地獄の研究室からの生還

0.はじめに

noteを開いてくださり、ありがとうございます。
私は都内の国立大学の情報系学科に所属する学部4年生です(大学学部学科名は伏せます)。
4年生になり研究室に配属された後、研究生活を進めていく中で、私は精神疾患を発症するなど、数多くの予期せぬ苦労をしてきました。
しかし、周りの助けもあり、その絶望的状況を辛くも乗り越えてきました。
私自身、実際に研究で精神を病んでしまった方を少なからず目にしてきており、進路に悩んでいる方や同じ境遇で苦しんでいる方の一助となることを願って、その経緯を書き綴りたいと思います。

1.経緯

①研究室配属

自分の学科では、4年生になる春休みのタイミングで研究室の配属先が決定します。
事前に同期の中で話し合いを済ませていたこともあり、自分は、学科に入った当初から希望していた第一希望の研究室(AIの基礎研究)に無事に入ることができました。
発表の瞬間は呑気にも喜んでいました。この時は、これが地獄の始まりだと知る由もありませんでした。

②研究室生活の始まりと異変

4月から実際に研究室生活が始まりました。先生と話し合って卒論のテーマの方向性を決めた後、それに向けて必要な知識・技能を7月までに身につけ、8月以降本格的に研究を行なっていくスケジュールとなりました。
先生から、とりあえずやるべき内容として、500ページを超える当該分野の原著論文と、先行研究として残っていた10000行を超えるGitHub上のソースコードを渡されました。
そして毎週、論文の一定量の内容について自分なりに内容をまとめ、先行研究のコードを基に実際にプログラムを自分で書き、理論の実装まで行なった上で、先生の前でプレゼンするよう指示されました。
3年生までの授業内容からレベルが格段に上がって面食らいました。それでも自分なりに考えたり、該当分野の別の論文を調べたり、図書館で様々な本を借りて読み込んだり。自分の研究室では人間関係がとても希薄で、先輩に何かを教えてもらうなどということは期待できず、また同期で配属されたのは自分一人だけだったので、誰にも頼ることが出来ない中で、自分の出来るベストを尽くしながら毎週の発表準備をしていました。
パソコンと参考書が無造作に置いてあるだけの無機質な研究室において、朝早くから行ってプログラムのコードや数式と睨めっこし、ほとんど人と会話をすることもなく夜遅くに帰って、家でやり残した課題を深夜までこなす。そんな生活を送っていました。
しかし毎週の発表へのフィードバックはとても厳しいものでした。ある程度の完成度の発表はできていたものの、理解の浅い点などを追及されました。

「この1週間何をやってきたんですか?」
「理解の浅い点を誤魔化しながら発表するあなたの学問への姿勢は甘すぎます。」

毎週の発表でも、連日のメールでも、厳しい指摘を受け、その積み重ねが徐々に私の心を追い詰めていきました。
論文への全体的な理解と大枠の解法の説明といった8割程度の完成度では許されません。数学やプログラミングでは正解の答えを出し切らないと、どれだけ惜しい答案を作っていたとしても全く評価されないのは理解はできるものの、自分の努力を全て否定されているように感じ、とても辛かったです。

「無理して精神的に病んだり、健康を害したりするくらいなら、留年を勧めます。」
「精神的に病んで、留年や休学をすることは理系の研究室ではティピカルな問題で、特別なことではありません。気分転換に休学して、半年ほど海外留学行く人もいます。」

どれも実際に掛けられた言葉です。
しかし、自分はそう簡単に余分な学費を払えるほど裕福な家庭ではなかったし、なぜ一教員の裁量でこちらの人生が狂わされなければならないのかという思いが強くありました。(自分の学科では卒論が通らないと卒業できませんが、その裁量は担当教員に一任されています。)
幾度となく留年、休学が頭にチラつき、心が折れそうになりながらも、何とか毎週の進捗を生み、卒論を完成させて、ストレートで卒業させてもらうしかないと自分を奮い立たせ、日々取り組んでいました。
精神的に本当にしんどく、病みツイートなどをして喚いていたおかげもあり、中高や大学の友人に自分の現状を聞いてもらい、アドバイスをもらいながら、何とかやっていく。そんな綱渡り状態でした。

