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その視点は、本当に望んでいるのか?

有益な知識や情報のインプットは、大きく分けてふたつにできると考えている。ふたつとは、頭で理解することと、感覚で理解すること。

前者=後者ではなく、前者は自分というフィルターを通した部分が少ないので、人に説明できなかったり使えないことがある。後者は体験であるため、伝えたりアレンジがしやすい。

例えると、流行ってる漫画の感想を書くとする。でも感想が出てこない。興味が無いから。逆に、好きな漫画の感想はスラスラ書ける。好きだから。そんな感じ。

以前の私は頭ばかりだった。しかもその自覚は無かった。体験は薄いままだった。それがここ数年、だんだんと後者の「感覚でわかる」が増えてきた。

「感覚でわかる」で痛感したことのひとつが、視点について。

いわゆる、自分がどの視点を“使っているか”で、起こる現実が違うとかそういうやつ。検索したらいっぱい出てくると思う。

この理論?で考えてみると、現実は起こせるものなのだと納得する。同時に、いかに自分が【本当は望んでいない視点】を使って、自分や周りを見ていたかがよ~くわかったのだ。

無論、望んでいない視点を使う理由は、自分や人生に対して、どこか諦めの感情があるからだ。

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視点、という言葉は他の言葉にもできる。【視点→現実】なので、視点は見方であり、前提であり、スタートであり、ゴールと言える。

今の自分に相応しいと勝手に思っている視点でも、これが自分の実力かな…という視点でもなく、本当はどうありたいのか?という視点で、現実を見つめていきたい。

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