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毎日見ている名前も知らない山のこと

今朝は雨は降らなそうな曇り空だ。風もあまりない。
毎日、アパートを出る時に見える山。私が名前を知らないその山は、全体が雲で覆われていた。

名前も知らない山。行ったことのない山。

今住んでいる街から、きっと車で1時間以内で行けるくらいの距離だ。
まぁ、一般人が入っていい場所なのか、それとも誰かの所有地なのかはわからないのだが。

地方の田舎に住んでいるにも関わらず、山や、いろんな動植物や地名や場所、現象の名前を知らないで生活している。

それで問題はない。何も困らない。
知っていて何になる?
山の名前も、川に住む生き物のことも。

周りに誰もいないのを確認してから、「あまり興味がないのだ」と声に出して言ってみる。

毎日見えている。しかし何も見てはいない。

興味を持つための「とっかかり」のようなものが欲しい。何か自然について、面白いと思えるものが欲しい。
知的好奇心を起こすものは何かないのかと、思ってみて、ふと、自分の中に自然知識の体系がないと気づいた。

自然知識の体系。

たとえ今、自分がカメラを持って、何かできないかと山に駆け出して、思いのままに撮って満足して、それが何なのだろう。

しかし、自然について勉強を始め、自分の内に体系を作り上げるほど頑張れるのだろうか。

どちらか、ではなくどちらも。
撮りに行き、学ぶ。学び、撮りに行く。
循環する活動が、いずれ体系をつくるかも。

自然は、自分を呼んではいない。
自分は呼ばれてない。
こちらから近づいても、自然は何も言わない。
私は私で勝手に写真を撮って記録する。意味を見出す。

そしていつか、この地域で暮らしたことを実感できるのかもしれない。

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