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年中休業うつらうつら日記(2024年7月20日~7月26日)

24年7月20日

1年どころか1週間でカナダでのワーホリから帰って来てしまった息子は、イベントスペースを一緒に運営してきた仲間や応援してくれた人たち、そしてもちろん彼自身が主宰するインプロコントグループに平謝りに謝らねばならなかった。
今日、インプロ団体が複数集まって行うライブには、本来カナダにいるはずだった息子は出られず、彼抜きのグループで出る予定になっていた。
我々も、日頃息子がリードしがちなグループがどんなインプロコントを見せるのか楽しみにして、予約を入れていたのだ。

息子が帰ってきてうちに居候している間に、
「週末のライブ、どうする?出られないけど、観には行く?」と聞いたところ、
「もちろん行かないよ。顔出せるわけないでしょう」と言っていたのだが、当日朝、昼の部を観るつもりで準備していた我々の横を息子がぴゅーっと玄関へと走っていくではないか。
「どこ行くの?」
「ライブだよ!」
「観に行くことにしたの?」
「グループのFくんが病欠なんで、代役に出ることになった!」
それ以上の説明はなく疾風のように家を出て行った息子に、我々は顔を見合わせた。

「…何と言うか、変わらず強運の持ち主だね」
「体調不良で出られないってことは、Fくんきっとコロナ陽性になっちゃったんだね。他の不具合なら少々無理しても出るだろうから」
「息子抜きのインプロコントも楽しみだったけど、また舞台の上の彼を観られるのは嬉しいね」
そんなことをぽつぽつ話しながら暑い暑い日盛りの下、のんびり会場へ向かった。

本日の昼の部は3グループが出るらしい。
インプロやってる人がこんなにいるのか、と驚いた。
息子がNYで掘り出してきたわけではなく、すでに日本に浸透し始めていたわけだ。
最初のグループは5人編成で、わりと基礎トレーニングみたいなものを見せてくれた。
最後のグループはかなり演劇寄りで、普段は1時間の長いインプロをやるそうだ。
(今日は持ち時間の関係で30分だけ)
そして真ん中に登場した息子のグループだけが「コント」を意識したインプロだった。

5人のメンバーが横一列に並んで自己紹介をする時、息子は「僕は本来、今、この国にはいてはいけない存在です」などと謎めいたことを言うものだから、かなりアウェーなこの空間ではお客さんたちが不思議に思ったに違いない。
妙に意味深なことを言わなければいいのに。

その思いがたまっていたせいか、「お客さんにインタビューをして、その内容から即興でコントを作ります」と今夜の司会を務めるSくんが「最近、腹が立ったこと、嬉しかったこと、心に残ったことなど、なんでもいいからエピソードをください」とリクエストした時、しばらく何の動きもないのにも業を煮やして、ついつい手を挙げてしまった。
「あ、林賢くんのお母さんだ」
「お母さんをサクラに仕込んでおくとは」とメンバーが笑いを取る間にも、Sくんが「で、どのようなことがあったのでしょうか?」とインタビューを始める。

「ワーホリで1年間カナダに行くって出かけた息子が、物価が高くてお金がなくなったとか職がなかなか見つかりそうにないとか言って、飛行機代が残っているうちにと1週間で帰って来てしまいました。18日間北海道を旅行していた両親より後に出かけ、我々が帰ってくるより早く帰国したんです。そしてそのまま家に居ついています。最初こそしおらしくしていたものの、だんだん実家にいる安心感から非常に腹の立つ存在になってきています。牛乳を飲んだグラスを洗わないとか(なぜかここでお客さんの大爆笑)、カレーがあるのに蕎麦が食べたいとか、広いリビングの片隅に寝ているのにエアコンでリビング全体を冷やして寝てるので電気代がかかってしょうがありません。そしてあろうことか、今朝は窓開けっぱなし、エアコンつけっぱなし、廊下へ続く扉も開けっぱなし、布団はベランダに干す約束なのに敷きっぱなしで出かけたことが判明しました!」(途中で息子の「お母さん、もうやめて」の泣きが入ったが、無視)
「カナダはインプロコントの発祥の地なので、そこでインプロの神髄をつかんでくる、と大口たたいて現在こういう有り様の人を、どうしたらいいでしょうか!??」と結ぶと、爆笑し続けていたメンバーたちが口々に、
「その、どこかの誰かは非常に迷惑な人ですね。では、そんな怒りを題材にコントを1本やらせていただきます!」と言ってくれた。

