あのひとみたいに、なれたら(11/10)
あのひとみたいに
なれたら
人生も上手くいくはず―
と
思っていた
完璧なひとになれば
良いひとだと周りに言われるように
なれたら
そう思っていた
本当の私は
別に乗り気ではなかった
ただただ
そうすると良い と思っていた
気がつかないうちに
“頑張っていた”のだ と
今なら思える
そうやって
必要以上に“頑張っていた”
良いひとに“なっていた”
ある時
ココロもカラダも
限界になっていたことがわかった
あんなに頑張ったのに?
やっと報われる可能性が見えたのに?
私は、
元々あったものまで奪われていくの?
私は、私には
何もないのに
それでも奪われなきゃいけないの?
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あのひとみたいになれたら―
この言葉の意味は
【私じゃ普通には暮らせない】
【私じゃ人生は上手くいかない】
そういった自己評価があったのでは、ないだろうか?
誰かみたいになれば大丈夫
つまり
私じゃ大丈夫じゃないと
そう思っていた
私が私を見ないで
誰が私を見てくれるのか
ずいぶん
私は私を空けていたようだ
振り返ると
ココロもカラダも
水が満杯になっていくように
段々と限界になっていったのは
「その思い込み、いらないよ」
私の中の私が
身体を使って
教えてくれたのかもしれない
_/_/_/_/_/_/_/
仮に
ココロもカラダも健康だったとしても
私を待っている結果は
変わらなかっただろう
どの道
持っていた思い込みでは
私が私を生きるのは
限界だったのだろう
私は「他人」で私を埋めていた
そう気がついた
今
私を「私」で埋めていく―
それしか
ないのだ
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