③絶望と研究室変更

友人と話をしている瞬間などは気が紛れ、前向きに研究を頑張ろうと思えることもあったのですが、研究の辛さというのは、時が経つにつれて増していくばかりでした。
週40時間というコアタイム(研究室にいなければいけない最低時間)は定められていたものの当然それだけでは足りず、土日の返上もザラで、週80時間近く研究室にいた週などもありました。誰とも話すこともなく、答えの見えない問いに向き合い続ける。そんな殺伐とした生活が否応なしに精神を蝕んでいきました。
あまりの精神的ストレスで食事をまともに取ることさえ儘ならず、無理に食べても全て吐き戻してしまう日々でした。最も深刻だった頃はサンドイッチ1個とウィダーインゼリーだけで一日を乗り切っていました。体重は10キロ近く減り、心身ともに本当にしんどい時期を過ごしていました。
それでも何とか頑張ってこの状況を打開するしかない。その一心でこの生活を一ヶ月程続けていた中、研究室の発表で「この発表を続けている限り、卒業できるとは思わないでいてください」と言われ、ついに放心状態に陥り、頭が真っ白、何も手につかない状況になってしまいました。

このままだと精神崩壊してしまう。

冗談抜きに感じました。今思い出すだけでも震えが止まらず、吐き気がしてくるので、本当に思い返したくもない記憶です。そのタイミングで体調不良を申し出て、1週間の休みを得ることができました。
まず精神科に行きました。そこで双極性障害の疑いがあり、抑うつ状態であると診断されました。これは躁状態(急に全能感に満ち溢れて、妙に活動的で、誰彼構わず話しかけ、周りの人から「何だかあの人らしくない」「元気すぎる」と思われるハイ状態)と鬱状態(一日中憂鬱で睡眠や食事に支障をきたしたり、あらゆることに無気力になったりする状態)を繰り返す脳の病気とのことでした。
自分はかつて体育会系のかなり厳しい部活に所属し、怒鳴られることには慣れていて、精神的強さにはかなり自信があったので、「うつ病やハラスメントとは無縁だろう」と思っていた節があり、まさか自分自身が当事者になるとは思いも寄りませんでした。しかし、過去に経験したことのない尋常でないストレスを抱えていて、覚悟はできていたので、診断自体は少なからずショックを受けたものの、原因がはっきりしたことや薬を服用したことで、前向きに考えられるようになりました。

今の研究室から別のところに移るしかない。

そう確信し、学科長や様々な先生に頭を下げることで、自分の興味分野で、かつ無事に卒業できる見込みのある研究題目の先生に拾っていただき、研究室を変更することができました。本当に感謝しかありません。

④院試と研究

その後、友人や親と相談し、将来の進路を踏まえ、進学する大学院についても自分の中で改めて考え直し、専攻の情報系の院だけでなく、全く別分野の院などにも出願を行いました。
出願を決めた後は、来る受験に備え、勉強に全ての労力を投入しました。出願した院の分野が全く異なっていたので、同時並行で進めていくのはとても大変でした。移った先の研究室の負担が軽かったことは不幸中の幸いでした。
朝9時に図書館が開館するとともに登校し、夜22時半の閉館まで残って下校、電車などの移動時間も無駄にせず、風呂から出た後、眠くなるまでまた机に向かう。
そんな日々を数ヶ月過ごしました。論文を読みすぎて頭が痛くなるくらいやってました笑。勉強に限らず、人生でこんなに魂を削って何かに全力で打ち込んだことはなく、今となっては良い経験です(正直ここまでやらなくても良かった説もありますが、絶対に受かりたかったので、全てを捧げました)。
土日も夏休みも関係なく、毎日家と学校の往復をしていたら、気が付くと夏が終わっていました。本当に怒涛の、そしてあっという間の半年でした。大変でした。

