する。
今日はその説明を受けるので、開院前の8時15分にドクターと会うはずだった。

ところが、うっかり目覚ましをかけ忘れ、仕事で起きていたせいうちくんもそのことを忘れていたため、目が覚めたら8時40分。
「そう言えば、キミ、病院じゃなかったっけ?」と言われてサーッと青ざめる。
「40秒で支度しな!」と怖いおばあさんに脅されたみたいに飛び上がって、大急ぎで身支度。
40秒は無理でも2分ぐらいだったと思う。
それでも大遅刻だ。

家の向かいの病院に小走りに行ってみるともう患者さんたちが入っている。
いちおう窓口でその旨告げて、30分ほど待ってドクターに会うことができた。
「朝の時間を取って20分ほどご説明しようと思ってたんですが、他の患者さんも待ってらっしゃいますので、ちょっと手短にお話します」と前置きし、説明してくれた。

睡眠時に大きく拍動が下がるとか波形が乱れるということはないが、やはり軽く運動して動悸が起きた時の波形は良くないらしい。
「狭心症」を起こすリスクのある波形が出ているとも言われた。
生活全般、注意が必要とのことだった。

だからって特別なことは何も考えていないが、せいうちくんの言うようにゆっくり休むようにしよう。
歳も歳だし、のんびりと。
ただなぁ、せっかちで動きが早く、行動に無理が多いのだ。
3年前には毎週カラオケパーティーをしすぎてしまいに血尿が出たからなぁ。

1月末にはもう引っ越す、と言ったら、来月は心電図やレントゲン、心エコー等のデータをひと通り取って、次に行くつもりの病院宛に紹介状を書いてくれるそうだ。
その時はもう新年か。
早いもんだ。

皮膚科や眼科のように、2か月に1回行っていたところはもう最後の診療になったりしている。
皮膚科は手術痕のケロイドを治すために貼っているテープと薬が書いてある「おくすり手帳」があれば事足りるが、眼科は医師が真面目なので張り切って紹介状を書く構えだ。
それだけ受け取りに、来年もう1度行く。
彼は「緑内障」と前の病院で言われていたのを単なる「高眼圧症」であると診断しているので、責任重大なのだ。
「ちゃんと、前の病院からは緑内障と紹介状をもらってると書きますからね」
本当に生真面目だよ。

整体院でもバームクーヘン屋さんでも「1年はあっという間ですね。じきにお別れですね」といわれてしまう最近、千駄木去りがたし。
でも、やっぱり西東京が我々を呼んでいる。
ここでの1年は人生のとても変わった体験、代えがたい思い出になるだろう。

21年12月3日

3台あるビデオデッキの中で一番古いやつが壊れ始めてる。
こちらの思い通りに、また今までしてきてくれた通りにはやってくれなくなったのだ。
途中で停まっちゃう。

しょうがないから新しいデッキを買った。
テレビも4Kにしたから、当然ここは4K対応のデッキであろう。

テレビが大きいからなのか、デッキとテレビ両方の性能がいいせいか、やはり4Kは偉大なのか、かつてない画質で映画や録画を楽しめるようになった。
これまで面倒だったBRの扱いも楽になり、今後買う円盤は全部BRにしようかと思うぐらいだ。

さて、4台目が来た以上、3台目は捨てるか、少なくとも捨ててもかまわない状態にしないといけない。
外付けHDDなんて上等なもんがつく仕様ではないので、とにかく円盤に焼く。
しかし、このために買った「書き込んで消して何度でも使える」円盤も調子が悪い。
3番組ぐらいしかダビングできなくなったのだ。

気が短いのでもうこいつを使うのはやめて、生BRディスクを捨てる覚悟でじゃんじゃん録画移動用に使う。
3枚ぐらい消費して、何とか旧型デッキの中身で必要なものは第2号に移した。
あとはこれを第2号とつなげている3台の外付けHDDのどこかにダビングしてしまえばいい。

HDDそれぞれの中身がわからないとたいそう不便なので、今、エクセルを使ったリストを作っている。
合わせて10テラ分ぐらいの中身のリストだ。
因果なことを始めてしまった、と思いながら気が向くと少しずつ作業している。
こういうのも一種のコンプ癖なんだろうなぁ。


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