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情報の断捨離

あけまして、何を書きたいか忘れた。ということで、情報について今日は書いておこうと思う。

断捨離:やましたひでこさんが提唱する【断つ・捨てる・離れる】を目的とする思想。「モノ」に対して行うのが一般的ですが、今回は「情報」のお話。デジタル断捨離とも言われているとかいないとか。


健康や美容の話になると、よく『生活に気をつけなきゃ~』なんて話になる。日々口にするもの、体の使い方や動かし方、確かに超大切。

人をつくる要素って、暮らしのなかに山盛りだ。

聞く音、
話す言葉、
着る服、
身につけるもの、
触れるもの、
嗅ぐもの、
目にするもの・・・

例えばママ(もしくはそれに近い親)の話し方にそっくりな子供って、いるじゃないですか。口調がそっくり―ということは、親が使う言葉を認識している証拠だと思うんです。

それは、好きな人の口ぐせを使っちゃったりで―大人になっても、なんとなく気付かされる。言葉に影響を受けていることを。

で、聴覚情報だけでも表面化するくらいに影響を受けるということは、視覚情報も人をつくる一部である。と言えるのではないか。

そう考えると、視覚情報を整理すると、自分の感覚も変わってくる可能性はあるんじゃない?……と、常々考えていた。


情報の断捨離、しています。何度目かの。

条件はひとつだけ。自分にとって必要度の低い情報を削除していくこと。具体的には、日常生活で自然に目に入るものだけに(近く)していくイメージかな。自分から情報を追っかけない。断捨離の「捨」だけクリアできればオッケーの精神。

「モノ」の断捨離と違って「情報」は取り組みやすい。情報元さえわかっていれば後で再び探せるので、クリック一発でサクッとイケる。その代わり、元に戻ればすぐにリバウンドするけれども。


視覚情報に対してのストレスは元々あった。昔からネットが好き、情報そのものが好きということがあり、ネットサーフィンは得意だった。

合計何時間費やしたかなんて、恐ろしくて考えたくもない。とりあえずなんてムダな時間だったんだろうと思ってる。今振り返ると。

そう言い切れるのは、ほぼ【目的のないネットサーフィン】―自分を安心させるため、刺激させるため、寂しさを埋めるための行動―だったから。

そんな私でも最近は目的を持つことができて、常日頃【感情を言語化したい】と思っている。メモが増える増える。あとでメモしておこうと思ったニュース記事や誰かの言葉…何かしらの言葉がもりもりだ。

なので、情報の断捨離は定期的に行う。タイピングのスピードにメモの整理が追い付かないから。ブックマークを削除する、履歴を全削除する…そんなちょっとしたことでも、ラクになる。

自分の外側の情報を減らすと、自分の内側の情報が確かなものになっていくと感じている。私はこう考える、それを伝えたい、けれど自信がない―そんな、己の感覚に対して弱気になっている自分の気持ちが、軽くなるのだと思う。

自分の内側の情報が育つと、他者の“強い”感情が入ってきにくくなる。ここで言う“強い”とは、過激な言葉やキツイ言葉…まぁ一般的にネガティブなものだけど…内側の情報が育って、ある程度内側と外側の切り分けができるようになるからだ。

「こいつ何を当たり前のことを」と思われたかもしれない。私にとってはとても大きな感覚だったので許してほしい。


私と同じように、他者の言葉に影響を受け過ぎてしまう方、情報の過多が気になっている方に【情報の断捨離】、オススメです。

一般的な断捨離やお部屋の片づけより、スッキリ感もイマイチかもしれない。けれど、以前より穏やかな心で記事を書く自分を見ると、視覚情報を整理するだけでも、効果はあるんじゃないかなって思ってます。


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