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正解とすべきことが目の前の子どもたちや先生たちにとって、正解とは限らない

今日は家に帰ってから、やること、やるべきことがたくさんあったにもかかわらず、ずっと国内の豪華船舶の映像や、寝台列車の映像、ステキなロケーションのホテルや旅館をひたすら見てた。

たとえばこれ。これ、すごい。

ガンツウのような船には一生乗れないだろうけど、旅に出たい。
2学期が始まったばかりだというのに、コロナ禍のこともあるのに、無性に旅に出たい。

今日は昨日の気になっていたことがそれほどの状況になっていなくてホッとした一方で、あらたな気になることも出てくる。

個性豊かな子どもたちが30人も集まっているのだ。
いろんなことがあって、いろんなことが起きて当たり前。
でも、ついそのことを忘れてしまう。
起きていることに対応することが簡単なことではないから、つい、そういうことがない状態を望んでしまう。

繰り返し自分に言い聞かせていかなければならないこと。


今日教育実習生が授業を見に来た。国語。

放課後、授業について実習生が質問する時間があるのだが、授業よりも学級経営の話が中心となる。

例えば、はじまりとおわりのあいさつがないことに驚きました。と。

昔のボクなら、はじまりのあいさつをしているなんて…と思っていただろう。
(1年生を担任した時以外、授業前後のあいさつをしたことがない)

でも、今なら、

「学年によるよね」「何のためにあいさつしようとしているかによるよね」「授業の導入で子どもたちの気持ち理を切り替える術をもっていなければ、あいさつをした方が良い場合があるかもね」などなど。

と言うだろう。

それは、いろんな教室(学校)、いろんな先生、そして、いろんな子どもたちを見てきたからだ。

正解と言われていること。正解とすべきことが目の前の子どもたちや先生たちにとって、その時の正解とは限らないと、ボクは思っているからだ。

ただ、「全員であいさつをしますと言っておきながら、全員があいさつをしていない状況を毎時間、毎日積み重ねていった時の影響はよく考えた方がいい」とは思う。

今日のアルバム。最高にカッコいい。


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