当然のように息子がまず出て、妻に、
「奥さん、ついに空港まで来たね!1年間のワーホリ、頑張ろうね。僕はコントを頑張るし、奥さんは英語を磨いて日本に帰ったら子供たちの英語教育に携わろうね!」と話しかける演技。
しかし、しきりとウェストポーチやポケットを探っているが、何かが見つからない様子。
ついには「まもなく離陸します。乗客の方は急いで搭乗してください」とアナウンスしにきた空港職員をつかまえて、
「あのー、パスポートって、なくても飛行機に乗れますか?」とすがりつく。
「いや、飛行機には乗れても、あちらで送り返されちゃいますよ。どうしたんですか?パスポート失くされたんですか?空港の外でじゃないんですか?」
「空港までは確かにあったんです!乗せてください!」
「それは無理ですよ」
「去年、1年間カナダにワーホリに行くって言って、お金が足りなくて1週間で帰ってきちゃったんです。今回は、そのリベンジなんです!ここでカナダに行けないと、僕はどうしていいかわからないんです!」
「えー、困ったな。とりあえず、あなたの身分を証明できるものは持っていますか?」

そこで彼の両親役が2人登場し、「確かに私たちの息子です。自慢の、立派な息子です!」と熱弁を振るったので、貨物室で運ばれることになり、寒さと揺れに耐えた彼は、ついに憧れのカナダの土地を踏んで「カナダに来た!とにかく、来た」と叫んだところでおしまい。
Sくんが締めに語った通り、「このように事実は時にコントより面白かったりします」であった。
コントではなく事実が相当ウケてしまったと思われる。
これで一般のお客さんにも顛末のお披露目が済んだわけで、私も少しは溜飲が下がったので双方めでたしである。

帰り道で息子に「ごめんね、いろいろバラしちゃって」とメッセージを打ったら、「いえいえ、ありがとう」と返事が来た。
そのうえ、来週の水曜から上高地の山小屋で10月末まで働く話が決まったという。
よかった!7月いっぱいで出て行ってくれなかったらどうしようかと心療内科の薬を過剰服用しながら悩んでいたが、とりあえず解決だ!
妻のMちゃんが尾瀬でやっているのと同じような仕事で、喜んでくれてるらしい。
2人の仕事が途切れる10月末に何が起こるかわからないが、とりあえずこれでまたせいうちくんと2人の甘い生活を取り戻せる!

その晩、帰ってきた息子はちっとも怒ってはいなかった。
ただ、「MくんとYくんはあいかわらず前に出ることが少ないね」と言ったら、
「あなたがああいうお題を振るから、僕が出ざるを得なかったんじゃないの!」とは言っていたが。
別に、他のメンバーが息子の役をやっても全然かまわなかったと思うが、彼らもまだまだ修行が足りないねぇ。

息子の勤める山小屋は何らかの交通機関まで徒歩2時間とのこと。
妻Mちゃんが行っている尾瀬の山小屋は3時間で、食料や物資は「歩荷さん」が担いでくるという。
3時間対2時間で、Mちゃんの勝ち。

さすがにいろんな手続きが素早くなった息子。
Mちゃんの薫陶もあろうが、現実が彼を鍛えてくれているのであろう。
結婚3年目の若夫婦が3か月も離れて出稼ぎに行くのは心配だが、いつも一緒にいないと気が済まない我々夫婦とはまた違う夫婦観があるのだろう。

