見出し画像

数か月後/1年後の「学校」を危惧する

毎日子どもたちが帰った後、消毒作業をかなりの時間をかけてやっている。担任外の先生たちも、教室外の消毒作業をしている。

それをしながら思うことだが、こんな作業をしている一方で、子どもたちを完全に密状態にしないことなんて、もう周知の通り無理だ。

子どもたちは登下校や、ちょっとした時間のすき間で密状態になってしまう。低学年であればあるほどだ。
だからと言って、密状態をさけることをこれ以上徹底すると、むしろ休校中よりも、もっと深刻なストレスの悪化が子どもたちの中に生まれたり、大人(教師)との関係性も悪化したりするだろう。そもそも学校での教育活動も成り立っていかないだろう。

だが感染することを防ぐことは必要。だから、やれる範囲で、できる範囲で、声を掛け、徹底はさせてはいる。

しかし、どうしてもこの無力感をおさえることができない。

消毒作業する風景と、子どもたちが密状態になっている風景とのギャップが生む無力感。もちろん消毒作業は大事にしたい。感染予防のためにできることはしたいから。

でも、でもだ。このギャップによる目に見えない無力感が怖いと思う。
目に見えないから、知らず知らずのうちに、ボクらを無力感で覆いつくしてしまうと思う。

現に、すでにボクらの中に忍び込んでいる気がする。

休校中の二転三転する通達に、何度も計画などを作り直したり、やりたいこともなかなか許可が得られずできずにいたりした時に生まれた無力感が、先生たちの気力を奪っている気がする。考えることを奪っている気がする。

その中で、さらにこの消毒作業。数か月後の学校はどうなっているんだろう。1年後の学校はどうなっているんだろう。

そして、そんな学校で過ごす子どもたち。休校中より学校を再開した方が良いと思っていた子たちも、こんな制限の中で、日々を重ねていったらどうなるんだろう。数か月後の学校はどうなっているんだろう。1年後の学校はどうなっているんだろう。

そんなことも考えて、ボクは、子どもたちと職場と向き合わなくては…と思う。

今日のアルバム。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?