⑤現在

Aセメが始まる前ごろに院試の合否が発表され、全て合格することが出来ました。
精神面・進路面・学習面で沢山支えてくれた友人達には本当に感謝しかないです。
専攻の情報系の院に進むのか、別分野の院に進むのか、ゆっくり考えたいと思っています。
また卒業研究に関しても、以前の辛さは全くなく、中間報告を無事終えたといったところです。
今でも多少感情の波はあるものの、薬の服用期を乗り越え、精神的に安定してきており、何とかやっています。
先日、突然体の節々が痛くなって整骨院に行ったところ、日光に当たらなさすぎてビタミンD不足の骨粗鬆症と診断されてしまいましたが、、(汗)。
卒業できないと、せっかくの院合格なども全て水の泡になってしまうので、頑張って卒論を完成させ、卒業を勝ち取りたいですね!(こんなnoteを書いてる場合ではない笑)

2.今振り返って

①自分の悪かったこと

悪かった点としてまず挙げられるのは、研究というものを甘く見過ぎていたことです。
学術研究というのは、様々ある学問の中で、特に自分の興味があり、かつ得意な分野において、さらに学びを深め、究極的には人類共通の新たな知的資産を創出していく営みであります。
3年生までの自分にはそこまでの覚悟というものは全くなく、ただ学科の授業を漠然と受けて内容を理解し、習った内容のアウトプットをテストで行うだけの極めて受動的な学びしかしてきませんでした。テストで少し良い点数が取れるというだけでは全く不十分であり、研究分野において求められるであろう知識・技能を、研究室配属前の何年も前から貪欲に自ら学んでいく姿勢が必要だったのだろうと今では痛感しています。
ただでさえ情報系の学科では、理系の中でも数学やプログラミングに自信のある優秀な学生が集まってきており、特にAIの基礎研究という理論偏重の研究室において、付け焼き刃的な学習で乗り切ろうとしたのは自分の見込みが甘過ぎたと言わざるを得ないでしょう。
また研究室選びにも、自分は失敗しました。
研究室というのは、いわば学生にとっての職場のようなものであり、平日に朝から晩まで拘束されるのはもちろん、やり残しがあれば土日を返上しなければいけないし、当然夏休みというものは全く存在しません。そのため研究室を選ぶ際は慎重に見定める必要があります。
研究室選びにおいては、①研究内容に学問的興味が持てるか②先生との関係は良好か③研究室の人達と仲良くできるか④研究内容の難易度は適切か、の4つが大事だと今では思います。今回の自分の場合では①研究内容には興味はあったものの、②3年までで必修などで習ったことのあった先生とは、実際に1対1で関わっていく中で全く馬が合わず、③研究室の人間関係も希薄で先輩に相談することなどはほぼ期待できず、さらに④難易度に関しても、理論面に苦手意識のあった自分がやっていくにはかなり厳しいものでした。自分の強みと興味分野の架け橋となるような研究テーマ決めが大事だと思います。学問的興味だけで選ぶと本当に大変なことになります。とにかく研究室選びの際には細心の注意を払うことが必須です。気をつけてください。

②自分の良かったこと

良かった点は、喚いたことで友人の助けを得られたこと、心も体もギリギリの所で健康を保ち、気持ちが途切れなかったこと、あとは運の良さだと思います。
研究室で病んでしまう典型例というのは、誰にも悩みを打ち明けられず、一人で抱え込んだまま不登校になったり、「蒸発」してしまったりすることです。
自分自身、最も深刻だった時は頭が真っ白すぎて、喚く元気すらなく、その状況は痛いほど分かります。その状況に陥る前から、友人に相談をしていたお陰で、人知れず孤独死するという最悪の状況を回避できました。繰り返しになりますが、様々な面で支えてくれた友人達には本当にお世話になったし、感謝しかないです。お世話になった方には、きちんとお礼をしましょう。
ただ、突然病みツイートをして喚き出すと、事情を知らない他の人には「突然病んでて、なんだ、なんだ??」と迷惑をかけてしまうのは難点ですね。諸々が落ち着いたらしっかり謝りましょう。信頼を失うのは一瞬ですから。
次に自分自身も頑張りました。幾度となく心が折れそうになりましたが、気持ちを切らさず、最後までやり切りました。理不尽な環境など、どうしようもない所からは逃げ、試験勉強など、自分の頑張りでどうにかなる時は死ぬ気で頑張りましょう。
最後は人事を尽くして天命を待つということでしょうか。ここには書き切れない、数多くの危機がありましたが、運にも助けられ、なんとか乗り越えてきました。日頃から善行を積んでおいて良かったです笑。