寝る前に息子に、「あなたもそろそろ気づいてるだろうけど、父さんはすごーく立派な人なんだよ」と言って聞かせる。
「どう立派なの?」
「長い間、真面目に誠実に働いて、病気の私に代わって家事を何もかもやってくれて、障害児の娘ちゃんが生まれた時は1年間介護休暇を取って生まれたてのあなたの面倒まで見て、今でも家族を一番に考えて動いてくれる。こんな立派な男性はなかなかいないよ」
「ふーん、だったらもうちょっと怒らないであげたら?」
言葉に詰まるようなことを言うなぁ、この30男は。
「父さんはぼんやりだから、母さんが気づいたことをびしびしと指摘してあげるとありがたいって言ってるよ」
「本心だったらいいけどね」
さらにぐっと詰まる。なんてイヤなことを言うヤツだ!

そのあとせいうちくんが寝室に息子を呼びつけて、
「お父さんとお母さんは本当のことしか言い合わないし、隠し事はしないよ。お父さんはお母さんが言ってくれることを本当にありがたく思っている。『本心だったらいいけどね』なんて嫌味で返すのは失礼だよ」
「いや、2人がいいならそれでいいんだけどさ」
「それに、お父さんもたまにイラっとする時はちゃんとイラっとしてるから」
「それはよかった!」
「でも、そんな時にお母さんはお父さんの『イラッ』を放り出したり無視したりしないで、きちんと話し合ってくれる。穏やかに、冷静に。キミが思ってるよりお母さんはずっとガマン強い人なんだよ」
「はい、勉強になりました」
絶対に途中から聞いてないと思うが(いや、100%聞いてないかも)涼しい顔で両親の寝室を後にした彼であった。
どのくらい理解して去って行ったのかはわからないが、いろんな夫婦の形があり、基本は互いに誠実であることだとわかってくれるといいんだが。
私たちが彼ら夫婦に望むのは、食べるに困らないこととお互いを大切に思い続けることだけだ。
10月末までの束の間の自由を存分に味わおう。
「今夜、息子は何時に帰って来て何を食べたがるだろうか」と悩む日々とはしばらくおさらばだ。

24年7月21日

今日も息子はライブに出演しに行った。
昼と夜の部に出るから遅くなるとのこと。
炒飯とかカレーとかいろいろ作ってあるから何とでもするだろう。

私は寝たのが朝の5時だったが、起きたのは8時半だった。
やはり睡眠薬各種は3、4時間ほどしか効かないらしい。
前は6時間とかもうちょっと長く眠れていたので、現状いろいろなストレスがあるんだと自戒する。
家計簿をもう4か月もつけてなくて、当然「18日間車中泊の旅」の費用も計算してない。
マメで手の早いGくんがガソリン代など必要な額はPayPay使って清算してくれているのがせめてもの救いだ。

息子を送り出して、せいうちくんが買い物に行っている間に薬をのんで気絶していた。
彼が帰ってきてしばらくして正気に返ったので、一緒にテレビを観る。
こないだ笠智衆が出てくるドラマを観たせいか、すごく笠智衆が観たくなり、アマプラで「東京物語」を観た。
杉山春子はどんな役でも意地悪そうだし、原節子の笑顔はわざとらしい、というところで意見が一致した。

今日は何時に帰ってくるのかなぁ、息子。
こんなことを、水曜以降はもう考えなくていいんだ。
それがちょっと寂しいことだとせいうちくんとは合意している。
「日本中を回ってインプロコントの種を蒔きたい」という息子の夢は途方もないものだろうか。
少なくとも昨日のライブで、他団体の「55歳だがインプロ活動を続けている」おっさんを見たので、なんとかなるのかもしれない、とも思う。
誰も突拍子もないことを考えなくなったら、世の中はずいぶんつまらなくなると思う。
しかし、それが自分の家庭で起こるとはまた別問題だ。
息子が何を考えてるのか時々わからなくなるが、きっとそういう時は彼自身あんまりわかってないのだろう。

