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オンラインセミナー無料化問題で考えたいこと~tweetに大幅補訂を加えて

オンラインセミナー無料化問題。学ぶことへのハードルを下げ、発信する人が増え、それをきっかけに学び始める人が増えたというような、大きな功績はある。
だが、確かに企画や、登壇する人のこと。場が継続することを考えると、有料化は検討していくべきだとは思う。
そして、もう一つ大事な視点があると思う。

無料セミナーは、知や情報を軽んじてるということはよく指摘されているが(これはこれで大きな問題だとは思う)、ボクは、受身で学ぶ姿を強化させているかもしれないとも思っている。

もちろん有料にすれば、受身な学びではなくなるかと言えば、そうではないし、無料にしていたら学びが受身になるということでもない。
ただ、申し込みボタンを一つ押して、あとは全てミュートにしていたら、欲しい情報が無料でどんどん入ってくるという状況は、受身で学んでいる姿を「強化」させてはいないかということだ。

だからこそ、無料セミナーは、「これをきかっけにして広げていければ…」という主催者側の視点だけではなく、受信者側にどんなことが起きているのかということも考えたいなと思う。

無料でやっているのに、そんなところまで考える必要があるのかっていう声もあるだろうけれど、でも、こうした学びが全て子どもたちや、子どもたちに関わる人たちのためにやっているのなら、そこまで考える必要があるんじゃないかなとも思う。
つまり、この無料化問題は、参加者側だけではなく、主催者側にも振り返るべき視点があるのではないだろうか。

ただ、最終的に有料にしてしまえばいいという問題でもないような気がする。「自分はお金を払って学んでいる」という特権意識のようなものが生まれてしまうこともあるし、お金を払っていれば、自分は学んでいると思いこんでしまうこともあるからだ。だから、大事なことは、きっと別なところにあるはず。

それは、無料であろうが有料であろうが、企画を立て、参加者を募っている以上、やっぱり参加者にどんなことが起きているかを考えられることが大切なんじゃないかということ。
そう考えると、学習者にどんなことが起きているかと考える教室と同じかもしれないな。
そして、そこを考えると、無料か有料かを決めることもできるかもしれないし、プログラムのつくり方、内容も変わってくるだろう。

「有料にすると人が集まらない」
これは、オンラインに限らず、対面式のセミナーでもぶち当たる壁。無料にして、入り口を広くする手立てをとるなら、プログラムが重要になってくるだろうし、有料を続けていくのなら、そのセミナーの価値を広めていく必要があるし、何よりも主催者の自負と覚悟が必要だ。

先輩たちが積み上げてきた充実した、あるいは効果的なメソッドやコンテンツは、子どもたちのために、もっともっと共有されるべきだと思う。だから、その無料で共有されていく事実が問題というよりは、そこで起きていること。起きていることが積み重ねられていく末が問題だとボクは思っている。

というようなことをいろいろ考えてみた。
ボクがここで吸い上げられなかった論点もあるだろう。
でも、基本的には、やりたいようにやればいいし、受けたいように受ければいいと思う。だからこそ作り手への信頼をもって、学び手への信頼をもって、みんなが学べるといいなと思う。2021年、自分はどんな学びの場に行き、どんな学びの場をつくるか。考えたい。

しんどいことを抱えながら、前に進むことを決めた日。
だからこその今日のアルバム。記しておく。

「あした ぼくは どこへ行こうか
 あした ぼくは どこかへ行きたい
 もしも 君がどこかにいるのなら
 あした ぼくは どこかへ行きたい
 あした ぼくは どこかへ行きたい」


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