あの空間だからこそ、彼女たちは“自分”になれるのだろう
どの世界にも言えることだが、一部の悪い人をきっかけに、まともな人まで『あの世界の人たちは良くないからね…』と、ひとくくりにされやすい。
悔しいが仕方ない。
それは、多くの「その世界に興味のない人」にとって、その世界の人のイメージは“一部の悪い人”に、なりやすいからだ。
それでも、その世界にいたことのある身としては、反論したくなる部分がある。今日は、そんな話です。
コッソリ吐き出したいだけですし、その人たちの味方をしたいわけではないので、実名は出しません。
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先日、著名な方が起こしたトラブルに絡んで、ある人の名前が出ていた。
内容としては「その人たちが、著名な方を“使って”いる」というゴシップ的な記事だったと思う。
名前が出ていた人のなかに、昔ファンだった人がいた。多分、その世界では有名だと思う。私も、著書は何冊も読んだし講演会にも行った。
ふと、思い出した。
その講演会、内容もそこそこに楽しめたが、内容以上に印象的だったことが2つあったのだ。
◆近くで観るその人は、キラキラした表情をしていた
これはまぁ(どうでも)いいか。次。
◆会場に来ていた人たちの傾向に、特徴があった
講演会の参加者は数百人といたが、95%以上が女性だった。そして、彼女たちはなぜか皆どこか「ソワソワしている」「知人友人と非常にハイなテンションで会話をしている」人が、非常に多かった。
講演会が始まる前なのに、会場全体が既にハイ…いや、単に賑やかとは表現しにくい妙な明るさを持ったエネルギーに包まれていた。
こういった光景を見て、引く人もいると思う。私も当時はこの雰囲気にかなり引いてたし、後日、その人のブログ記事に似たような感想が掲載されていた(その人は、この雰囲気を肯定していた)。
ただ、改めて当時を振り返ると、彼女たちのあの傾向は引くようなものではなかったんだな、と感じるようになった。
あのような、日常とは少し違う空間だからこそ、彼女たちはハイで「いられる」のだろう。日常では出していないエネルギーを、あの空間だから出せたのではないか―
つまり“本来の彼女たち”が、そこにいただけなのだ。
あの世界は現実だとか常識だとか、そういったカテゴリとは距離を置いた自分でいてもいい世界。だからこそ、現実に苦しんだ人や常識に疲れた人が惹かれてしまう世界なのだと、私は思う。
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悪評が広がるのは、いつだって理由がある。当然、他人を自分のためのツールにする人は、いつだって論外である。
だけど、その世界を望んでいる人たちの心まで悪者にされてしまうのは、いつだって辛いのだ。
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