今日は夜の部まで出演し、そのあと話したい人がたくさんいるから、帰りは終電過ぎに徒歩で帰るという。
高円寺からかい。
歩けない距離ではないが、2、3時間はかかるだろう。
放っといて寝ようとし、私はいつものようにマンガ読んでたら、2時半ごろメッセージが来た。
「遅くなって危ないから、知人の家に泊めてもらいます。明日の昼過ぎに安全に帰ります」

なんで自分が頭に来るのか、よくわからない。
最初に言った話変わってしまってるからだけかもしれない
しかし私はとにかく突然の変更が無理と言っていいぐらいだ。
なので、もちろん息子が夜中に朝帰りの連絡を入れてくるとすごいストレス。

「知らせてくるだけマシじゃないか」という反応はいったんまとめて横に置き、なんなら全部忘れ去ってもいいぐらい、こういう時は激しくHPを削られる気がする。
今夜ほど、「あと3日のガマン」とつぶやいてガマンにガマンを重ねたことはかつてないぐらいだ。
彼と長くは一緒には暮らせない。
それを思い知った晩だった。
早く山小屋に行ってくれるといいんだが。
ああ、また6時になってしまった。
出社するせいうちくんが目覚ましで起きてきて、ぱっちりと目を開いて横たわってる私を見てびっくりしていたよ。

24年7月22日

というわけでせいうちくんは出社。
私はそれから寝たが、9時頃目を覚ましたら息子がリビングの隅のコーナーに寝ていて驚いた。
起きてから聞いたら8時頃に帰って来たらしい。
当然その日は1日使い物にならず、ごろごろと寝ていた。
今日はそれでも免許の書き換えに行くと言って出かけたのでマシな方だ。
夜はちらし寿司を作ってあさって出稼ぎに行く息子を激励する。

Xに息子が自身のカナダ行き失敗を語った動画を上げていたので観ていたら、横にいる本人が不機嫌そうに「後で観たら?」と言うのでとりあえずやめた。
だが、日本語がおかしい。
映像の中の息子は「ある男の、『贖罪』について語りたいと思います。『つぐない』と書きますね」は違う。
「贖罪」は「あがなう」ことで、「つぐなう」のとは意味が違う。そもそも字が違うし。(「贖う」は金偏が入っていることから推察されるとおり、通貨や物を持って損害を支払うことのようだ。対して「償う」は人偏のせいか、精神的に慰謝すること。「刑期を終えて罪を償う」と言っても誰も徳はしてない)
あと、「来たる6月29日にライブを開きました」ってなんだ。
過去に収録したのかと思ったが、語っているのは今じゃないかk。
「去る6月29日に」だろう。
その2点を言ったら息子は「はい、ありがとう」と律儀に2回言った。

しかし不服そうな顔は明白なので、
「日本語の間違いにうるさいおばさんはキライなの?」と聞くと、「キライ」。
「意味が通じればいいじゃない。いちいち直す、その言い方が気に食わない」
これは驚いた。
言葉を大事にし、他人に敬意をもって物語を紡ぐ職能の人が、言葉についてこんないい加減な意識でいるとは。
「あなたの使う言葉はあなたの身の丈を超えて難しいんだよ。『ある男が謝る話です』でいいじゃない。中途半端にかじった言葉を使うから、間違えちゃうんだよ。あと、『聞くはいっときの恥、知らぬは一生の恥』だからね、注意されたらなんでも聞いておいた方がいいよ」と言って終わりにした。

あとから、ちらし寿司の飯台の向こう側から手を伸ばしてきて、ぎゅうっと握手して「ごめんね」と言ってきた。ちょっと可愛い。
でも、親子ってこんな風に「あらためて手打ちをする」ものなんだろうか。
自分の原家庭がいろいろと変わった家だったせいか、ノーマルなやり方がわからない。