③研究室の実情の認知度

辛い研究室生活というのは私に限った話ではないようです。
研究で精神を病んで、学校に通うことすらできなくなり、休学届を提出した人。
研究に追われ、院試対策を十分できず、院試に合格できずに留年が確定してしまった人。
自分の身近においてもたくさん見てきました。
もちろん、専攻や各研究室、本人の技量によって大変さは千差万別ではあると思いますが、研究に苦しめられている学生は決して少なくないと思います。
しかし、その現状というものは広く周知されていないのかなと思うことがしばしばあります。
「研究が大変だったって言ってるけど、好きでやったんでしょ?」
「研究が辛かったって、落ちこぼれなの?w」
実際に自分が掛けられた言葉です。これには自分の説明不足という落ち度もあるのですが、実体験としてやったことのない人には、こう捉えられてしまうんだなぁと気付かされました(別に責めてるわけではないです)。
現実問題として、研究は極めて細分化しており、少し専門がずれるだけでお互いの内容がさっぱり分からないので、他の研究室の内情など全く分からないし、まして研究室に入ったことのない人に理解してもらうことなど難しいと思います。
ただ社会全体でも、大学の研究への軽視という風潮があるのではないでしょうか。
これが延いては現代日本における、博士課程の冷遇、科学力の低下という問題につながっているのでは?とまで思わされます。実際、同じ研究室の博士の先輩が朝から晩まで毎日忙しく研究をしているのを傍目で見ていると、果たしてそれに見合う適切な評価を得られているのか甚だ疑問です(そのレベルの能力と労働時間があれば、遥かに多くの収入を得ることが可能だと思います)し、それと同時に尊敬しかないです。
少し話が脱線してしまいました。

④大学生活に関して

ここまで勉強面を中心に振り返ってきましたが、大学生活ではそれ以外にも多くの経験が必要なのかなとも思います。
サークルや部活に打ち込んだり、長期の旅行をしたり、色んな人と語り合ったり、恋愛をしたり。
長い人生において、大学生の時にしかできないことが沢山あると思います。
しかし厳しい研究室に配属されることになれば、そう言ったことをする物理的時間も機会も精神的余裕もなくなるでしょう。
学生生活の全てを研究に捧げる覚悟が必要だと思います。
一般の人が思い描くような「普通」の大学生活はまず送れないと思っておいた方が良いです。中途半端に未練が残っていると、自分の首を絞めて辛い思いをするだけです。
まともなキャンパスライフを送りたいなら、楽な研究室を選ぶか、期末直前に対策してテストかレポートで単位を稼ぐだけで卒業できる学部学科を選んでおくのが身のためだと思います。

3.最後に

大学生活も残すところ僅かとなる中で、「正解の大学生活とはなんだったのだろう」と、ふと考えることがあります。答えは出ません。そもそも答えなどないのかもしれません。
研究にしろ、就活にしろ、資格試験にしろ、それぞれに違った大変さがあると思います。
どの学部、どの学科を選んでも、それぞれで一長一短、良いことも悪いこともあったと思います。
大事なのは、絶対に妥協できないこと、犠牲になっても最悪構わないこと、諸々の優先順位を勘案して自分の道を選んだ後は、その道で人生の満足度を最大化し、自らの選択を正解にできるよう、精一杯努力していくことなのかもしれません。
なんだかまとまりの無い独り言になってしまってすみません笑。
このnoteを読んでくださった方が、より充実した研究室生活、延いては大学生活を送れることを心から願っています。
あくまで一学生の一意見として、これがその一助となれば幸いです。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

p.s. 2024年3月に無事に卒業することができ、大学院に進学しました。この経験を糧にこれからも頑張ります!


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