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純度100%の「好き!」が欲しかった

何かを好ましく思ううちに、対象そのものより、対象の周辺が気になってしまう。芸能人で例えると、その芸能人が好きなのに、そのうちファンが、ファンの声・存在が気になっていく感じ。

どうしても、対象だけを見ることが難しい。

それでも意識して対象だけを見ようとすると、こんな言葉が出てくる。

「こんなことやっていても…別のことしよう?」
「必死に気にしてる私、気持ち悪い」

そうしているうちに、いつからか

“純粋”に好きでいたり、“全力”で楽しんだり応援したりできなくなった。いつも私の気持ちは、純度100%にはなれないのだ。

「好きが明確になっている人」って、まっすぐしている。

好きがゆるがず、時には相手の歪みすらまっすぐにしてしまう、好き軸のタフさ。また、好きのために待つことも目標を決めることも、そしてそのために走ることもできる。

一方の私は、好きがすぐ歪む。

相手の歪みを素早く感知し、目が覚める。待てないし目標にはできない。走っても途中で寄り道するので、絶妙なタイミングを逃している。

「好き!」で結果がでたり、環境が豊かになっていく人が羨ましくて仕方がない。一体私は、いつからこんなに冷めたのだろうか。

好き!を楽しむ、まっすぐになれる、素直になる、全力になる、必死さすら出る、熱く・強く追いかける…

全部全部、許していない。

植えたつもりはなくっても、いつの間にか根付いていた、好き!をバカにすらしているような自分が、いる。

熱い気持ち、100%の「好き!」に、慣れていこう。


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