24年7月23日

今日はせいうちくんが焼肉とカルピクッパを作ってくれた。
明日の朝出発する息子に焼肉弁当を作ってやりたいのだそうだ。

歯磨きペーストを1本持って行っていいか、と聞かれてもちろんいいよと言ったのだが、彼自身GUM持ってるのになぁと不思議に思う。
実家から高そうなものを持ち出すのは別に家庭を持つ若者として当然であり賢明な行為なので、少し成長したかな、とにこやかな気持ち。
出かける時は必ず冷蔵庫からコーヒーを1本持っていくし、前に妻と色違いのおそろいであげた小型ポットを2人とも大事に使ってくれている。
これまた色違いの折り畳みショッピングバッグもそうだ。
それにしても生活臭の漂うものばかりあげてるな、私は。

24年7月24日

そして朝の8時に息子は出て行った。
何度もハグし、「元気でね」と互いに繰り返す。
今日からタバコをやめよう。
残った2箱とライターと携帯用灰皿は息子にあげた。
宿までの2時間歩く途中にでも吸えばいいかもしれない。(路上喫煙禁止か?)

息子が出て行って、せいうちくんと私は嬉しくて仕方ない。
2人で抱き合って転げまわった。
「寂しい!でも嬉しい!さっぱりした!せいせいした!もう、たまにしか帰ってくるな!2週間も居候して夜中にばっかり帰るな!こっちの生活リズムが乱れるんだよ!10月末にまた同じように帰ってきたら、もう家に入れないからな!」と息子がいる間は親心として押さえておいた本音を叫び散らかした。

実際、我々はけっこう息を殺すように暮らしてきたのだ。
カナダの件で挫折し、これからの生活の目途が立たず、ある意味なにをしてもいいんだが、なにかしないと打開できない状況。
大見栄切ってお店とコントグループが彼がいなくても回るように算段してきたつもりの彼としては、何をしていいかわからないだろう。
まして相当大きな額のカンパが集まった「ラストライブ」をやってしまったことだし。

なので、妻のMちゃんはほとんど何のしがらみもなく大好きな尾瀬にまた働きに行けて嬉しいんだが、息子は東京でやるべきことがまだあるんじゃないかと不安らしい。
とりあえず夏の間は2人してお金を稼いで、3か月住み込みで働いたらきっと部屋を借りる資金や生活を始めるベースの貯金ができるだろうから、それを前にして改めて考えるしかないんじゃないだろうか。

息子とは、30歳を超えてもまだ悩ませてくれる面白い存在なんだなぁとあらためて深々とうなずく。
「子供も欲しいし」とはっきり言ったMちゃんと「子供のことなんて考えがまとまらあい」とそっと私に言う息子との間で、数年以内にこの件で激しい心理戦が展開されるかもしれない。
もちろん私はMちゃんの肩を持つよ。
同い年婚はなぁ、結局、男の側が都合のいい夢を追っているお子ちゃまな間に女性側はいろんなことを考えなきゃいけなくなるんだよね、生物だもん。
50歳や60歳過ぎても子供作れるからって、パートナーの女性の貴重な20代30代を無視するな!

24年7月25日

なんだかとても嬉しい!
せいうちくんも私も、かなり息子に気を使って暮らしていたようで、リビングに入る時とかなんとなく様子をうかがってしまうというか、当たりの気配を気にしてしまうのだ。
トイレも、ドアが閉まってると「息子が入ってるのかな?」と気になるし。
(2人で暮らしている時はもう、開けっ放しだからちっとも困らない)
子供時代は気にしなかったけど、一人前(?)の大人と一緒に暮らすのは気疲れするもんだね。
私はもうせいうちくん以外の人とは暮らせない身体になっているのかもしれない。

せいうちくんも嬉しさ全開で、今のとk路寂しく思う余地はないらしい。
「だってさ、もう、明日彼が何時に起きるのかとか、何時に帰って来てごはん食べるのかとか全然気にしなくていいんだよ!完全に僕らのペースで暮らせるんだよ!」
「リビングに入る時、なんとなく足音を忍ばせたりしてね」
「そうそう。つい気にしちゃうんだよねー」と大いに盛り上がってる。
廊下ですれ違うとぎゅっと抱き合って、「こんなこともできちゃう!」である。

