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校内研修を職場づくりにつなげるための条件を考えたい。

校内研修の光と影

今、あるコミュニティに参加している。
校内研修を職場づくりの視点から見直したい。校内研修をもっと機能させたいという人たちが集まっているコミュニティ。
その中で実験的(ラボ)に、校内研修づくりと職場づくりをやってみようとしている。

そのコミュニティでも話をさせてもらったが、多くの学校では、今の校内研修が制度疲労を起こしていると言えるだろう。そして、働き方改革と結びつけられて、非難されるターゲットにもなっている。

でも、これから求められてくる職場づくり(職場の年齢構成や採用条件、社会的変化への対応など、多くの視点から職場づくりがかなり重要な課題になってくるはずだ)に寄与できるのは、やっぱり校内研修だと思っている。そのために、何か新たに+するのではなく、既存の枠組を使うとしたら、校内研修に、その役割が担わされるはずだ。

そんな背景もあってか、ここ数年、校内研修に関する書籍や発信が増えてきたり、校内研修を進めるための講座やワークショップのようなものも増えてきたリしている印象がある。

「キラキラした」取組の光と影

ただ、それらの書籍、発信、講座の多くは、そして、そこに集っている人たちが語る取組は、「校内研修、こうやればうまくいきましたー」「こんなすごい取組をしています!」というような、いわゆる「キラキラした」取組を紹介しているものが多い気がしている。

もちろん「キラキラした」取組だとしても、そのプロセスはていねいに語られているものが多いし、「キラキラした」取組が必要なところがあるだろうし、必要な人もいるだろう。

でも・・・だ。
多くの研修担当(主任)は、本当に悩んでいる。困っている。
ある時は、管理職と同僚の狭間で苦しみ、ある時は、同僚たちの理解が得られず、上手く進まない研修に疲弊し、ある時は、上からの指定を受け、やりたくない研修を進めたりしている。ボク自身が何度もそのしんどさを経験してきたからよくわかる。

そんな人たちに、「キラキラした」取組は、余計にしんどくなるだけだ。自分のできなさを余計に実感するだけだ。
それなら、そんな書籍や発信、講座に触れなければいいという見方もあるだろう。
それはその通りだけど、一方で、とにかく何とかこの現状を変えるヒントや手立てはないかと、必死になっているところ、人たちにとっては、どうしても、そうした書籍や発信、講座に触れてしまう思いも、ボクは痛いほどわかる。

学級づくりと、職場(校内研修)づくりは、様々な視点からつながっていると考えているのだけれど、この面でも、あらためて学級づくりと職場づくりはつながっていると思う。

学級づくりで「キラキラした」実践が必要な人もいれば、それでしんどくなる人もいる。ここでも、それなら、そんな書籍や発信、講座に触れなければいいという見方もある。でも、やっぱりここでも、何とかこの現状を変えるヒントや手立てはないかと、必死になっている人たちにとっては、どうしても、そうした書籍や発信、講座に触れてしまうのだ。

しんどい思いをしている人たちとともに

前述したコミュニティのラボで、ボクは、こんな問いを投げ掛けた。

今取り組んで手応えがある取組は、管理職(同僚)が変わったり、学校が変わったりしても、継続できると思いますか。

この問いの対話の中で共有されたことは、校内研修は、学校事情や管理職、同僚に、やはり大きく左右される。継続できる自信はもちづらいというものだった。
おそらく多くの学校でも、そうだろうと思う。

ボク自身、今まで「どうだ!こんな取組してるんだぞ!」という思いが強い発信(提案)だったと思う。自分の中では、持続可能な視点を意識はしていたけれど、やっぱりそうだったと思う。
なので、今回のラボで提案したスライドも、取組のところが最後までどう伝えるか迷い、その迷いが出ているスライドになってしまった。

こうした状況を受けて、今考えていること。

どんな学校でも、どんな構成メンバーでも、職場づくりにつなげられる校内研修にするための条件を考えること

そもそも学校ごとに進めたい方向性(テーマ)があるのだから、校内研修にするための条件を考えるなんてできないことなのかもしれない。校内研修は、人が関わっていることだから、どんな学校でも、どんな構成メンバーでもできる校内研修なんて、できないことなのかもしれない。
それでも、ボクは考えていきたい。
研修に可能性を見出しているのに、しんどいを思いをしている人たちと、あるいは、しんどい思いをしている人たちに届く何かを伝えたいと思っている人たちと、考えていきたい。
研修に可能性を見出しているのに、しんどいを思いをしている人たち、そして、ボクやキミのために。

くるり「潮風のアリア」を聴きながら

「思い出と生き方はいつも釣り合わないものだ 何度でも間違えればいいさ」


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