Mちゃんが今一緒に働いている人の中に、息子の行く山小屋で働いてたことのある人がおり、ひと言、「あそこは厳しい。お給料はいいんだけど、その分厳しい」なのだそうだ。
一見体育会系で無理の効きそうな息子だが、実は中身は軟弱な、男らしさを母親のおなかの中に置き忘れてきたような男だ。
今のところ我々の最大の恐怖は、「たまらないから逃げてきた」と突然息子が帰ってくることで、もし万が一にもそういう事態になったら、「とにかく家には入れない」という方針で行こう、と互いに確認している。

Mちゃんが帰ってきてさえいれば、なんとか2人に新居を持たせるかさらなる移動計画を立ててもらうとかして息子の実家入りを防げるんだけどなぁ。
本当にグダグダしてる人が横にいるといかに精神衛生に悪いか、よくよく思い知ったよ。

そういえば、健保のお金を3万5千円ぐらい払わなきゃいけないのだが、郵便物は大宮の住所からこちらに転送されてきてるので全部渡しているのに、その督促状については何にも言わない息子。
しびれを切らしてせいうちくんが「健保のお金、払わないと困るでしょ。今、おかねあるの?」と聞いたら、ぺろっと「ないんだよ。これは出してもらうしかないかなぁと」と言う。
「Mちゃんはなんて言ってるの?もう、Mちゃんに相談しないでお金を出すことはしないことにしたから。Mちゃんとよく相談して」と突き放した。

息子は経済観念が甘く、いざとなれば親から「借りる」ことができると心の底では思っており、必死に、死ぬほどの思いで生活費を工面したことがない。
Mちゃんはそんな息子の「親がかり」な態度がイヤなので、「なるべく2人の身の丈でやって行こうね」と日々言っているらしい。
カナダから帰る時も、「いざとなったら帰りのお金は親に借りればいいじゃない」という態度の息子に対し、自分たちのお金でやりくりできないならチケット代が残っているうちに帰った方がいい」と主張したMちゃんのおかげで無事に帰ってこられたのだ。

結局、MちゃんとLINEで相談した結果、今回だけは甘えさせてもらおう」となったらしく、Mちゃんがいいなら私も異存はない。
ただ、息子がこの2週間けっこうグダグダとマンガ読んだり眠り込んだりしてるのをよけて暮らしてきた我々としては、なぜ2、3日でも働きに出て、不足している3万5千円を稼ごうと思わないのかがわからない。
親の教育方針ってのはこういうところに如実に出ちゃうんだな、とあらためて情けなく思っている。
Mちゃん、ごめんね、我々が「ダメンズメーカー」で。

無事に2時間の徒歩も含めて向こうについたようなので、しっかり働いて貯金してくれ。
お金を使う場面もそうはないだろうから、2人の3か月分のお金を合わせたら住処を亭に入れることぐらいはできるんじゃないだろうか。
さらなる放浪の出稼ぎ生活で行くという方針もあるが、夏のハイシーズンが終わると求人がかからなくなるからなぁ。
毎日がハラハラドキドキで、これはこれで楽しいというか、楽しむしかない状況だ。

24年7月26日

せいうちくんの会社はエコ年休で月に2度、金曜がお休みになるらしい。
昔から、時々起こることだ。臨時休業と呼ばれていたころもあった。
せいうちくんが1年間介護休暇を取った時も、職場に戻ったはいいが有給がほぼゼロの状態で困ったんだが、幸いこの臨時休業制度が行われてる時期だったので、ずいぶんお休みができた。

せいうちくんと2人で涼しい部屋でソファに寝っ転がって古いドラマなど観ていると、「これ以上幸せなことはないなぁ」としみじみ思う。
北海道18日車中泊に空の途切れなく続いた息子の滞在に、我々は色々疲れていたのだろう。
今はとにかくのんびりとこの夏をやり過ごす以外何も考えてはいない。

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